SSブログ

ディオニソス誕生祭の起源 [世界の神話]

ディオニソス誕生祭の起源


ディオニソス誕生祭とはディオニソスの生まれを祝うと同時に、豊饒を祝い、また次の年の豊穣を祈ります。ディオニソスはワインの神でもあります。従って、この時には、飲んで歌って踊って日本で言えば、さしずめ、盆と正月が一緒に来たような気分で愉快に祭りを楽しみます。

この祭りは、紀元前9世紀ないしは8世紀頃に始められたと言われています。ギリシャの部族が “orgia”と呼んで毎年祝っていた祭りがその起源のようです。この時には、飲めや歌えのドンちゃん騒ぎをしたようで “orgy”という英単語は、このorgiaから派生した言葉です。orgasm(オーガズム)も、これに関連した言葉です。

ディオニソス誕生祭は集落の近くの広場で行われるのが普通です。収穫時には、一族がこの広場に集まって、籾から穀物を分けるための共同作業をします。今でも、ギリシャの片田舎にゆくと、このような広場が見られます。祭りの時にが、この広場の真ん中に、上の絵で示したように、マラ石を立てて、その回りに村の人々が集まってワインを飲み、歌って踊って、ドンちゃん騒ぎをし、一年のウサを晴らし、それと共に豊饒を祝うわけです。

ディオニソス神話

ディオニソスは、全能の神ゼウスと人間のセメレの間に生まれた子供です。セメレはテーべという王国の姫で、とても美しい女性でした。夫ゼウスの浮気に気づいた妻ヘラは、セメレを懲らしめるために、いろいろ策略をめぐらしました。

彼女はセメレの乳母の姿に身を変えて、セメレのところにやって来ました。そしてやさしく彼女にささやきました。「あなた様のところに通っていらっしゃる方は、本物のゼウス様なのでしょうか。なにか証拠となるようなものを、ゼウス様にお願いしてみたらいかがでしょう」

それでセメレはゼウスに、「どうか天上より、光り輝く衣装を着けて来て下さいませ」と頼みました。 ゼウスは、以前に「なんでも望みを聞いてあげよう」と誓っていたので、仕方なく光の衣装をつけてセメレの部屋を訪れたのです。

しかし、生身の人間であるセメレは、それを見たとたん、たちまち焼け死んでしまいました。ヘラの策略にまんまとはまってしまったのでした。セメレがすでに身ごもっているのを知っていたゼウスは、急いで火の中から子供を取り上げ、ヘラに隠れてニンフたちにその子を預けました。まさに九死に一生を得て誕生したのが、ディオニソスなのです。一説には、ゼウスの太腿に埋め込んで誕生まで養ったとも言われています。このようなわけで、ディオニソスは2度生まれた、といわれるようになりました。

成長すると、ディオニソスはブドウの木を栽培し、そこから液を搾り出す方法を考えました。また、彼が世界中をさまよっているうちに、女神のレアは彼に宗教の儀礼を教えたのです。彼は母セメレの故郷のテーべに帰って、人々に儀式やブドウの栽培の仕方を教えました。こうして彼はぶどう酒と祝祭の神としての地位を確立したのです。

もっと面白い話は次のリンクをクリックして読んでください。

『飛鳥坐(あすかざ)神社の神事と古代ギリシャのディオニソス神話』


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行・地域(旧テーマ)

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。