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クレタ島の美女 [西洋史・オリエント史]

クレタ島の美女

「アフロディテが“性愛”の女神だったと言うのはちょっと意外でした」
「たいてい、愛の女神と言われていますからね。中世になってから“性”は脱落したんですよ」
「やはり“性”は隠さねばならないものと考えられたのですか?」
「そういうことですよ。ルネッサンスになって“性”がもう一度見直され、アフロディテの姿を借りてヌードが描かれるようになったというわけです」
「ところで、アフロディテがコリンスで生まれたのではないと言うことですが、どこで生まれたのですか?」
「最もよく知られている説に次のようなものがありますよ」

ガイア(母なる大地)は息子のウラノス(天)とまじわって、多くの神々を生みます。大洋(オケアノス)、コイオス、クレイオス、ヒュペリオン、イアペトス(プロメテウスの父)、テイア、レイア、テミス(掟)、ムネモシュネ(記憶)、ポイベ、テテュス、そして末っ子のクロノスです。(これらの12神をタイタン族と呼びます。

大地はつぎに、キュクロプス(円い目)とあだ名される恐ろしい怪物の息子たち(ブロンテス、ステロペス、アルゲス)を生みました。額の真ん中に円い目が一つついている巨神たちです。つづいてコットス、ブリアレオス、ギュゲスといったヘカトンケイル(百の手)を生みます。肩からは百の腕が伸び、五十の首が生えているといった不気味で恐ろしい姿の巨神たちです。

ウラノスは実の子でありながら、キュクロプスたち、ヘカトンケイルたちを最初から憎み、生まれると同時にみな大地の奥に隠してしまいました。怒ったのは母親ガイア(大地)です。金剛の大鎌を用意するとウラノスへの復讐をタイタンたちに訴えました。ひとりこれに応えたのが末っ子のクロノスで、大地は彼を待ち伏せの場所に隠し、大鎌を手渡しました。そしてウラノスがガイアとの交わりを求めておおいかぶさってきた時、息子クロノスは、すばやく父の陰部を刈り取り背後の海原に投げ捨てたのです。 流れる血潮を大地が浴びて生まれたのが、復讐の女神(エリニュスたち)と巨人(ギガスたち)でした。

ウラノスの陰部はしばらく海面に漂っていましたが、やがてそのまわりに白い泡が沸き立ち、そのなかからひとりの美しい乙女が生まれました。彼女は泡(アフロス)から生まれた女神ということで、アフロディテと呼ばれるようになりました。



Birth of Aphrodite by Alaxandre Cabanel (painted in 1863)
(この絵はこの記事の一番下のリンクをクリックすると見ることができます)

「このアフロディテが生まれたときの様子を描いたのが上の絵ですよ」
「上の誕生のお話はなんだかグロテスクで血なまぐさいですけれど、この上の絵はとてもそのような残虐な事件の後で生まれたようには思えないですね」
「芸術はロマンを追い求めますからね。海面に浮いている血まみれのペニスを描いたらロマンチックじゃなくなりますよ。へへへへ。。。。それでは、絵が台無しになってしまいますからね」
「ハハハハ。。。(ここでジューンさん爆笑します) それもそうですわねェ」
「アフロディテはね、もともと古代ギリシャとは関係がなかったんですよ」
「ギリシャの女神ではないということですか?」
「その通りです」
「でも、ロブソンさんはアフロディテは古代ギリシャの女神だと。。。」
「そうですよ。確かにそう言いました。それが通説ですからね。でもね、アフロディテがローマでヴィーナスとなったように、もともとはオリエントからやって来た縁もゆかりもない女神がアフロディテとして古代ギリシャの女神になったんですよ」
「オリエントというとメソポタミアのあたりですね」
「そうです」
「それで、アフロディテは一体どこで生まれたのですか?」
「現在最も知られている説ではキプロスの海で生まれたということになっていますよ」
「キプロス?」
「英語圏の人にはサイプロスと言わないと通じないんだよねェ~」
「ああ、Cyprusですか。それなら分かりますよ」
「サイプロスのどこで生まれたのですか?」
「Paphos(パフォス)ですよ」
「ギリシャから、かなり離れてますね」
「でもね、このサイプロスには紀元前14世紀から13世紀にかけて、ギリシャのペロポネソス半島のアルゴス地方から古代ギリシャ人の一部族アカイア人がやってきて植民地にしたんですよ」
「随分昔の話ですね」
「確かにかなり昔のことだけれど、僕が書いた小説は紀元前16世紀の頃から始まるんですよ」
「そんな大昔の事を書いたのですか?」
「そうですよ。ジューンさん、なんだか呆れた顔して僕を見てますね」
「だって、そんな昔のことが分かりますか?」
「分かりますよ。古代エジプトや初期のクレタ文明から考えれば、まだ最近ですよ。何しろ紀元前26世紀の頃から栄えたんですからね」
「それで、アフロディテはどうしてパフォスで生まれたのですか?」
「アカイア人が最初に住み着いたのがこのパフォスなんですよ。今でも郊外にアフロディテ神殿の遺跡があります。伝説ではすぐ下の写真(一番下のリンクをクリックすると見れます)のトラトゥミュウの海岸で生まれたことになっています。大きな岩が海に浮かんでいるでしょう。あのあたりでアフロディテが誕生したことになっているんですよ」
「マジで?」
「もちろんですよ。僕がでっち上げた話ではありません。」
「でも、どうしてここで?」
「最初に住み着いた人が航海の守り神としてのアフロディテを祭ったわけですよ」
「それで、もともとは何と言う女神だったのですか?」
「オリエントの豊穣多産の女神アスタルテとかイシュタルと起源を同じくする女神だったらしい」
「らしい、ということは特定できないということですか?」
「そういうことです。僕はむしろ豊穣多産の女神であるよりもフェニキア人がもたらした航海安全を司る女神だと思っています」
「それはなぜ?」
「実はアフロディテの別名はキュテレイアと呼ばれているんです」
「どういう意味なんですか?」
「フェニキア人の女神なんですよ。英語ではCythereaとかCytheriaと書きます。上の地図で見ればわかりますがペロポネソス半島の先に小さな島があります。Cytheraと書いてキュテラと読みます。キュテレイアというのはキュテラ島の女神という意味なんです」
「つまり、フェニキア人の航海安全の女神がアフロディテの元祖ということですか?」
「僕はそう見ています」
「では、サイプロスのアフロディテとは関係ないのですか?」
「おそらく同じ女神でしょう?伝説では、サイプラスで生まれたアフロディテを三美神(The Three Graces)がキュテラ島で迎えて、それからオリンパスの山へ案内したことになっていますよ」
「なんだか、こじつけたようですね?」
「伝説というのは、そういうものじゃないですか」
「それで、ロブソンさんはアフロディテは航海安全の女神だと言うわけですか?」
「そうです。だからこそコリンス市民も抵抗なく自分たちの守り神として迎えることができたんでしょうね。とにかく交易によって富を築いた町ですからね。航海安全をもたらしてくれる女神はありがたいはずですよ」
「しかし、その説明ではクレタ島が出てきませんね?」
「気付きましたか?」
「ええ、まだ何かあるのでしょう?」
「そのとおり。うえの地図をもう一度良く見てください。伝説ではサイプラスで生まれたアフロディテを三美神がキュテラ島で迎えたことになっています。何か不自然だと感じませんか?」
「別に。。。」
「アフロディテはサイプラスからキュテラ島へ寄ってそれからオリンパスの山へ行ったことになっています。でも上の地図を見れば一目瞭然のことですが、当然クレタ島にも寄ったはずですよね」
「確かにその方が自然ですね」
「むしろ、上の地図で見るような小さな島、キュテラ島の女神よりもクレタ島の女神の方が功徳があると思いませんか?」
「そうですね」
「クレタ島の文明はミノア文明と呼ばれるのですが、この文明は海洋文明だったんですね。紀元前18世紀から紀元前16世紀にかけて大繁栄したんですよ。コリンスの富など比べようもない程この島は海洋王国として栄えたんです。だから、コリンスが航海安全の女神を必要とするなら、クレタ島の女神を迎えた方がよっぽど理にかなっているんです」
「では、なぜクレタ島の女神を迎えなかったのですか?」
「本当はクレタ島の女神を迎えたかったんですよ。でもね、クレタ島の女神は女上位の女神だったんです。つまり、古代ギリシャのような男上位の社会にはふさわしくなかったんですよ」
「マジですか?」
「ジューンさん、僕が話すことをあまり信用していないようですね?」
「だって、ロブソンさんは時々マジでおかしなことを言いますからね。気をつけてかからないと。。。」
「確かに用心することに越したことはありませんけれど、この話に関する限り、僕はマジですよ」
「では、他の話はフマジですか?」
「フマジって言い方はないと思うなあああ。。。」
「だって、不真面目って言うでしょう。だからマジの反対はフマジ。。。ふふふふ。。。」
「まあ、いいですよ。そのうちその言葉が日本ではやるかも知れませんよ。とにかく、これから僕が話すことにフマジなし」
「分かりました。それで、クレタ島の女神って本当に女上位だったのですか?」
「そうなんですよ。とにかく女性のパラダイスのような王国だったんです。女神の国と言った方がふさわしいくらいですよ」
「そうなんですか?例えばどのようなところが?」

“Ladies in Blue”—fresco from Knossos, 16th century BC.

「上の写真に見るとおり、今から4000年前のクレタ島の女性は、結構ナウい、ファッショナブルな女だったんですよ。クレタ文明を発掘した考古学者アーサー・エヴァンズがフレスコ画に描かれていた彼女たちを見て、思わず“可愛いパリジェンヌ”と叫んだというエピソードが伝わっているほどです。4000年前とは思えないほど現代的なセンスを持っていると思いませんか?」
「言われてみれば確かに現代的なファッションを感じさせますね」
「でしょう?」

「全身を表すとこんな感じになりますよ。どうですか?」
「ちょっとスカートが長すぎるようですね」
「確かに長いですよ。でもね、19世紀のパリの本物のパリジェンヌと比べてみてください」
「どちらの女性と喫茶店に入りたいですか?と問われれば、僕はおそらくクレタ島の女性に声をかけるでしょうね」
「そうですか?」
「そうですよ。第一、こんなでかい幅広のスカートをはいた女性と喫茶店へ入ってみてくださいよ。周りの人が迷惑そうな顔をしますよ」
「確かに、近頃の喫茶店ではテーブルが、バタバタと倒れてしまうでしょうね」
「とにかく、上の二人の格好を見比べると19世紀のパリジェンヌの方がダサいですよ。クレタ島の女性の方がモダンな感じがしませんか?」
「そうですね。。。」

「19世紀の女性と比較するのでは、時代が違いすぎるので、同じ時代のエジプトの女性と比べてみましょう。次の絵の中の女性たちは今から3500年から3000年前の服装をしています。上のクレタ島の“パリジェンヌ”とほぼ同じ時代です」

「一目見ただけでも、エジプトの女性の方がシンプルですよね。。。というか、言葉は悪いですが“土人スタイル”ですよね。クレタの女たちよりも原始的な感じがします。我々の眼には、どう見てもクレタ島の女性の方が現代的な印象を与えます。そう思いませんか?」
「確かにこの写真で比べるとそうですね」
「僕がクレタ文明にロマンを感じるのはそのような理由ですよ。ヘアスタイルといい現代風なスカートといいセックスアピールする胴着といい、19世紀のパリジェンヌよりもパリジェンヌらしいところがありますよ」
「フープ・スカートは、どう見ても時代遅れなので、そのように映るのではないですか?」
「それだけじゃなくて、例えば当時上流社会で流行していた胸を見せる短い胴着(bolero)を身に着けていますよ。当時も細いウエストが好まれたそうです」
「確かにファッションを見ると現代的なところがありますね。でも、それだけでは女性のパラダイス、女神の国とは言えないのではないですか?」
「もちろん、それだけで決め付けるつもりはありません。他にも理由があるんですよ」
「どんな?」
「クレタ文明が栄えた紀元前18世紀から16世紀には実権を持っていたのは王ではなく大巫女だったんだ」
「大巫女ですか?」
「そう。英語で言うならHigh priestessですよ」
「つまり女王ということですか?」
「女性だから、女王と言ってもいいんだけれど、やはり宗教的な性格が強かったらしい。中世のローマ法王のような権力を持っていたと思えば間違いないよ」
「王様は居なかったのですか?」
「形式的な王様は居たらしい。でも、実権はなかったようです」
「でも、ミノアと言う名前はそもそも王様の名前でしょう?」
「そのとおりです。ジューンさんの質問に答えますが、その前に、ここでざっとミノア文明の歴史を見てください」

クレタ島はエーゲ海の島々の中では例外的に大きく、面積は四国の半分くらい。石器時代が長く続いたあと、前3000年頃から小アジアやシリア方面から何回にもわたって人々が渡来しました。 ミノア王国の全盛時代は前2000年頃から前1450年頃まで。紀元前2000年頃に、地中海交易によって発展し、クノッソス、マリア、ファイストスなど、島内各地に地域ごとの物資の貯蔵・再分配を行う宮殿が建てられました。宮殿以外にもコモスやパレカストロのような港湾都市が繁栄しました。また、貿易を通じてエジプトやフェニキアの芸術も流入し、高度な工芸品を生み出しました。紀元前18世紀頃には、線文字A(Linear A)を使用していました。この文字は現在でも、まだ解読されていません。

紀元前1700年頃に大地震があって、すべての宮殿が崩壊しました。しかし、やがて元の宮殿の場所に、さらに規模が大きな華麗な宮殿がたてられました。その大地震後を新宮殿時代と呼びます。現在、私たちが考古学博物館で目にするミノア時代の出土品は、この新宮殿時代のものがほとんどです。

紀元前1600年頃には、各都市国家の中央集権化、階層化が進み、クノッソス、ファイストスが島中央部を、マリアが島東部をそれぞれ支配するようになりました。

クレタでは4つの大きな宮殿が発見されており、なかでもクノッソスが主導権を握っていました。新宮殿時代の末期、紀元前1500年頃にサントリーニ(Thera)島で大噴火があり、ミノア文明の力が衰えたのに乗じて紀元前1400年頃ミュケナイのアカイア人がクレタ島に侵入、文化財や貴重な物は略奪されたり破壊されたりして、それ以降クレタ文明は衰退に向かいました。その時代も含めて紀元前1200年までをミノア時代と言います。クノッソス遺跡を発掘したアーサー・エヴァンズが神話伝説に出てくるミノス王の名を取ってミノア文明と名付けたのです。

「これがクレタ文明の略歴ですよ。これを見てもらうと分かるのですが、“紀元前1400年頃ミュケナイ(ギリシャ本土)のアカイア人がクレタ島に侵入”したと言うことが書いてあるでしょう?」
「ええ、確か同じ頃にアカイア人はサイプラスにも移住して行ったのですよね」
「その通りです。この時期に人類が大移動を起こしているんですよ」
「どうして?」
「まだはっきりとは分かっていないのだけれど、どうやら気候と関連があるというようなことが言われているんですよ」
「気候と言うと?」
「この頃、今から3500年前、地球全体が寒冷期になって作物が取れなくなった。それで人類が南下してきた」
「それでアカイア人はクレタ島やサイプラスへ移住したと言うわけですか?」
「北から戦争に強い人たちがやってきたから、押し出されるような形になったんですよ。そのように考えている歴史家も大勢います」
「つまり、大噴火のためにミノア文明が衰えているところに、アカイア人がやってきて、クレタ島がのっとられたと言うわけですか?」
「早い話が、そういうことなんですよ。それまではね、クレタ島は母系社会だったんです。話せば長くなるんですが、紀元前4000年頃までは、ヨーロッパは全域にわたって母系社会だったんですよ」
「どうしてそのようなことが言えるのですか?」
「実は、他のページにこのことを書いたんですよ。でも、英語なんです。まだ訳していません。とりあえず、写真だけここに貼り付けます」

Enthroned Birthing Goddess from Çatal Hüyük 5700 BC.
(The head was restored.)
(この絵はこの記事の一番下のリンクをクリックすると見ることができます)

「わああ、すごーく太った女性が出てきましたね」
「この女神は紀元前5700年頃、人が住んでいたチャタル・ヒュユク(Çatal Hüyük)と呼ばれる集落の遺跡から出てきたんですよ。場所は上の地図の小アジアの中に見つけることができます」
「この女神が出てきたから母系社会だというのですか?」
「この女神だけじゃなく、とにかく圧倒的に女神が多いんですよ。ジューンさんはこの小アジアがアナトリア(Anatolia)と呼ばれていることを知っているでしょう?」
「ええ、知ってますよ」
「じゃあ、その意味は何だと思いますか?」
「意味があるのですか?」
「あるんですよ。“女神がたくさん居る土地”と言う意味なんです。とにかく母系社会だということを考古学者が出土品からも確認しています」
「アナトリア以外からもこのような女神は出てきたのですか?」
「マルタ島からも見つかっています」

“Venus of Malta”

“The Sleeping Venus of Malta”
(上の2つの写真はこの記事の一番下のリンクをクリックすると見ることができます)

「マルタ文明もやはり母系社会だったのですか?」
「そうです」
「それがどうして父系社会になってしまったのですか?」
「すでに言ったように、紀元前4000年頃を境にヨーロッパには人類の大移動があったんですよ」
「やはり気候と関係あるのですか?」
「そうらしい。この時は半農半牧を営むインド=ヨーロッパ語族の祖先がヨーロッパ中・東部に侵入・定住したんです。ジューンさんの遠い祖先の皆さんですよ。もちろんこの人たちは現在と同様、父系社会を形成していました」
「そうなんですか?」
「そうですよ。現在は男女同権といわれていますが、基本的には父系社会ですよね。たいてい父系の姓を名乗ります。この父系社会というのは戦争が強いんです。アナトリアの社会でもクレタの社会でも、大きな戦争と言うものがなかった。その事は遺跡からも確認されています」
「つまり戦いに弱い母系社会は戦争に強い父系社会の集団に追われるような形でクレタ島やマルタ島に移り住んだと言うわけですか?」
「そういうことです」
「では、クレタ島のミノア王はどう説明されるのですか?」
「ミノア王の伝説はアカイア人がギリシャ本土から乗っ取りに来てからできた話なんですよ。それまではミノア王みたいな男の権力者は居なかったんです」
「つまり、大巫女さんが実権を握っていたと言うわけですか?」
「その通りですよ」
「その大巫女さんと言うのは一体どのような人なのですか?」
「ちょっと、長くなりましたから、それは次の機会に説明しますね」


この記事は次のページをコピーして編集したものです。

http://www.geocities.jp/barclay705/crete/lapis5.html

きれいな写真がたくさん貼ってあります。ぜひ読んでみてください。


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