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完全なる結婚 [結婚・婚約・婚礼・結婚ガイド]

完全なる結婚



定さんの結婚

刑務所長などの配慮で、阿部定さんは「吉井昌子(まさこ)」と名前を変えて、誰にも過去を知られず暮らすことになった。
定さんは「吉井」という姓が気に入っていたようだ。
予審調書によると26才の頃、丹波の篠山の「大正楼」で娼妓をしていたが、待遇がひどいので逃げて神戸に住み始めた。
その当時、吉井信子と名乗って二週間ばかりカフェーの女給をしていたことがある。
29才の時には東京の三の輪で吉井昌子と名乗って高等淫売をしていたことがある。
現代風に言えば“コールガール”という事になる。

定さんは、なぜこの名前が気に入っていたのか?

それは、この名前を名乗っていた頃知り合った中川朝次郎(37歳)氏が気に入っていた事と関係があるようだ。中川氏は日本橋区室町で袋物商を営んでいた。定さんは昭和8年10月頃、中川氏の妾になっている。

昭和9年9月頃、中川氏が病気になり定さんの面倒が見られなくなったので相談の上別れている。

その後、定さんは横浜市中区富士見町の「山田」という店でコールガールを始めた。昭和9年の暮に、この仕事で知り合った政友会の院外団という笠原喜之助氏の妾になる。ところが笠原氏は放埒で、まともな手当ても定さんにやらなかったらしい。

“愛情もなく私を獣扱いにし別れようとすると平身低頭して哀願するという品性下劣な男でした。直ぐ嫌になりました。”と定さんは予審調書の中で述べている。

中川朝次郎氏は定さんが関係した男の中では余程気に入ったらしく、“馴染の中川さん”が恋しくなり昭和10年1月、電話で中川氏を呼出し浅草の上州屋で同宿したこともある。
その後も、この中川氏と定さんは会っている。
そのようなわけで、中川氏と“吉井昌子”という名前が定さんの頭の中でしっかりと結びついていたようだ。

いづれにしても、定さんは出所後その名前で(中川氏とは別人と)結婚をし、戦時中は埼玉県に疎開していた。
だが、終戦後、定さんとその夫が平和に暮らしているところに、新聞記者が取材で訪れた。
これによって、夫は妻が世間を騒がせた定さんであることを知り、それまで平和であった暮らしが崩壊した。

『阿部定事件の波紋と後半生』より



デンマンさん、今日も定さんのことを話すのですか?

レンゲさんは、もう定さんの事は飽き飽きしたのですか?

いいえ、別にそういうわけではありませんけれど、たまには他の話題にしたらどうですの?

だから、他の話題にするつもりですよ。

だって、この上に引用した文章は定さんの事ですわ。

でも、上の文章は、話のきっかけのつもりですよ。定さんの結婚は可哀想にも破綻してしまったのだけれど、当時の結婚について考えてみようと思うのですよ。レンゲさん、どう思いますか?

どうですかって。。。デンマンさんが、決めてしまっているのだから、その話になるのでしょう?あたしが、嫌だといっても、デンマンさんは、その話をしますわ。

僕の事をだいぶ理解してきましたね。

デンマンさんとのお付き合いも長くなりましたから。。。それで、結婚を持ち出したということは、またあたしに対する当て付けのような気もしますが。。。どうなんですの?

やっぱり分かりますか?レンゲさんの年なら、すでに結婚して子供が居てもおかしくないんですよ。いつまでも清水君と夜桜見物にうつつを抜かしていないで、そろそろ結婚したらどうなんですか?

また、お説教ですか?

僕はアドバイスのつもりなんだけれど、レンゲさんは結婚だとか、家庭の話題には拒絶反応を示すようだから、レンゲさんの結婚ということではなく、一般論として話をしますよ。

それで、何をおっしゃりたいのですか?

戦後、1946年から1年以上も売れ行きがベストテンに入ったという本があるんですよ。その本の題名に結婚が含まれているんです。レンゲさんは、結構、本を読んでいるから、もしかして知っているかも知れませんよね。どうですか?

それって、カストリ雑誌ですか?

いや、違いますよ。真面目な本です。

分かりませんわ。どういう題名の本なのですか?

『完全なる結婚』というタイトルです。

つまり、今日の記事のタイトルは、その本の題名をつけた訳ですの?

そういうわけですよ。

どういう内容の本なのですか?

話すと長くなるので、僕がまとめましたよ。ちょっと読んでみてください。

『完全なる結婚』



オランダの婦人科医のヴァン・デ・ヴェルデ 【Theodoor Hendrik van de Velde (1873-1937)】 が1926年にドイツ語で出版した診療用マニュアルを翻訳したもの。
この大作は一部分が1930年に『完全なる夫婦』という題名で一度日本語に翻訳された。
その時の翻訳者は共産主義者で、出版社は好色本を乱造していた会社だったので不健全という理由で直ぐに発禁処分にされた。

しかし、発禁にもかかわらず『完全なる夫婦』は“性の解放”のバイブルとして左翼のインテリの間では名前が知られた。
ドイツ語版と英語版は19030年代と1940年代の初期には医学生や若い医者によく読まれた。

戦後、この本を全訳したのは東京帝国大学医学部の学生グループで、こういう本に興味のある人が居るかどうか「朝日新聞」に質問記事を出したところ、1日で100通を越す反応があった。
それで出版する事になったという逸話がある。
この全訳本が出てから直ぐに学術性の低い安い抄訳本が出版され、これがたちまちベストセラーの3位になった。

『完全なる結婚』が戦前、発禁処分になっており、エロチックだという評判が高かった事が多くの読者を惹きつけた。
この本はヴァン・デ・ヴェルデの初めての著作で、執筆当時彼は50代の初めであり、20年間医者としての経験を持っていた。
彼が読者に想定していたのは、主に医療関係者や学歴の高い男性既婚者であり、本の前提となっていた考え方は、
“性交は結婚の基本”というものだった。当時としては非常に進んだ考えだった。

日本人の性意識に対するこの本の最大の貢献は、女性の“性感曲線”に注意を呼び起こし、前戯、後戯、オーガズムといった考え方や実践を強調した事であった。
性交において“男性は教師である”という彼の考え方は、今日では古めかしいが、結婚生活における女性の性交時の感覚や女性の性欲にこれだけの理解を示したことは当時、驚くべき事と思われた。

夫婦の性行為を正々堂々と論じる事が大衆にアピールしたため、これを真似して1949年に『夫婦生活』という雑誌が創刊された。
『夫婦生活』はたちまち月刊3万部を越えた。この雑誌があまりに評判となったため、カストリ雑誌の時代はこれで終わったと言われる。

『夫婦生活』が、それまでのカストリ雑誌と根本的に違うのは、結婚を性交に結びつける事によって、性交は恥ずべき行為ではなく正当な行為であって、男女が互いを分かち合い、互いに楽しむ事を両性の平等の象徴とした事である。

『完全な結婚』についてさらに知りたい人は次のリンクをクリックして読んでみてください。 “『完全な結婚』--本とビデオ紹介サイト”

SOURCE: “Embracing Defeat (Japan in the Wake of World War II)”          published in 1999 by John W. Dower

この『完全なる結婚』の本の“経歴”を見ても“歴史は繰り返す”ということを物語っていますよ。

どういうことですか?

この本は1926年に書かれ、日本に初めて紹介されたのは1930年ですよ。“阿部定事件”が起きたのが1936(昭和11)年5月18日です。この年に“二・二六事件(軍事クーデター未遂)”が起きている。要するに、定さんが事件を起こしたのは、大正デモクラシーが終わりを告げて、軍国主義が始まろうとしていた時なんですよ。

定さんが大正デモクラシーに終止符を打ったわけですか?

僕はそのように見ていますよ。定さん自身が大正デモクラシーの“落とし子”だった。定さんはレンゲさんのように結構、本を読んでいるんですよ。定さんの事件にも、その影響が実に良く現れていますよ。定さんは吉蔵さんを殺害したあとで、傷口の血を手指につけ、吉蔵さんの左大腿部に「定吉二人」という文字を書き、敷布にも「定吉二人キリ」という文字を書き残した。

その事はデンマンさんが、おととい書きましたわ。

定さんが大正デモクラシーの落とし子だということを説明するために、もう一度書きますよ。その定さんは、原作も読んでいたというのだけれど、昭和11年5月5日に明治座で“つや物語”を見たと言う。これは泉鏡花が書いた新派の名作「通夜物語」のことですよ。小きんと言う芸者が出刃庖丁で可愛いい男の田之助を殺して、その血で襖に字を書くのだけれど、定さんは、そこにとても感動したと言うんだ。

“つや物語”

明治の新派全盛時代に書かれた名作狂言。
原作は泉鏡花が明治32年(1899)9月、「大阪毎日新聞」に発表した小説。

明治39年(1906)8月大阪朝日座にて、岩崎舜花の脚色で初めて演じられた。
配役は、花魁(おいらん)・丁山に河合武雄、貧乏な画家・清に秋月桂太郎が扮した。



昭和11年(1936)5月明治座にて、昭和新派のエース川口松太郎の新脚色で「新版つや物語」として上演された。
配役は丁山にあたる芸者小今に花柳章太郎、清に柳永二郎が扮した。

演者、脚色者とも若い世代で、古くなった新派の定番狂言をリニューアルしようとした。
しかし、当時まだ原作者の泉鏡花が影響力を持っていたことから失敗した。評判もあがらなかった。

丁山が出刃包丁で宿敵ともいうべき笹山を倒し、自分の乳房をえぐった血で恋人・清に襖に絵を描かせ、息絶えていく血まみれの凄惨な場面が見ものだった。

この演劇の世界は、言ってみれば、大正デモクラシーのエログロナンセンスの世界ですよ。愛憎の果てに花魁・丁山が出刃包丁で宿敵ともいうべき笹山を殺し、それから自分の乳房をえぐって自殺する。その血で恋人・清に襖に絵を描かせながら息絶えていくわけですよ。この血まみれの凄惨なシーンは、どう考えても、純情な神経で見られるものではない。芸術に陶酔してエログロナンセンスの世界にどっぷり浸(つ)かった定さんだからこそ感銘を受けるんですよ。普通の女性なら、怖いもの見たさで見ることは出来るかもしれないけれど、感銘するよりも“おぞましさ”を感じますよ。僕だって、この演劇を見たことはないけれど、荒筋を読んだだけで感銘よりも、狂気の世界を覗いたような気がしましたよ。

でも、定さんは感銘を受けたのでしょう?

そうです。その凄惨な場面に感動を覚えたと裁判官に述べているんですよ。「定吉二人キリ」の血書のヒントは、この泉鏡花の原作品から得たというわけです。定さんが太平洋戦争中に青春を過ごしていたら、このような作品を読むことも見ることもなかったでしょうね。

そういう証拠でもあるのですか?

ありますよ。戦争中は、そういう文学作品は“退廃した、不健全な”モノとして発禁処分になった。谷崎純一郎や川端康成のような有名な作家も、戦争中は厳しい検閲を受けたために思うように書けなかった。この二人の作家が“性愛と官能の世界”を書いた作品が世に出たのは戦後になってからですよ。

定さんが読んだ作品も軍国主義の世の中では陽(ひ)の目が見れなかったと言うわけですか?

そうですよ。1930年に『完全なる夫婦』が翻訳されて出版された時も、まだ大正デモクラシーの余熱はあったけれども、この頃から検閲が厳しくなってきた。1925年に制定された、あの悪名高い「治安維持法(大正14年4月22日法律46号)」が出来てから、“特高”の目が光っていた。

特高

特別高等警察は、大日本帝国憲法下の日本で、治安維持の名の下に社会主義・共産主義など反体制思想の活動を弾圧した秘密警察。
俗に「特高警察」や「特高」(とっこう)と略される。
天皇制維持(国体護持)が他の活動より特別に高等(重要)であるとする思想から命名された。

白色テロの実行部隊として悪名を馳せ、「民主主義殺戮法」と呼ばれた治安維持法の実行部隊でもあった。
「票読み一つ誤らない」と恐れられた緻密さを持っていた。
殊に戦時中は、銭湯の冗談も筒抜けになるとまで言われた。

SOURCE: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『完全なる夫婦』も翻訳者が共産主義者であったために“不健全”だと言われて発禁処分になったわけですよ。

定さんが見たと言う“つや物語”は許可されたのですか?

安全弁ですよ。何もかも禁止するわけには行かなかった。現在だって“風俗”が営業を許可されている。やっている事は、ぶちあけた話が売春行為ですよ。しかし、何もかもが禁止してしまうと、民衆の不満エネルギーが政府批判に向けられる。だから“特高”がやっていたような厳しい殲滅作戦はしない。“風俗”業界の金が悪徳政治家の政治資金にもなっている。そういうカラクリになっているわけですよ。

本当にそうなっているのですか?

この記事は風俗撤廃のための記事ではないから、これ以上突っ込みませんよ。でもね、“つや物語”の脚色家が共産主義者だったら、間違いなく上演停止になっていましたよ。当時、資本家を危機に晒すような主義は絶対に許されなかった。つまり、資本家と軍部の上層部と政治家がしっかりと手を握っていたんですよ。戦争中なら許されなかった“つや物語”も古い時代の話だということで、お目こぼしにあずかり、安全弁にされたわけですよ。

そういうわけで、定さんが“つや物語”を見てヒントを得たわけですの?

定さんが、そう言ってます。彼女は芸術的に感化を受けやすい性格だったと思いますよ。つまり、定さんもエログロナンセンス時代の落とし子なんですよ。

それで、『完全なる結婚』ですけれど、それほど読まれたものなんですの?

とにかく、抄訳版がベストセラーの3位になったんですよ。1946年から1年以上も売れ行きがベストテンに入るほど読まれたんです。 

どうしてそれほど読まれたのでしょうか?

戦争中は検閲が厳しくて、“性愛と官能の世界”に関するものは“退廃した、不健全な”モノだったんですよ。読みたくても読めなかった。でも戦後は「治安維持法」も撤廃されたし“特高”も居なくなった。すべてが解禁になったわけですよ。だから、“性愛と官能の世界”を扱ったカストリ雑誌が“雨後の竹の子”のように大発生したわけですよ。

カストリ雑誌

     



すぐ上の『猟奇』の創刊号に発行者は次のように書いていた。

読者諸賢を啓蒙しようとか、教育しようとかという大それた気持ちは全然ありません

読者諸賢が、平和国家建設のために心身ともに疲れきった午睡の一刻に興味本位に読み捨て下されば幸いです


発行者自身がこのように言っていた。つまり、読み捨てにしてトイレで落し紙にするような、どうでもいい低級な雑誌だった。
一口で言うと“低級桃色風俗雑誌”でした。

カストリ雑誌のカストリは“カストリ”という焼酎から取った言葉。このカストリという酒は、とにかく悪い酒だった。
“カストリ”とは、酒粕(サケカス)から採(と)った焼酎だった。つまり、カスからトッた酒で、カストリ。

この酒は匂いがひどくって、鼻をつまんで飲むものだったらしい。質が悪くて3合(0.54 リットル)飲むと酔いつぶれて意識が無くなると言われた。
どうして、カストリと呼ばれたかと言うと、語呂合わせだった。
“3合で酔いつぶれる” と “3号で雑誌社がつぶれる” とをかけた。
つまり、低級で低俗な雑誌の事を意味するようになった。
だから、長くは続かなかった。
そういうわけで、カストリ雑誌の発行者たちは、立派な目的など何もないと、上のように書いていたほどです。

ずいぶんケバケバしい表紙のものもあったんですね。

でも、上でも書いたように『夫婦生活』と言う月刊雑誌が出来てからは、カストリ雑誌は姿を消していきました。

どうしてですか?

要するに、カストリ焼酎のような悪い酒だったんですよ。現在の2ちゃんねるのようなものですよ。2ちゃんねるは“カストリ掲示板”です。カストリ雑誌は匿名で書いたわけじゃなかったけれど、この“カストリ掲示板”は、匿名をいいことに無責任でいい加減な事を書く。やがては質の良い掲示板やブログに取って代わられますよ。まず間違いなく2ちゃんねるは、カストリ雑誌のような運命をたどりますよ。

つまり、2ちゃんねるもカストリ雑誌のように消えてゆく運命にあると、デンマンさんは思っているのですか?

そうですよ。馬鹿馬鹿しくて、僕はあのカストリ掲示板の95%の投稿を読む気になれないですよ。

『完全なる結婚』も『夫婦生活』もカストリ文化の中から生まれた真面目なものだった。だから、ベストセラーになったと言う事ですか?

少なくとも読み応えのあるものだったんですよ。しかし、戦後のカストリ文化と言うのは“健全さ”を馬鹿にするものだった。つまり、カストリ雑誌がそれを代表するものだった。まさに、“低級桃色風俗雑誌”だった。今でも、カストリ雑誌のようなものがネットにありますよ。僕は“カストリ・サイト”と呼んでいますがね。。。

どのようなサイトですの?

恥知らずで愚かな菜々子がやっているサイトがカストリ・サイトですよ。やがて、カストリ雑誌のように消えてゆく運命です。菜々子とカストリ・サイトについて関心のある人は次のリンクをクリックして読んでみてください。
『菜々子と名乗る愚かで恥知らずなスパマー』

つまり、この菜々子さんがやっているのは、カストリ雑誌のように“低級桃色風俗サイト”ということですか?

そうです。トイレの落とし紙にもならない下らないサイトです。跡形もなく消滅してゆくサイトですよ。見ていてください、来年の今頃には、きれいになくなっているはずですよ。うへへへへ。。。。

デンマンさんに、けなされたら、たまったものではないですわね。うふふふ。。。

まあ、カストリサイトのことを話しても無駄ですからね、本題に戻って。。。カストリ文化と言うのは、現在のネットで言うなら、2ちゃんねる文化や“低級桃色風俗サイト”のようなものだった。もちろん、その中からもすばらしい文化が生まれました。

たとえば。。。?

たとえば、作家の坂口安吾さんですよ。彼は、退廃こそは本当の正直さであり信頼できるものだと書いています。日本は戦争に負けた。武士道は滅びた。でも、堕落と言う真実の母胎によって初めて人間が誕生したのだ、と言ってますね。同じく作家の田村泰次郎さんは色情的肉体こそは崇拝に値する唯一の“肉体”であると主張して、暗にかつての“国体”をこき下ろしていますよ。

つまり、抽象的な“国体”とか国家は無意味であり、愛欲に満ちた孤独な肉体を持つ個人こそ実体のある、信じるに足るものだと言う事ですか?

そうですよ。田村さんの書いた小説『肉体の門』は社会的自我が目覚めた個人主義に基づく“近代への門”だと言うわけですよ。さらに、心中した作家の太宰治さんは、セックス・退廃・愛は革命に等しいとも言ってますよ。

デンマンさんは、むしろカストリ文化に好感を持っているのではありませんか?

そうですよ。軍国主義と比べたら、まだ健全ですからね。戦後の人たちにとって、戦争中はあれだけ嫌な思いをさせられたのだから、カストリ文化が盛んになるのも分かる気がしますよ。でも、2ちゃんねる文化や“低級桃色風俗サイト”のように、いい加減で無責任なものはダメですよ。カストリ文化が廃(すた)れたのは、“健全さ”を馬鹿にして“退廃”にのめり込んでいった。それで自滅していった。2ちゃんねる文化や“低級桃色風俗サイト”も、結局自滅してゆきますよ。

それで、『完全なる結婚』や『夫婦生活』が戦後の人々に歓迎されたのはどういうわけですか?

カストリ雑誌の“性の退廃”に飽き飽きしてしまった。性の退廃にのめり込んでゆくと、結局は定さんと吉蔵さんのような情痴の世界に迷い込んでゆく。そして挙句の果てに情死だとか、変態死だとか、心中だとか、。。。そういう“おぞましい”ところに行き着く。戦後の人は退廃趣味のカストリ文化にあきあきして、やがて結婚相手との、あるいは人生のパートナーとの“健全な”肉体関係とはどうあるべきなのか?。。。そのような方向へと考えるようになったんですよ。だからこそ、真面目に性生活を扱う『完全なる結婚』や『夫婦生活』が歓迎された。

封建的な夫婦生活から近代的な夫婦生活に目覚めたと言うわけですか?

そうですよ。レンゲさんも、なかなか気の利(き)いた事を言いますね。実際、古い封建的な「家」に縛り付けられていた多くの女性たちが『夫婦生活』を購読していたらしいですよ。

どうしてそれほどまでに?

儒教的な男尊女卑の弊風が江戸時代から明治、大正、昭和と続いていましたからね。江戸時代の儒学者・貝原益軒(1630-1714)が『女大学』の中で言ってますよ。「女は三界に家なし 生じては親に従い 嫁しては夫に従い、老いては子に従う」とね。。。

女大学

江戸時代中期から明治時代にかけて流布した女子の日常生活における教訓書。
著者・成立年代については不詳であるが、1729年(享保14年)に初版本がある。

貝原益軒が1710年(宝永7年)にあらわした『和俗童子訓』の中の巻之五「女子を教ゆる法」をもとに後人が作成した者とする説が有力である。

19か条を箇条書き形式により、女子教育の必要と理念(3か条)および婚家での婦人としての心得(16か条)について諭(さと)している。

これは、両親・舅・姑・夫への絶対服従をはじめ、近世における社会・家族制度のもとでの家を存続し強化するのに必須の女子教訓を簡潔な形で示したものである。

SOURCE: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、良い女は生まれつき男の下にあると言う教えですよ。さらに、性生活でも、男は性欲に溺れても自然だけれど、育ちの良い女は絶対にそうであってはならないと教え込まれた。要するに、育ちの良い女は、寝床で男に抱かれても冷凍されたマグロのように、じっとして横たわっているように、と言う教えですよ。

いややわあああ。。。。

レンゲさんが嫌だと言っても、昔はそういう教えが当たり前だったんですよ。女は「良妻賢母」となる運命にあるとされ、男が支配する「家」に身をささげる事が女の最大の義務とされた。軍国主義の戦中では、そのような「家」が果たすべき義務が、天皇の国家に奉仕する事だった。男の子は長じて皇軍の兵士になったし、女の子は挺身隊の一員となって軍需工場で働かされた。ところが、戦争に負けて、大日本帝国は幻になって消え去った。それとともに「女大学」も消え去った。

それで、どうなったのですか?

アメリカからナイロンストッキングがもたらされたけれど、そのストッキングのように戦後は、日本の女も強くなった。アメリカの民主主義もストッキングとパンティーと一緒にもたらされた。女は男の支配下にじっとしている必要がないことが分かった。

男女平等と言うわけですね。

そうですよ。男女平等は「愛情」だけにとどまらなかった。性的満足でも女は男と同様に快楽を共有したいと思った。こういう風潮の中で、『完全なる結婚』と『夫婦生活』が迎えられたわけですよ。

なるほど。。。それで『完全なる結婚』がベストセラーになたわけですね。

そうですよ。性的快楽と結婚が男女平等の下にしっかりと結び合ったんですよ。女性は、もう冷凍されたマグロのように、じっとして横たわっている必要はなくなったんです。夫婦がお互いにセックスを楽しむ事が両性の平等の象徴にまでなったと言うわけですよ。そうして、戦後半世紀がたちました。日本は経済大国にもなったし、長寿国にもなったんですよ。ところが、結婚生活で男女が平等に性生活を楽しむはずだったのに、最近の国際的な調査では、日本人が性生活満足度では最下位という結果がでていますよ。

うっそおォ~~

ウソじゃないですよ。次の記事を読んでくださいよ。

性生活満足度ランキング最下位は日本

AP通信によると、米シカゴ大学の研究グループが29カ国・地域を対象に実施した性行動・態度に関する調査の結果が、学術誌アーカイブス・オブ・セクシャル・ビヘイビアー4月号に発表された。
それによると、性生活に満足している人の割合が最も高かったのはオーストリアだった。
71.4%が「満足している」と答えた。
一方、最も低かったのが日本で25.7%だった。

上位5カ国は、オーストリア71.4%、スペイン69.0%、カナダ66.1%、ベルギー64.6%、米国64.2%。
下位5カ国は、タイ35.9%、中国34.8%、インドネシア33.9%、台湾28.6%、日本25.7%

ただし、この研究の対象者は40歳から80歳まで。

SOURCE: AP通信 (2006年4月19日)


結論(Conclusion)

A number of sexual problems were found to be frequent in this large sample of women and men aged 40–80. Physical, social/emotional, and relationship factors were all found to have a significant impact on the prevalence of one or more sexual problems. In addition, we observed an important gender difference: increasing age was more consistently associated with sexual problems among men. Thus, sexual problems among women and men appear to share similar correlates, but physical factors may play a larger role among men. However, as men age, there may be more psychological and relationship issues as well that influence their sexual satisfaction and performance.

性的問題で肉体的要素が占める割合は、年を重ねるにつれて男性の方に大きく影響する。
しかし、心理的な要素、パートナーとの人間関係が、肉体的要素と同様に性的満足感とパーフォーマンスに大きな影響を与えているようだ。

SOURCE: “Sexual Problems Among Women and Men Aged 40–80”

一体何のために日本は経済大国を目指したのか?日本人は考えてみる必要があるようですよ。

デンマンさんは、どう思っているのですか?

つまりね、経済大国にはなったけれども、本当の人間教育がすっかり忘れ去られてしまったんですよ。だから、本当に文化的な心豊かな人間が育たなかった。それで、家庭崩壊が日本では進んでいるんですよ。

家庭的に問題を抱えているから、性生活で満足感を得るような心のゆとりがないと言う事ですか?

そうですよ。先進国の中では日本が最も家庭崩壊が進んでいると僕は見ていますよ。今夜のテレビニュースを見てください。そのような不幸な家庭に育った人が常識では考えられないような事件を起こしていますよ。親殺しや、子殺しが、日本では珍しい事ではなくなってしまった。アメリカやカナダでも、そういう事件がないわけじゃないけれど、日本ほど頻繁に起こっていませんよ。

つまり、このような荒(すさ)んだ生活の中では、性生活に悦びを見出す気持ちのゆとりがない。だから、満足感など得られるはずもないとおっしゃるのですね。

そのとおりですよ。

デンマンさんは、そう言いながら、あたしに当て付けするために、この『完全なる結婚』を持ち出したのではありませんか?

レンゲさんだけじゃありませんよ。崩壊した家庭に育った人が、現在の日本には相当数居ますよ。ネットを見渡したって、すぐに僕は名指しでそういう者たちを挙げる事が出来ますよ。えっけん君だとか、DEMPA55、上で紹介した菜々子などが崩壊家庭で育った者たちです。この人たちの書いている事、やっている事を見ていると境界性人格障害を患っていることが実に良く分かりますよ。この人格障害は家庭崩壊に起因している場合が多いんですよ。

デンマンさんは、あたしもそうだとおっしゃるのですね?

レンゲさんは、自分でそう言ったんですよ。。。忘れてしまったのですか?

でも、。。。でも、。。。

でも、ナンですか?

あたしは、DEMPA55さんと一緒にされたくないんです。

けれど、家庭崩壊が元で人格障害になっているんですよ。DEMPA55もレンゲさんも。。。 

だけれど、DEMPA55さんのように、あたしはネットストーカーではありませんわ。

レンゲさんは、ネットストーカーではありませんよ。でも、考え方によったら、もっと危険なことをしていますよ。

もっと危険な事。。。?

そうですよ。。。ファンディーをはいて、清水君とパンツの中でつながったままドライブして夜桜見物に出かけたでしょう?

だから、。。。あたしは言ったではありませんかぁ~~。。。あたしたち、ドライブしている最中はしませんでした。

しませんでしたって、。。。パンツの中でつながっているんですよ。しているじゃありませんか。

“パンツの中で
 つながったまま、
 カップルが
 80キロで走行中に
 エッチに夢中になって
 ガードレールに激突、
 そのまま昇天!”

こんな事になったら目も当てられませんよ!

だから、ドライブしている時には、夢中にはならないようにしているんです。

つまり、なんですか。。。つながってはいるけれども、荒川の堤に着くまで我慢していた、と言うわけですか?

(聞こえないくらいの小さな声で)。。。そうです。

それで、夜桜を眺めてから、花咲く桜の木の下でゆっくりと愛し合ったわけですか?

(うつむくようにしてレンゲさんはうなづきました。)

夜桜の下で愛し合うなんて風流で、うらやましいと思うけれどさぁ~、ドライブ中につながっているのは、やっぱりエログロナンセンスだと思うなあ~~。

いけませんか?

ファンディーをはいてドライブする必要はないでしょう?荒川の堤に着いてからゆっくりとつながればいいじゃないですか?

デンマンさんはあたしたちの気持ちを、ちっとも理解していないんですわ。あたしも洋ちゃんも、いつでも愛し合っていたいんです。

でも、ドライブしている時ぐらい離れていたっていいじゃないですかぁ~?人生は長いんだから。。。交通事故を起こして死んでは元も子もないんですよ。どうしてアパートのベッドの中でゆっくりと楽しまないのですか?高速道路に出て80キロで突っ走りながらじゃないとスリルがなくてつまらないのですか?

それって、。。。それって、絶対にあたしたちをコケにしていますよねぇ?

違いますよ。レンゲさんのことを僕は心配しているんですよ。

いいえ、。。。デンマンさんは、またこの記事の中であたしを可笑しな女にしているんですわああああああああ~~

【ここだけの話しですけれどね、今日もダメだったですね。。。格調高く終わらせようとしたのですけれど。。。へへへへ。。。でもね、レンゲさんの話の続きは、ますます面白くなりますよ。どうか期待して待っていてくださいね。もっとレンゲさんのことが知りたいのなら、下にリンクを貼っておきましたからぜひ読んでくださいね。】

       
レンゲさんの愉快で面白い、そして悩み多い日々は
次のリンクをクリックして読んでください。

■ 『レンゲさんのこれまでの話を読みたい人のために。。。』

■ 『レンゲさんの愛と心のエデン』

レンゲさんをもっと知りたい人は。。。。

■ 『女探偵ふじこが試みたレンゲさんの素行調査』

■ 『“愛の正体” と “レンゲのテーマ”』

■ 『不倫の悦びと苦悩』

■ 『レンゲさんのように苦境から立ち上がった女 ー グロリア・スタイナム』

レンゲさんの写真を見たい人は。。。

■ 『レンゲさん、あなたは実はメチャ美人なんですよ!』

 


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