SSブログ

性愛の自由の影に。。。 [日本人・日本文化]

性愛の自由の影に。。。

額田女王(ぬかだのおおきみ)の
天智天皇批判?





茜(あかね)さす 

紫野行き

標野(しめの)行き 

野守(のもり)は見ずや 

君が袖振る


原文:茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流

意味: 茜色の光に満ちている紫野(天智天皇の領地)で、あぁ、あなたはそんなに袖を振ってらして、領地の番人が見るかもしれませんわ。後で、その番人が天智天皇に告げ口するかもしれませんわよ。

「君」は後に天武天皇になる大海人皇子(おおあまのみこ)、標野(しめの)は上代、貴族の所有で、一般人の立ち入りを禁じた領地。
この歌は大海人と額田女王との恋の歌とされている。

大化の改新から壬申の乱にかけて活躍し、万葉随一の女流歌人と言われた額田女王(額田王とも書く)は神に仕え、神祇を司る巫女であった。
彼女はまた絶世の美女とも言われていた。天智天皇・天武天皇に深く愛された。
彼女の生きた時代には、朝鮮半島への出兵があり、白村江(はくすきのえ)の戦いがあった。
飛鳥から近江への遷都、壬申の乱といった事件も起きた。
激動の歴史の中で、額田女王は、ひたすら自らの想いに忠実に生きた。



この歌には額田女王の性格が、生き生きと現れている。
美しく、才知にあふれ、強く情熱的な女性。
彼女は、巫女としての自分と、二人の天皇の愛の間で揺れ動く女としての自分、そして天武天皇との間にもうけた十市皇女(といちのひめみこ)の母としての自分という、複雑な立場からの葛藤の中で悩みながらも、自分を高く維持し、歴史の荒波に耐えて、鮮やかに生きぬいた。

戦後、女性が性的に“解放”されたのは、『完全なる結婚』だとか『夫婦生活』が出回った事がかなり影響したようです。
女性が“性の平等”に目覚めたのもこのような本や雑誌の影響を見過ごす事は出来ないでしょう。

しかし、現在、本当に性の平等になっているのか?

初めて『完全なる夫婦』が日本語に訳された1930年から数えて今年で76年目です。
戦後訳されて出版された1946年から数えても、60年の歳月がたっています。
しかし、残念ながら本当に性が平等になっているとは言いがたいですよね。
次の統計を見れば明らかです。

性生活満足度ランキング最下位は日本



AP通信によると、米シカゴ大学の研究グループが29カ国・地域を対象に実施した性行動・態度に関する調査の結果が、学術誌アーカイブス・オブ・セクシャル・ビヘイビアー4月号に発表された。
それによると、性生活に満足している人の割合が最も高かったのはオーストリアだった。
71.4%が「満足している」と答えた。
一方、最も低かったのが日本で25.7%だった。

上位5カ国は、オーストリア71.4%、スペイン69.0%、カナダ66.1%、ベルギー64.6%、米国64.2%。
下位5カ国は、タイ35.9%、中国34.8%、インドネシア33.9%、台湾28.6%、日本25.7%

ただし、この研究の対象者は40歳から80歳まで。

結論:

性的問題で肉体的要素が占める割合は、年を重ねるにつれて男性の方に大きく影響する。
しかし、心理的な要素、パートナーとの人間関係が、肉体的要素と同様に性的満足感とパーフォーマンスに大きな影響を与えているようだ。

SOURCE: AP通信 (2006年4月19日)
“Sexual Problems Among Women and Men Aged 40-80”

日本に本当に“性の平等”が根付いているならば、このような統計は表れないはずですよね。
なぜなら、心理的な要素、パートナーとの人間関係が、肉体的要素と同様に性的満足感に大きな影響を与えているようだと報告されている。
確かに、そうだろうと僕も思います。

つまりね、日本は戦後、焼け野原から経済復興を遂げて、経済大国になった。
ハイテク工業立国にもなった。
世界で有数の長寿国にもなった。
このことを自慢に思っている日本人は意外に多いですよ。

でもね、こうして性生活満足度の調査をすれば、日本人の夫婦生活が外国と比べてすっかり荒(すさ)んでいることが、はっきりと表れてしまう。
つまり、現在の日本では、不満を抱えている夫婦が4組に3組あると言う事ですよ!

現在の日本人は性と愛の点で
額田女王が生きていた頃よりも
不幸なのではないか。。。?

江戸時代から明治時代を経て、戦争中も女性の“性”は抑圧されていた。
結婚生活の中で女性が性的満足感を詠(うた)いあげるなんて、とても考えられなかった。
女は天皇の国家に奉仕する“家”の制度の中で“重い荷を背負わされ”、男に抱かれても、冷凍されたマグロのように寝床の中で、じっとして横たわって居なければならなかった。

実際、そのような教えを受けて、良家の女はマグロでなければならなかった。
このような『女大学』的な“教え”の中では“性の平等”など望んでも実現できる事ではなかった。
でも、もちろん当時の女性に不満がなかったというわけではないでしょう。

でも、その不満を口に出す事が出来なかった。
本音では不満でも、建前ではあくまでも『女大学』の“教え”を守らなければならなかった。

分かりますよね。
“建前”と“本音”!

日本に、こういう考え方が根付いてしまった背景には、“性の不平等”が長い間、日本文化の中に温存されていたからだと僕は信じているほどですよ。
僕の妻は京都出身ですが、旧家の生まれですから、お公家さんの流れをくむ、しつけの厳しい家庭に育ちました。
だから、本音と建前を使い分けるのがとても上手ですよ。
もちろん、京都出身の人がすべて本音と建前を使い分けるのが上手だと言うつもりはありませんよ。へへへへ。。。。

概して、日本では女性の方が昔から(性的以外にも)抑圧されていたので、本音と建前を使い分ける人が多いですよね。
もちろん例外は居ます。
大正昭和では阿部定さんなどは本音で生きた人でしょうね。
本音で生きた結果、あのような事件を起こしてしまった。

最近では、レンゲさんでしょうね。
ファンディーをはいてパンツの中でつながりながら、高速道路を80キロのスピードで突っ走る。そうしながら清水君とエッチに夢中になってしまう。
まだ交通事故を起こしていませんが、このまま続けていれば、遅かれ早かれ事故を起こしてしまいますよ。
平均的な女性ならば、本音では考えていても、建前ではOKしないものですよ。

でも、レンゲさんは本音の人だから、ついついやってしまう。
阿部定さんのような事件になったら取り返しが付かないのですが、レンゲさんにはまだよく分かっていないようです。
だから、本音だけで生きるのも、このように問題がある場合もありますよね。

これは余談ですが。。。、
でもね、古代の日本では、男と女が互いに平等な性の喜びを分かち合うと言う理想を、詩や散文の中で謳(うた)いあげていたんですよね。

どうしてそのような事が言えるのか?

額田女王(ぬかだのおおきみ)が、このページのトップで引用したような歌を詠(うた)っていたわけです。

つまり、額田女王が生きた奈良時代というのは、男と女が互いに平等な性愛の喜びを分かち合うと言う理想を和歌の中で詠(うた)い上げるという自由な気風があったということですよ。
奈良時代、平安時代の女は、江戸時代や明治時代の女よりも自由恋愛をしていた、と言うことができると思います。

さらに現在、日本で不幸な結婚生活を送っている75%の妻たちよりも奈良時代、平安時代の女は性愛の喜びを感じていたのです。
どうしてそのような事が言えるのか?
それは次の結婚生活に不満を抱いている妻たちの嘆きを読むと実に良く分かりますよ。
あなたもそう思いませんか?

夫のパンツは雑巾と便座カバーと一緒に洗濯します。

夫のパンツを洗うために大学を出たんじゃないわ!

夫のパンツを見るとムカつく!

夫のパンツの中にムカデを入れておいたわ。

汚い夫とは、もう2年やってません。

ウンチの付着した夫のパンツを洗わされるのはもう嫌です。

私の横でパンツいっちょになった夫のパンツを見たら吐き気を催(もよお)しました。

夫のパンツは汚いから、捨てる割り箸でつまんで洗濯機に入れています。

夫のパンツと一緒に自分のパンツは洗いません。

最近、夫のパンツを見るのもイヤです。

これは、つい最近、結婚生活に不満な妻たちの“グチ”を、僕がネットで調べてここに書き出したものですよ。
こういう愚痴を、もう少し文学的に表現すれば、良い作品が出来ると思うのですけれどね。。。

少なくても歌の中で額田女王は自由恋愛の思いを謳(うた)いあげていますよ。
汚い男のフンドシのことなど詠(うた)っていませんよね。でしょう? へへへ。。。
そう思いませんか?

文化的な次元の違いに気づきませんか?

僕は、不満を抱いている妻たちが“生(なま)の嘆き”を書いていることは、それなりに意味があることだと思いますよ。
でもね、まったく“文化の香り”が欠如していますよね。

性と愛の満足度ばかりでなく、文化のレベルまでが奈良時代、平安時代の女よりも落ちてしまっているのではないのか?
奈良時代、平安時代にはテレビも洗濯機もありませんでした。

ところで、僕は今でもテレビを持っていませんよ!
下らない民放のアホな番組など見ている暇があったら、まだ読み応えのある記事をブログで書いていた方がマシですよね!
そう思いませんか?

とにかく、かぐや姫の物語が現実になって、人間が月に行ける時代になりました。
技術的には奈良時代、平安時代の人間など想像もつかないようなハイテク時代に我々は生きています!

でもね、文化的には、そして、性愛のレベルでも、奈良時代、平安時代と比べて進化しているとは思えませんよね。
つまり、心の進化ですよ。
人間は技術的・科学的・医学的には進化を遂げてきたけれども、心はむしろ退化していますよ。

その証拠が戦争ですよ!

一人の人間を殺しただけでも裁判にかけられて死刑にされることがある!
人殺しは悪い事に決まっているんですよ!どういう場合でも。。。!
つまり、死刑も法律に基づいた“人殺し”ですよ!人道に反する事ですよ!

ところで、戦争で多くの人間を殺すと勇敢だと言って勲章がもらえる!
このようにして軍神になった人が日清戦争や日露戦争、太平洋戦争には居たものですよ。
僕は馬鹿馬鹿しい事だと思いますね。
こういう馬鹿馬鹿しい考えを当たり前だと思うから、原爆や水爆が作られてしまう!

ところが、ミノア文明の1200年の間には戦争がなかった!
考古学的に戦争の跡が見出されない!
詳しい事は次の記事を読んでくださいね。
『戦争はなくす事ができるものです』

ミノア文明に比べると、“すばらしい”と言われている古代ギリシャ文明や古代ローマ文明も野蛮な文明ですよね。
なぜなら、戦争が絶えなかった。
だから、ミノア人は古代ギリシャ人を野蛮人だと呼んでいた。

現代の我々の住んでいる“アメリカ文明”は、元をたどってゆくと古代ギリシャ文明に行き着きます。
この古代ギリシャ文明は心が退化して出来た文明です。
だから、それまでの1200年の間に戦争がなかったのに、古代ギリシャ人は戦争を好んでやった。そうして領土を広げていった。
“アメリカ文明”はこの古代ギリシャ文明の流れから派生しています。
そういうわけで、“戦争インフラ”を温存している!

ブッシュ大統領がこの戦争インフラを大切に温存しています。だから、中国や北朝鮮も見習っている。
この戦争インフラをなくさない限り、戦争は絶対になくなりません。
なぜなら、戦争をやらなければならない仕組みになっている!
それが“アメリカ文明”ですよ。
この戦争インフラについても、近いうちに書こうと思っています。

例によって、話がそれてしまいました。へへへ。。。。

額田女王のことなんですよね。
太平洋戦争中ならば、この女性の歌はとても活字には出来なかったですよ。
二人の天皇を手玉にして“不倫”という自由恋愛をしている邪(よこしま)な女だというレッテルを捺(お)されてしまうのが関の山です。
これを印刷して出版したら、天皇制を侮辱するものだということで特高に捕まって拷問を受けるのがオチですよ。

ところで、額田女王の歌は、雅(みやび)やかに詠(うた)っていますがね、その歌の内容はかなりきわどいものです。
この歌の相手、つまり、後の天武天皇との間に、額田女王は十市皇女(といちのひめみこ)を儲(もう)けているのですからね。
雅(みやび)な歌の裏には、情熱的な“濡れ場”が隠されています。

。。。と言っても、実は、僕はこの歌に極めて政治的なものを感じるのですよ。 
これまで、この歌の解説書を読んでも、政治的なものをこの歌から読み取ってクドクドと書いている人は、僕の知る限り一人も居ません。
つまり、この歌は愛の歌、恋の歌なんですよね。そう思われてきました。
でも、僕は、そのように単純には受け取れないのです。

なぜか?

それは、額田女王の生きた時代が極めて政治的に波乱に富んでいたからです。
“阿部定事件”について僕はかなりしつこく書いてきましたが、あの事件にも時代的な背景が色濃く出ています。
阿部定さんも時代の落とし子だったんですよね。
彼女があと10年遅く生まれていたなら、あの事件を起こしてはいなかったでしょう。

なぜなら、定さんは青春時代を大正デモクラシーの中で過ごした。
昭和11年5月5日に明治座で定さんは“つや物語”を見た。
これは泉鏡花が書いた新派の名作「通夜物語」のことです。
この原作品を定さんは読んでいたんです。
あの血なまぐさい事件は、この作品からヒントを得たと定さんは言っています。
詳しい事は次の記事を読んでください。
『愛は野バラのように』

定さんが10年遅く生まれていたら、青春時代を軍国主義の中で過ごしていた事になります。
つまり、軍国の母になる教育を定さんは受けたはずなんですよね。
「通夜物語」は軍国の母になるような人の心を揺さぶるような話ではないんですよ。

要するに定さんが過ごした大正デモクラシーを無視したら、あの“阿部定事件”を語れません。
ちょうどそれと同じように、額田女王が過ごしたあの政治的な波乱の時代を無視しては、額田女王の恋愛も語れない。
僕はそう思いました。
それ程、額田女王の恋愛には、その当時の政治的な背景が色濃く出ている。

僕が初めてこの歌を読んだのは高校1年生の古文の時間だったように記憶しています。
その時、奇異に感じたのは“額田女王は、どうして後の天智天皇でなく天武天皇の子供を宿したのだろうか?”。。。と言う事だったのです。

そんな事は人の好き好きではないのか?
誰が誰を好きになるかは、もちろん人の好き好きですよね。
でも、その当時の時代的背景を無視したら、やはりこの選択も可笑しな事になってしまいます。

たとえばですよ。政治家で誰が好きか?
太平洋戦争が華々しかった頃、後に首相になった東条陸軍大臣の積極的でハキハキしているところが気に入って、やがては首相になる人だろうと考えて、東条さんを政治家で好きな人にあげた人がたくさん居ました。だから、首相にもなった。

ところが、戦後はどうか?
東条さんは負け戦を推し進めた事でずいぶんと批判された。
ゴミ箱を覗き込んで大衆の生活度を見るとか、
ピストルで自殺して死に損なった事を馬鹿にする人だとか、。。。
とにかく、人気がすっかり反転してしまった。

このように、時代的背景が人の評価にも強く影響を与えてしまう。
額田女王の相手になる人物は、二人とも後に天皇になる人物です。
言ってみれば政治的人物です。

だから、政治的な背景を無視して人物を選んだとしたら、その女性は余程の愚か者としか言いようがありません。
しかし、額田女王は“美しく、才知にあふれ、強く情熱的な女性”だった。
どの解説書を読んでも、この女性が愚かだったとは書いていません。

ところで、僕は中学校の歴史の時間に“大化の改新”について学んだことがありました。
僕はとりわけ歴史が好きなわけではなかった。数学とか物理の方が好きだった。
本当に歴史が面白くなったのは社会人になって、松本清張さんとか司馬遼太郎さんの歴史小説を読むようになってからのことです。

でも、中学校の歴史の時間は面白かった。先生が歴史が好きな事が良く分かった。その話し方も熱を帯びて、僕は引き込まれるように聞き入ってしまうことも多かった。
“大化の改新”の話しも面白く聞いたものでした。
今から思えば、その先生は後に天智天皇になる中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の熱烈なファンだったようです。
大化の改新を日本史の上でも大変重要な出来事として評価していたし、この皇子に関しては、ベタ褒(ほ)めにしていたものです。
先生の話を聞いて、確かにすばらしい人物だと言う事が僕にも良く理解できたものでした。
だから、僕も、中大兄皇子は聖徳太子よりもすばらしい人物だと思っていたものでした。

ところが、高校の古文の時間に額田女王の歌を読んだ。
僕にしてみれば、あれほどすばらしい中大兄皇子を選ばずに、額田女王は、後に天武天皇になる大海人皇子(おおあまのおうじ)を選んだ。
僕にはこの点が理解できなかった。
古文の先生も、その辺のところは良く説明しなかった。

そういうわけで、この事は僕には謎めいた事としてずっと後まで不思議な事としてオツムの片隅に残っていた。
ところが、高校を卒業して20年ほどたった頃に、僕は次の歌に出くわしました。

“金木(かなき)つけわが飼ふ駒は引き出せずわが飼ふ駒を人見つらむか”

これは孝徳天皇が詠(よ)んだ歌です。分かりやすいように背景を説明します。
天智天皇と実の妹は恋愛関係にあったという歴史学者が居ます。
僕は、そのような事もありうるとは思っていますが、天智天皇と実の妹が“恋愛”していたとは思いません。
一口で言えば、天智天皇は女性にモテルようなタイプではなかったからです。

しかも、実の妹を本当に愛していたなら、孝徳天皇に監視役として嫁がせるようなことは、初めから決してしないと僕は信じているからです。
孝徳天皇は中大兄皇子(後の天智天皇)の叔父にあたります。つまり、皇子の母親の弟です。
大化の改新をやり遂げた中大兄皇子と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が相談して、いろいろな事情から、中大兄皇子がすぐに天皇にならない方が良いという事になり、後ろから操りやすい叔父を天皇にしたのです。
その監視役として皇子は妹をこの叔父に嫁がせました。
ところが、だんだんとこの叔父が皇子の言うことを聞かなくなった。

大化の改新より8年後の653年、孝徳天皇は遷都の問題で中大兄皇子と対立します。
孝徳天皇は都は現在の難波のままでよいと言うのですが、中大兄皇子は強引に大和へ都を移してしまいます。
孝徳天皇は天皇とはいえ、実権は中大兄皇子が握っています。つまり、孝徳天皇は実権を持たないお飾り天皇です。
しかし、いかに傀儡(かいらい)とはいえ、天皇です。しかも皇子の母親の実の弟(叔父)です。
その天皇を皇太子に過ぎない中大兄皇子が置き去りにしたのです。

その時、皇子は実の妹の間人(はしひと)皇后を無理やり連れて行ってしまったのです。
もちろん、これは僕の解釈ですが。。。

しかし、こんなひどい仕打ちを受けても、なおかつ歌心を忘れていないというところが、なかなかどうして、孝徳天皇は馬鹿にできない立派な人だと僕は感心させられます。
この時に詠んだ歌が上に示した歌です。
国文学者の吉永登さんは次のように解釈しています。

誰よりも愛していたお前を他人が奪ってしまったではないか。
お前は私を捨てて他の男のもとに走ったのではないか。

上の歌を見て、間人(はしひと)皇后が孝徳天皇を捨てたと解釈するのは間違いで、中大兄皇子によって捨てさせられたと解釈すべきだと僕は思っています。
そのように理解したうえで、上の歌をもう一度かみ締めて味わうと、次のようになるのではないでしょうか?

確かに事情はよく分かる。
しかし、結局お前は、夫であり、叔父である、私よりも、実の兄である、中大兄皇子の言うことに従って、私を見捨ててゆく。
人の世は、決してそういうものではないと私は思う。
だが、今となっては、嘆いたところで仕方がなかろう。

間人(はしひと)皇后は無理矢理連れて行かれたのだから、それも仕方がないのだろう。
孝徳天皇は、そのように諦めたのでしょうね。

僕がここで言いたい事は、政治と言うのは政治力、言い換えれば、権力だけで推し進めてもうまく行くものではないですよね。
結局、その政治家の人間性が問題になってきます。
ここで中大兄皇子の人間性を詳しく述べる事はしません。
関心のある人は次の記事を読んでください。
『定慧(じょうえ)出生の秘密』

要するに、中大兄皇子には実行力とやる気があるので、中臣鎌足がこの皇子と組んで実行したのが大化の改新だった。
しかし、もともと鎌足が目をつけたのは孝徳天皇になる軽皇子(かるのみこ)の方だったのです。でも、実行力とやる気がイマイチだった。
それで、中大兄皇子の方と組むと言う経緯(いきさつ)があったのです。

何事かを起こすには、やはり実行力とやる気ですよね。しかし、政治を行うと言うことになると人間性が問題になってきます。
この人間性を象徴する意味で僕は上の歌を引き合いに出したのです。
つまり、中大兄皇子(天智天皇)は、このようは非情な事をする人です。

この天智天皇の政治や生い立ちを調べてゆくうちに、いろいろな事が分かってきました。

■ 『天武天皇と天智天皇は同腹の兄弟ではなかった』

■ 『天智天皇は暗殺された』

■ 『天智天皇暗殺の謎』

僕が、この人物を調べながら感じた事は、天智天皇の人間としての非情さが浮き彫りにされてゆくんですよ。
それで、ハタっ。。。と思い当たったのが額田女王の歌だったわけです。
20年ぶりで額田女王の歌を調べなおしてみました。

すると、ジグゾーパズルの抜けていた箇所が埋め合わされてゆくように、天智天皇の人間像が額田女王の歌からも、よりはっきりと浮かび出てくるのです。
額田女王が、なぜ中大兄皇子ではなく大海人皇子を選んだのか?
20年以上、僕のオツムの片隅で不思議であったこの謎が氷解してゆくような思いでした。

額田女王(ぬかだのおおきみ)は建前で“性の平等”を詠(うた)っていたのです。
でも、本音では天智天皇の政治を嘆いていたんですよね。つまり、批判していたのです。
額田女王は、やはり人間を見極める目を持っていた才媛だったのです。
僕はそう思ったものですよ。

額田女王とは一体どのような女性なのか?

この女性のことを話すには莵道皇女(うじのひめみこ)の事から話し始める必要があります。
当時、高貴の人には、その人が育った土地の名をつけるという習慣がありました。
莵道皇女(うじのひめみこ)と言う名前も土地の名を取ったものです。
莵道(うじ)とは、現在の京都府宇治市のことです。

皇女(ひめみこ)ですから、天皇の娘だと言うことです。
この女性の父親は敏達(びだつ)天皇です。
母は息長真手王(おきながまてのおおきみ)の娘の廣姫(ひろひめ)で敏達天皇の皇后(おおきさき)でした。

同母兄に押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのおうじ)がいます。
皇子は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ:後の天智天皇)・大海人皇子(おおあまのおうじ:後の天武天皇)の祖父(父方)であり、曾祖父(母方)でした。

廣姫が若くして亡くなったので、敏達(びだつ)天皇は蘇我系の豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ:幼名・額田部皇女【ぬかたべのひめみこ】:後の推古女帝)を皇后に迎えました。

ところで、この莵道皇女は敏達天皇の7年に伊勢の斎王(さいおう)になりました。
斎王(さいおう)とは、天皇にかわって伊勢神宮の天照大神(あまてらすおおみかみ)に仕えた女性のことです。
斎王は、天皇の娘やいとこ、天皇の兄弟の子どものなかから占いで選ばれ、都から遠くはなれた斎宮(さいぐう)にやってきました。
天皇の代ごとに斎王を選ぶきまりは、飛鳥時代から660年以上にわたって続きました。

斎王はその役目についている間は独身で居なければなりません。
そればかりではありません。絶対に男に抱かれてはダメだと言う掟(おきて)もあったのです。
斎王は、年に3度、伊勢神宮の大きな祭に参加する以外は、1年のほとんどを斎宮ですごしました。
そこで、毎日、天照大神に仕えるわけです。
斎王が役目を終えるのは、天皇が次の天皇に位をゆずった時や、天皇や斎王の親・兄弟などが亡くなった時でした。

でも、この莵道皇女は掟を破ってしまったのです。
つまり、池邊皇子(いけのべのおうじ)に抱かれたのです。
この情事が露見してしてしまい、皇女は斎王を解任されてしまったのです。

子供ができたことに気づいたのは、斎宮を退いてからのことでした。
莵道皇女にとっては初めての、そしてひどく辛い恋の結晶でした。
斎王の務めを完(まっと)うできなかったという非難が声なき声となって皇女の心に暗い染みを広げたのです。
池邊皇子には既に正妃の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ:泥部穴穂部皇女【はしひとのあなほべのひめみこ】とも言われる)がおり、数人のかわいい御子(みこ)までいたのです。
その中で長男の厩戸皇子(うまやどのおうじ:聖徳太子)は人並外れて聡明だとうわさされました。
莵道皇女の気持ちは塞がれるばかりでした。

皇女の心を気遣って、池邊皇子は彼女を莵道宮(うじのみや)に移しました。
人目が多く、あることないこと噂される大和で出産するのは地獄だったからです。
それよりも皇女が幼時を過ごした懐かしい莵道(うじ)に移った方が、皇女のためになろうとの配慮でした。

莵道皇女はようやく心静まる日々を取り戻し、そこで月満ちて安らかに御子を産んだのです。
池邊皇子は彼女とともに新生児の顔を見守りながら、つかの間の平安な日々を過ごしました。

池邊皇子というのは用明天皇の若かりし頃の名であり、皇子が莵道皇女と通じて生まれた子が鏡王(かがみのおおきみ)だったのです。
つまり、この人が額田女王の父なのです。

用明天皇の宮は『池邊雙槻宮(いけのべのなみつきのみや)』と呼ばれました。
額田女王の名は用明天皇の同母妹・額田部皇女(後の推古女帝)にゆかりのものではないか、と言われています。
額田女王の母は額田部皇女の孫・山背姫王(やましろのおおきみ)とされており、こちらの縁からも額田部皇女に関わりがあります。

額田女王には『莵道宮(うじのみや)』を偲んで詠んだ次のような歌があります。

秋の野の

み草刈り葺き

宿れりし

莵道の宮処(みやこ)の

仮廬(かりほ)し念(おも)ほゆ

『萬葉集7』

この歌は皇極天皇(女帝:中大兄皇子の母)の代に詠んだと萬葉集の詞書(ことばがき)にあります。
額田女王の少女の頃です。
皇極天皇と額田女王は従姉妹同士で、押坂彦人大兄皇子はともに祖父に当たります。
また、莵道皇女は、この二人の女性にとって、ともに大叔母に当たります。
額田女王にとっては大叔母であると同時に祖母でもあります。

この歌はまた、皇極自身の作とも、皇極の気持ちを額田女王が代作したのだとも言われています。
そういう事から考えても皇極と額田はとても仲が良く、気持ちは通じ合っていたと思われます。
この歌の背景には、大叔母の宮をともに偲ぶ気持ちが感じられます。

ところで、額田女王は、推古女帝(額田部皇女)の曾孫でもあり、聖徳太子の姪にも当たります。
額田女王が後の宮廷でなぜあれほど尊崇されたのか、歌の才能以外にもこういう縁があったからだと思います。

なぜ、僕は額田女王の生い立ちを、このように詳しく語るのか?
それは、この女性が情愛に無関心ではいられなかった家庭の事情と、皇極女帝と仲が良く気持ちが通じ合っていた、と言う事を読むあなたに印象付けたいためなのです。
ここで一枚の絵をお目にかけます。

これはかなり血なまぐさい絵ですよね。
実は、この絵は板蓋宮(いたぶきのみや)における蘇我入鹿(そがいるか)の暗殺の場です。
太刀を振り上げているのが中大兄皇子(後の天智天皇)、弓を手にしているのが中臣鎌足(後の藤原鎌足)です。

上の絵をよく見れば、奥のほうに、知らぬ顔を決め込んだ女性が居るのが分かります。
この女性は、誰あろう、この中大兄皇子の母親です。つまり皇極女帝です。
息子が入鹿の首をはねるちょっと前までその場に居たのです。
「これは一体何事ですか?!」
「母上、もういい加減に目を覚ましてください。この入鹿は、自分の思うままに朝廷を動かそうとしているのですよ。しかも、あわよくば、天皇になろうと考えている。母上が、この男をあまりにも、えこひいきするからじゃありませんか!母上は、実の息子よりも、この男のほうが大切だとでも言うのですか?」

こんな風に攻められては、皇極女帝も返す言葉がない。それで、奥のほうへ引きこもってしまったというわけです。
実は、この当時の大臣(おおおみ【総理大臣】)は、入鹿ではありません。彼の父親の蝦夷(えみし)です。
しかし入鹿の権威は、彼の父親を上回るほどになっていました。それはなぜか? 
当然ですが、皇極女帝が入鹿を取り立てていたわけです。

かんぐって想像をたくましくすれば、二人の間には肉体関係があった事でしょう。
しかも、この当時の性関係というのは、大変おおらかでした。それは古事記を読めばよく分かることです。
未亡人の皇極女帝はそのような意味でも、入鹿を可愛がっていたことでしょう。

上の絵で、入鹿の首が御簾(みす)に喰らいついている様子を見てください。
入鹿にしてみれば、皇極女帝が助けてくれるものと当てにしたことでしょう。
ところが、息子に、ちょっと痛い所を突かれたぐらいで、彼女は奥へ引っ込んでしまった。

「オイ!大年増のお姉さん!俺をあんなに可愛がっておきながら、これは一体どういうこったい!俺を見殺しにして、自分だけ引っ込んしまって平気なンかよ!俺は恨むよ!よく見ていろ!このまま喰い付いて離れないゾォ~!」

そういう無念の気持ちが伝わってきませんか?
僕には、入鹿の気持ちがよく分かるような気がします。
この絵を見ると、とにかくすさまじい。
このような怨念の込められた場面というのは、長い日本史を見ても、あまりありません。
詳しい事は次の記事を読んでください。
『藤原鎌足と六韜(りくとう)ーー藤原氏のバイブル』

つまり、皇極女帝から見れば、非情な事をする息子なんですよね。
それが中大兄皇子(後の天智天皇)です。

ここで、額田女王と皇極女帝が気心が知れた仲の良い話し相手であった事を思い出してください。
額田女王は皇極女帝の歌を代作したとまで言われる人です。
要するに、額田女王は個人的に中大兄皇子を良く知っていたばかりではなく、皇極女帝からも、この非情な息子の話を耳にタコが出来るくらいに聞かされていたのです。

しかも、強引な政治のやり方を見ている!
中大兄皇子は、暗殺されるほどのことをやってきた人です!
さらに、中大兄皇子が実の妹の間人(はしひと)皇后を無理やり孝徳天皇から引き離して連れて行くところなども充分に話に聞いて知っている!

こういう血なまぐさい時代を生きてきたのが額田女王です。
その女性が、ただノー天気に“あぁ、あなたはそんなに袖を振ってらして、領地の番人が見るかもしれませんわよォ~おほほほほ。。。”なんて詠(うた)っているだけだとしたら、この女性は愚か者ですよね。
お笑いものですよね?そう思いませんか?
彼女が詠んだ歌に出てくる男は、誰あろう、天智天皇と天武天皇なんですよね。

額田女王が詠った歌を“愛の歌”と見るのか? それとも“政治批判の歌”と見るのか?

あなたはどう思いますか?

正解はありません!

僕は、生前、司馬遼太郎さんが言った事を思い出しますよ。

“作品は作者だけのものと違うんやでぇ~。。。作者が50%で読者が50%。。。そうして出来上がるモンが作品なんやでぇ~”

名言だと思いますねぇ~~。

あなたが読者として、どれだけ50%の分を読みつくすか?
それが問題ですよ!

額田女王が全身全霊の力を込めて詠(うた)ったのがこのページの上で示した歌です。

あなたも、全身全霊の力を込めて。。。あなたの人生経験と、これまで学んできた国文と、日本史と、すべてを噛み砕いた上で理解すべきなのかもねぇ~。

額田女王は、それを期待しながら、1350年後に生まれるだろうあなたに、この当時の波乱に満ちた政治の真相を伝えようと、上の歌を詠ったのかも知れませんよ。へへへへ。。。。

では。。。

ィ~ハァ~♪~!



メチャ面白い、ためになる関連記事

■ 『デンマンのブログを削除した管理人に対する公開抗議文とその面白い顛末』

■ 『日本は軍国主義への道を歩んでいるのでしょうか?』

■ 『2ちゃんねるは世界のネットのために貢献できるか?』

■ 『日本のネットではありませんよ! 世界のネットです!』

■ 『日本の皇室はどうあるべきでしょうか?』

■ 『一体、日本は良くなるの?』

■ 『どうして、こうも犯罪が増えている?警察はホントに駄目になったの?』

■ 『日本人に欠けているものは?』

■ 『日本のネットで迷惑を振りまいているウツケ者たち』

■ 『国際化・グローバル化とはあなたにとってどのようなものですか?』

■ 『日本 ☆ 日本人 ☆ 日本社会 ☆ 比較文化論』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

おほほほほ。。。
卑弥子でござ~♪~ます。
絶対に、しつこいわよねぇ~~、
分かっていますわ。
でもね、デンマンさんが
出なさいって言うんですよ。
どうして?と尋ねたのでざ~♪~ますのよ。
そしたら、今日の記事の話題は
あたくしがマスコットギャルをやっている
『新しい古代日本史』サイトに
直結する話題だから、
宣伝しなさいっつんで
ござ~♪~ますのよ。
それで、また
出てきてしまったのでざ~♪~ます。
おほほほほ。。。。
そういうわけですので、あたくしのことを
憎まないでくださいましね。
よろしくね。
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:恋愛・結婚

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。