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美女の神殿 [西洋史・オリエント史]

美女の神殿


「ロブソンさん、なんだかとてもまぶしい絵を貼り付けましたね」
「ジューンさん、この記事ではあなたの写真を貼り付けたんですよ」
「あら、いやだ、ほんとうにィ。。。どうしてあたしの写真など貼り付けたんですの?」
「この記事にあの絵を貼り付けるのは問題があると思ったんでね。。。今すぐに見たい人はこの記事の一番下にリンクを貼り付けてありますからね。それをクリックして見てくださいね。ところで、ジューンさんは絵を見てどんな印象を持ちましたか?」
「そうですね。なんだかハッとさせられるような絵ですね」
「その絵は今から140年以上も前に描かれたんですよ。ごく最近描かれたと言っても十分に通用するでしょうね」
「私は絵のことはあまり分かりませんけれど、キューピッドを描く人は最近ではあまりいないのではないですか?私は、キューピッドが宙に浮いているのを見てイタリアのルネッサンスの頃に描かれたのではないかと思ったくらいです」
「ほォ~~~、ジューンさん、絵のことには詳しくないと言いながら、けっこう知ってますね。僕より詳しいのじゃないですか?」
「いえ、それ以上のことは知りません。でも、140年前に描かれたということはちょっと信じがたいですね」
「どうして?」
「1863年に上の絵は描かれたんでしょう?ということはアメリカでは南北戦争の真っ最中ですよ」
「その絵を描いたアレクサンダー・カバネルはフランス人ですよ。だから戦争とは縁がなかったんですよ」
「私が驚くのは、こんなヌードがよく問題にならなかったと思って。。。当時、アメリカやカナダでなら展示禁止になったかもしれませんよね?」
「恐らくジューンさんも、そう言うだろうなと思ってこの絵を貼り付けたんですよ」
「パリだから問題にならなかったのですか?」
「そうではないですよ。パリだから問題にならなかったんじゃなくて、この絵の中の裸の女がアフロディテだから問題にならなかったんですよ。もし、この絵の女がパリのカフェのウエイトレスだったら、大問題になったはずですよ」
「どうしてですか?」
「僕が前のページで言ったように、『オディッセイ』を調べているうちに、この大叙事詩が欧米人の原点のような気がしてきたんですよ。つまり、現代欧米文明は古代ギリシャ文明、古代ローマ文明から営々と続いていると考えている人が多いんだよね。だから、上の絵が描かれた当時、フランスやイギリスの大学では、古代ギリシャ古代ローマの古典をとにかく飽きるほど勉強させられた。そういうわけで、『オディッセイ』を暗記するほど勉強する人も珍しくなかった。つまり、ギリシャの古典やローマの古典は必須科目だったわけですよ。だから、上の絵の女がアフロディテだから問題にならなかったんです」
「そうでしょうか?」
「ジューンさん、僕がでたらめを言っているとでも思ってるの?」
「そういうわけではないですけれど。。。」
「オリジナルの記事の次の絵はイタリア・ルネッサンスの巨匠ティツィアーノ(Tiziano)が1548年に描いたんですよ。アメリカもカナダもまだ出来ていない時代です。日本は戦国時代でした。1548年という年は織田信長と濃姫が結婚した年です。もし、この絵が日本で展示されたら、戦争などほっぽりだしてビックリしたでしょうね。では、なぜ、イタリアのルネッサンスで、このヌードが問題にならなかったのか?それは、この絵の中の女がアフロディテだったからですよ。」
「そうでしょうか?」
「ジューンさん、疑い深いですね。それ以外に答えはありませんよ。そもそもルネッサンスと言うこと自体がギリシャの古典を改めて認識するということでしたからね。この伝統がカバネルが上の絵を描いた頃にも引き継がれていたわけですよ。だから、アフロディテのヌードをポルノなどと言って騒いだら、その人こそ女神を冒涜する者として教養のない愚か者とみなされたわけですよ」
「ちょっと信じがたいですけれど。。。」
「ジューンさん、無理して僕の言うことに疑いを挟むことはないですよ。ジューンさんだってルネッサンスのことはよく知っているでしょう?」
「ええ、知っていますよ。一応勉強させられましたから。。。」
「でしょう?」
「でも、アフロディテのヌードが、なぜ許されたのかまでは説明をよく聞きませんでした」
「ジューンさんがサボって、聞きはぐってしまったんですよ。とにかく、そのような風潮が西洋のルネッサンスにできあがったんです。いわゆるエリートの中ではそのように考えることがあたりまえになったんですよ。つまり、アフロディテのヌードをポルノだと決め付けることはダサいと思われたわけですよ。ギリシャの古典を知っていれば、アフロディテが愛の女神である事を知っている。その愛の女神が裸であっても決して可笑しいことではない。そのことを問題にして、口うるさい無知なオバタリアンのように騒ぎ立てることはみっともないという気風が出来上がったわけです」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ。それ程ギリシャ古典は当時のエリートにとって金科玉条のごとくに考えられていたわけです」
「つまり、アフロディテは古代ギリシャの愛の女神だった。その女神が裸であることは神聖なことであった。だから、ルネッサンス当時、裸のアフロディテを描くことは問題にならなかった。そう言うことですか?」
「その通りですよ」
「。。。」
「ジューンさん、なんだかまだ納得がゆかないようですね?」
「あの絵の中のオルガンを弾いている男の人ねェ。。。」
「うん、オルガニストが居ますよ。その男がどうかしましたか?」
「あの人、わき見をしながら弾いていますよね。しかも、ちょっとあなた、どこを見ながら弾いているの?と問いかけたくなるような見方をしていますよ」
「ジューンさん、なかなかいいところに気が付きましたね。へへへへ。。。。」
「何ですか、その可笑しな笑いは?」
「いや、失礼いたしました。でも、言われてみると、確かにオルガン弾きはかなりじっくりと、しかも大胆にアフロディテのあそこを覗いていますよね。彼女がキューピッドと話をして気を奪われているのをいいことに、かなり大胆に覗いていますよ。僕も、オルガニストと同じ状況に置かれたら、同じようにすると思いますよ。へへへへ。。。。」
「でも、この画家は、どうしてそのようないやらしい男を描いたのですか?」
「美術書などを見ると、この絵はallegorical workだと書いてあるのが多いですよ」
「寓話的な作品だということですか?」
「その通りですよ」
「どこが?」
「ジューンさんがこのオルガン弾きの男のことをいやらしい、と言ったけれど、まさにそこのところに僕は寓話的なものを感じるのですよ」
「どういうことですか?」
「このティツィアーノという巨匠は長生きした人なんですよ。生まれたのが1490年。上の絵を描いたのが1548年だから、58歳の時に描いたわけですよ」
「随分年をとってから描いたんですね」
「確かに若くはない。だから、とりわけ裸の女を描く必要はないんですよ。僕なら、真っ裸の女より薄い下着を身にまとった女のほうがよっぽどエロっぽく感じられますよ」
「それなのにどうしてこの画家は裸のアフロディテを描いたのですか?」
「この絵を描いた当時、このティツィアーノはすでに巨匠としての名声を築いていた。だから、この画家が描く物は誰も正面きって非難することは出来なかったでしょう。そういうわけで、僕はこの絵に風刺的なものを見るんですよ」
「どこが風刺なのですか?」
「ジューンさんはガリレオの宗教裁判を知っているでしょう?」
「ええ、知ってますよ」
「ガリレオ・ガリレイは1564年にイタリアのピサで生まれ1642年に亡くなっている。ティツィアーノが1576年にベニスでなくなった時、ガリレオは12歳だったと言うわけですよ」
「ガリレオとティツィアーノの間には何か関係があるのですか?」
「直接の関係はない。でも二人とも宗教界に対してはあまりいい印象は持っていなかったはず。上の絵に僕はティツィアーノの宗教界に対する風刺を見るんですよ。この当時の宗教界と言うのはほとんど絶対的な権威を誇示していた。そのことがガリレオの宗教裁判に実によく表れている。ガリレオは、1632年に論文『天文対話』の中で『地動説理論』を発表したんですよ。そのために宗教裁判にかけられた。これはジューンさんも知っての通り。『地球は動いていない』と言わされ、やっと命は助かった。しかし、彼は有罪になった」
「でも地動説は正しかったのですよね」
「もちろん、そうですよ。小学生でも地球が太陽の周りを回っている事を知っていますよ。でもローマの法王庁はそれを認めなかった」
「天動説を通したのですか?」
「そうですよ」
「ウッソォー」
「ガリレオの死後350年たった1983年(昭和58年)に宗教裁判で有罪となったガリレオ・ガリレイに対してローマ法王ヨハネ・パウロ2世がやっと宗教裁判の誤りを認めて謝罪したんです」
「マジで?」
「もちろんですよ。僕はマジですよ。これは事実なんですよ」
「なんだか笑い話のようですね?」
「笑えない笑い話ですよ。それ程宗教界の権威と言うのはすごかったんですよ」
「それで、上の絵のどこが風刺なんですか?」
「ジューンさんにはまだ分かりませんか?」
「分かりません。どういうことですか?」
「つまりね、アフロディテとキューピッドを描いていることになっていますが、あれは、当時のごく普通の女と子供を描いたんですよ。アフロディテを描いたんじゃありませんよ」
「どうしてそうはっきり言えるのですか?」
「もし、本当にアフロディテを描いたのなら、キューピッドはちょうど一番上の絵のように背中に羽が生えて居なければならないんですよ。ジューンさんも言ったでしょう。キューピッドが宙に浮いているから、あの絵がルネッサンス時代に描かれたものかと思ったと。。。」
「その通りです」
「一番上の絵を見れば、誰が見ても宙に浮いている子供はキューピッドに見えますよ。でも、ティツィアーノが描いた絵を見てください。誰も何も説明しなければ、これはどう見ても裸の女を描いたものですよ。よく見ると子供の背中に羽らしき物が生えているけれど、キューピッドだと聞いて初めて、羽が申し訳程度に生えている、ということが分かるんですよ。つまり、言い訳のために、不自然な羽をちょっと描き添えている。そうじゃないと、ガリレオのように宗教裁判にかけられてしまいますからね」
「つまり、ティツィアーノはアフロディテと見せかけて、ごく普通の裸の女を描いたというわけですか?」
「その通りですよ。アフロディテをモチーフに書きたいのなら、次の絵のようにキューピッドをもっとはっきりと描きますよ」

Mercury with Venus and Cupid by Correggio (1489-1534)
(painted in c.1525)
オリジナルの記事の中で見てください)

「これなら、キューピッドの他にマーキュリーもいますからね、この女が普通の女ではなくアフロディテ(ヴィーナス)だということも、すごく納得がゆきますよ。また次の彫刻などもキューピッドが宙に浮いているし、パン(pan)が居るから、これも普通の女ではなくアフロディテであることが納得ゆきます」

A marble statue of Aphrodite, Pan, and Cupid
in the National Museum of Athens.
オリジナルの記事の中で見てください)

「この上の2つの作品とこのページの一番上の絵を見れば、どれもが現実離れしている。つまり神話の世界のことだと言う事が一目見れば想像が付きます。でも、ティツィアーノが描いた絵はとても神話の世界とは思えませんよね」

Aphrodite (Venus) with Organist and Cupid
by Tiziano Vecellio (painted in 1548)
オリジナルの記事の中で見てください)

「キューピッドは絵の片隅に追いやられてしまっている。羽もほとんど見えません。むしろ分からないように描いている。しかも、このオルガン弾きなどは、全く神話とは関係ない人物ですよ。アポロでもないし、マーキュリーでもないし、パンでもない。つまり、ごく普通のオルガン弾きです」
「要するにティツィアーノは神話の世界からも宗教的な権威からも無関係なところで普通の裸婦を描きたかったというわけですか?」
「そうですよ。このオルガン弾きこそティツィアーノ自身ではないかと僕は思っているんですよ。つまりね、豊艶な女が素っ裸で横たわっていれば、男のごく自然な関心として、その女のあそこはいったいどうなっているんだろう、という単純な興味が沸き起こる。それをティツィアーノは恥も外聞もなく描いているんですよ。ルネッサンスは本来神話とも宗教とも関係のない自然体のものではないのか?ティツィアーノはこの絵を通してそう言っているのではないか?僕はそう思っているんですよ」
「ところで、このページの副題であるアフロディテ神殿とどういう関係があるのですか?」
「そうでした。その事を説明するためにこのページを書き始めたんです。ストラボンがコリンスで見聞した驚きはまさにティツィアーノが絵の中のオルガン弾きとして感じた驚きだったはずです」
「ストラボンはどのような事を見聞したのですか?」
「彼は『地理誌』の中で次のように書いているんですよ」

この町は交易によって栄え『裕福なコリンス』と呼ばれている。 交通の要所を占め、二つの港を抑えている。一つの港はアジアへの玄関になっており、もう一方はイタリアへゆく航路につながっている。この町の揺籃期にはアフロディテ神殿はかなりの富を蓄えるようになり、1000人を越える女神に仕える女が性の饗宴に打ち興じた。そのような女たちが居るために、この町はたくさんの人が集まり、ますます栄えるようになった。 船頭や船長たちは稼ぎのすべてをつぎ込むほどだった。

–Strabo “Geography” 8.6.20-23

「この女神に使える女たちがプロスティチュートだったわけですか?」
「歴史書にはたいていそのように書いてありますよ。でも、日本語の娼婦とか売春婦と言うイメージではないんですよ。英語のwhoreとも違うんです」
「どういう風に?」
「前にも書いたように、巫女さんに近い役割を持っていたんです。つまり、女神に仕えると本心から思っていた女性が多かった」
「アフロディテに仕えるとは具体的にはどういうことなんですか?」
「これも、話し始めると長くなるんですがね、はしょっていえば、この巫女さんたちはアフロディテの代理人として信者の身と心を癒してあげたんですよ」
「身と心を癒してあげる、というと言葉は綺麗に聞こえるのですけれど、結局のところセックスするということなのでしょう?」
「そう言ってしまうと身も蓋もないんですよ。でも、結局そういう事なんですよ。この当時は戦争が多かったから、戦いで身も心も傷ついた人が神殿に身を寄せたんですよ。つまり、病院の機能も兼ね備えていたんです。だから、この巫女さんたちは、ある意味では女医でもあり、女性心理療法士でもあったわけですよ。現在ではセックスするという言い方しかないだけれど、むしろmake love ということですよ。『性愛する』という言い方は無いですよね。でも、それに近いですよ」
「私には、まだよく分かりません。」
「ジューンさんがよく分かるように一つのエピソードを話します。ストラボンがコリンスを訪ねたときにはもう廃れてしまった風習になっていたようですが、この町の揺籃期にはすべての女性はアフロディテ神殿でお勤めを果たさなければならなかったのです」
「どのような?」
「つまり、どんなに裕福な女でも、また貧しい女でも、神殿に身を寄せて信者と契りを交わす必要があったんです。美しい女はすぐに信者が選ぶので1日でお勤めを果たせるのだけれど、醜い女だと、なかなか信者が寄り付かず、半年や1年近くも神殿で生活しなければならないと言うこともあったらしい。お勤めが果たせるまで神殿に居なければならなかったわけです」
「つまり信者と性交渉を持つことがお勤めだったわけですか?」
「そうですよ。アフロディテにかわって信者を癒してあげるわけだから、信者はサービスを受けたあとでお賽銭を上げるわけですよね。それが神殿の収入になるわけです。しかし、いつの頃からか専属の女が神殿に住みつき始めたというわけです。そう言うわけで、ストラボンがコリンスを訪れた頃には専属の女が千人以上居たというわけですよ」
「その専属の女たちは、現在で言うなら、アムステルダムの飾り窓の女たちと変わらないわけでしょう?」
「全く違いますよ。そうではないんです。」
「どこがどう違うのですか?」
「つまり、たとえて言えば、ローマ法王が居るバチカン市国の庁舎に飾り窓の女を移住させて、そこに住まわせ、そこで敬虔な信者と宗教的な法悦に浸る。たとえて言えば、そういう事なんですよ」
「つまり、神聖な行為だったと言いたいわけですか?」
「その通りですよ。現在とは考え方が全く異なっていたんですよ。だからこそアフロディテ神殿で性愛の交歓がなされたわけですよ。現在の法王庁で、飾り窓の女が性愛の饗宴をしたら大変なことになるでしょう?でも、コリンスの揺籃期にはそれが“巫女さん”たちの“神聖な”お勤めだったんですよ」
「アフロディテ神殿というのは、そのような事をするために立てられたのですか?」
「そうじゃないですよ。もちろん、アフロディテを祭るためですよ。アフロディテは愛の女神といわれているけれど、当時はむしろ“性愛”の女神だったんですよ。現在は“性”と“愛”が切り離されてしまったけれど、その当時はこの両者は混然としていた。これが切り離されたのが言って見れが中世ですよ。そしてルネッサンスになって、この切り離されていた性と愛をもう一度結びつけるような動きが出てきた。これを象徴しているのがティツィアーノが描いた上のオルガン弾きですよ。僕はそのように、あの絵を見ています」
「なんだか急にお話が飛躍しましたね。。。」
「とにかくね、このアフロディテ神殿がコリンスの市街を見下ろす丘の頂上(アクロコリンス)に建っていたんですよ。現在は、見る影もなく残骸すら残っていないのですが、おそらくアテネのアクロポリスにあるような神殿が建っていたでしょう。“性愛”の女神が神殿の中に祭られていたかもしれません」
「うわー、なんだかすごいですね。本当にこのようなアフロディテ像が立っていたのですか?」
「これは僕が考えた想像図ですよ。実際にはどのような像だったか分かりません。とにかく、アフロディテ神殿が一等地に陣取っていたのは事実なんです。これだけを取ってみても、“性愛”が古代コリント市民にとって、いかに重要であったかが分かるというものです。そしてこの“性愛”を象徴しているのがティツィアーノが描いた絵の中の女ですよ。オルガン弾きがしみじみと覗いていますが、それこそ、古代ギリシャの性愛を見ているわけです。僕はそこにティツィアーノの寓話を見るのです」
「なんだかロブソンさんはこじつけているようですが、でも、言おうとされていることは分かってきましたよ」
「そうですか。これだけ話をしてきた甲斐がありますよ」
「ところで、ロブソンさんのエロチカ・オディッセイはクレタ島で始まりますよね。どうしてですか?これだけコリンスの事を語ったわけですから、ギリシャ本土で始まるのが自然だと思うのですけれど。。。」
「そうですよ。コリンスで始まっても別に問題はないんです。でもね、アフロディテはギリシャ本土で生まれたんじゃないんですよ」
「コリンスで生まれたのではないのですか?」
「違うんですよ。そのことについては次の機会に説明します」



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