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クラシック興味ある? [音楽、民謡、童謡、クラシック、歌謡曲、ポップス]

ん? クラシック興味ある?

クラシックというのは当然の事ですが大衆音楽ではないですよね。
では大衆音楽というのはどのようなものなのか?
大衆にアピールする音楽という事になりますよね。

歌謡曲や演歌です。
でも、僕はこの両方とも感覚的に受け付けないんですよね。
とにかく、紅白歌合戦を30年近く見ていませんから。。。
まともに歌える曲がありません。

カラオケは2度行っただけです。
日本で開かれた高校の同窓会の2次会にカラオケバーへ行きました。
僕は結局1曲も歌いませんでした。

もう一度は、バンクーバーのロブソンストリートにあった日本人が経営しているカラオケバーに行きました。
中国からバンクーバーに留学するためにやって来た3人の女の子がカラオケバーに行きたいと言うんで、付き合いましたがその時も僕は1曲も歌いませんでした。
カラオケと言うのは僕はどうも好きになれないですね。

8年ほど前に上海に行った時にカラオケバーが多いのにびっくりした事があります。
中国人の女の子が、なぜカラオケバーへ行きたいか?という理由が納得できたものです。
とにかく“カラオケ”は全世界へ広まったようですよね。
“カラオケ (karaoke)”はそのまま英語になってしまいました。
バンクーバーにもカラオケを置いてあるバーやスナックがけっこうあります。

実は、僕は20年以上海外で暮らしているのです。
だから、海外志向の僕は、もともと歌謡曲だとか演歌は好きではありませんでした。
いまでも、歌謡曲とか演歌は全く聴きたいとは思いません。

では、どういうものが聴きたくなるかというと日本の民謡や童謡です。

民謡ならば。。。、
津軽じょんがら節、ソーラン節、秩父音頭、五木の子守歌、ドンパン節、デカンショ節、炭坑節、黒田節、。。。
といったものがいいですよね。
この中でも津軽じょんがら節が僕の心の琴線に触れてきます。

それから童謡ですよね。
“夕焼小焼” だとか “月の沙漠” などがいいですね。
僕はある日、近くのショッピングモールへ行ったのですが、
バックグラウンドミュージックに“夕焼小焼”が流れていたんですよね。
“夕焼~♪~け小焼け~♪~の赤とんぼォ~♪~”
もちろん日本語の歌は収められていなくてメロディーだけだったのですが。。。

初めはちょっと不思議な感覚に襲(おそ)われましたが、間違いなく“夕焼小焼”だと分かると、涙がこみ上げてくるような感動がジンワリと滲(にじ)み出してきましたよ。
“ああぁ~~、日本の童謡だぁ~。。。なつかしいなああああ。。。”と、しみじみと思いながら、立ち止まって耳を傾けました。

三つ子の魂(たましい)百までも。。。と言いますよね。
子供の頃の純真な心に響いてきた歌と言うのは、絶対に消えないもののようです。
僕の体に染(し)み込んでいるような歌なんでしょうね。

では、クラシックとは一体僕にとって何なのか?
はっきり言って、どうでもいい音楽です。

僕は音楽が嫌いではないのですが、とりわけ好きでもない。
一応LPを何枚か持っていますが、すべてはアメリカのポップスと洋画の主題曲です。
日本のものは一枚もありません。
もちろん、クラシックは一枚も持っていません。

では、僕のこれまでの人生でクラシックは全く縁がなかったのか?

実は、小学生の頃に僕は知らずにクラシックとの触れ合いがあったのです。
器楽クラブに入っていて4年生の時に“ハンガリア舞曲第5番”を
5年生の時に“美しき青きドナウ”を演奏したことがあります。
僕が受け持って弾いていた楽器はコントラバスです。
あのチェロをもう2回りほど大きくした楽器です。
まだ背が低かったので椅子の上に乗って弾いたものでした。

今では楽譜が読めますが、その当時は楽譜を読んで音を出していたわけではないんですよ。
先生が一通り指の位置を教えてくれたのです。
そうやって、記憶しながら弾いたのですから、今から考えると自分ながら“神業(かみわざ)”ではなかったのか?!と思えるほどです。
関東甲信越地区のコンクールで3位になった事があって、
そのとき審査委員長から“ベースの響きが良かった”と褒(ほ)められたことを覚えていますが、
それ程うれしくはなかった。
当時はもう、器楽クラブで演奏する熱が冷めていて、どうでもいい気持ちで演奏していたためです。

ところが、中学生になってから、再びクラシックとの出会いがありました。
クラシックとの出会いと言うより“乙女”との出会いと言った方が良いかもしれません。

中学校に入学して間もなくだった頃だと思いますが、全校生徒が体育館に集まった時に同学年の恵美子さんが“乙女の祈り”をピアノで独奏したのです。
僕はその時初めてこの曲を聴いたのですが、すばらしいと思いました。
感動しました。
曲も良かったけれど、あの恵美子さんが弾いたのだという事も感動的でした。
この恵美子さんは小学校のとき6年間隣のクラスに居た可愛い女の子だったのです。

よく目にした事はあっても口をきいたことが一度もなかったのです。
初恋の人ではなかったのですが、僕の気に入った女の子でした。
遠くから見ていて、可愛い女の子だなぁ~と思っていたのです。

小学校ではクラス替えがなくて6年間同じメンバーだったのですが、中学校では学年毎にクラス替えがあったので、この恵美子さんと同じクラスになる事を期待していたのです。
しかし、とうとう同じクラスになる事はありませんでした。
(こういう思い通りにならない事って、人生にはずいぶんとあるものですよね?)

とにかく、僕が気に入っていた“乙女”が弾いた“乙女の祈り”が忘れられなくて、僕はどうしてもこの曲が弾きたくなった。
大学に入学して下宿から通うようになった頃、下宿にピアノがあったので楽譜を買ってきて、独習で弾き始めたのです。
とにかく、一生懸命に独習したので、何とか全曲を弾けるようになったのです。
自分では結構マシに弾けると思ったので、ぜひ恵美子さんに聞いてもらいたいなぁ~と思い始めたんですよ。

そう思ったら、何が何でも恵美子さんに聞いてもらいたいと思うようになった。
それで、夏休みに帰省した時に思いきって恵美子さんに電話したのです。
当時、恵美子さんは音楽大学に通っていました。
恵美子さんはビックリするだろうと思ったのですが、極めて落ち着いて冷静に受け答えしていたので僕のほうがその落ち着き方に内心ビックリしたほどでした。

これまでに一度も言葉を交わしたことのない女性に初めて電話して僕のピアノの演奏を聞いて欲しいと言ったのですからね。
もちろん、どうしてそういう気持ちになったのか、かいつまんで説明しましたが、今から思うと“すっご~い心臓”を持っていたものだと、自分ながら呆れる思いです。
その後、恵美子さんがコンサートピアニストになったのかどうか、僕は、もうぷっつり連絡していないから全く分からないのです。
僕は社会人になると間もなく海外へ出てゆきましたから。。。

当時、彼女の家にはグランドピアノがあって、その頃でもピアノ教室が別棟にあって、そこで子供たちに教えていました。
とにかく、恵美子さんに会ったのは前にも後にもそれっきりなんですよね。
電話した事もなければ、手紙を書いたこともない。
本当にその時会ったのが初めで最後!

まず、このように書いても誰も信用してくれないと思いますが、これは実話です。
恵美子さんの名前は本名です。
僕の生まれは行田市です。

もしかして、この記事を恵美子さんが読む事があれば、すぐに僕が誰かと言う事が分かるはずです。
もちろん、僕は恵美子さんにまた会いたくなったから、と言うのでこの記事を書いているわけではありませんよ。
小学生のときに芽生えた“乙女”に対する思いが僕の“乙女の祈り”の演奏を聴いてもらう事によって完結した。
言ってみれば、そのような儚(はかな)くも淡い“恋”ではなかったのか?
もちろん、それは“片思い”にすぎなかったのだけれども、僕はその片思いをあのような形で完結したのだと。。。
今から思い返すと、そう思えるのです。

しかし、ずいぶんと下手くそで間違った演奏を聞かせたものだと、気恥ずかしくなりますよ。
この記事を恵美子さんがもし読む事があったら、夢のような馬鹿ばかしい思い出として、苦笑しながら思い出すことでしょう?

お恥ずかしい事ですが、クラシックだと言われている“乙女の祈り”を誰が作曲したのか?この記事を書くまで知らなかったという“おまけ”までがついていますよ。うへへへへ。。。。
ついさっき調べたら次のような事が分かりました。

1856年作曲

乙女の祈り (La prière d'une vierge)

テクラ・バダルジェフスカ (Tekla Badarzewska)

(1834年1月1日~1861年9月29日)

生誕地:ワルシャワ、 ポーランド

なんと、この人物は27歳で亡くなっているんですよね。
冥福を祈りたいですね。

とにかく、この人物が“乙女の祈り”を作らなかったら、僕は恵美子さんに会うことはなかったんですよ。
小学生の時に、恵美子さんのことを可愛い女の子だなぁ~と思っていただけで、一生会って言葉を交わす事はなかったはずです。
クラシックの“威力”なのでしょうか???

Last, but not least...

ところで、この記事を書こうと思ったのは恵美子さんの事が書きたくなったためではないのです。
たまたま、太田将宏さんがクラシックの本を書いて僕にコピーを送ってくれたからです。

『前奏曲集(あるアマチュアの覚書) 作品1の1』 
初版が1989年7月。
改訂版が2006年2月です。

僕が受け取ったのは2部のうちの最初だけですが100ページの労作です。
太田さんが20年ほどかけて書き溜めたものを本にしたように見受けました。
とにかく、僕がこの種の本を読むのは初めての経験なのです。
初めは戸惑いながら読み始めたのです。

分かるでしょう?
僕はクラシックというものを理解しようと思ったこともないし、
クラシックにハマッたこともないし、
クラシックが好きだとも思っていません。
しかし、太田さんから本を受け取って読むうちに“僕にとってクラシックとは何なんだろうか?”
。。。そう思い立って考えて書いたものがこの記事だというわけです。

太田さんは現在カナダのトロント郊外に住んでいます。
もう、10年以上もお会いしていませんが、クリスマスカードのやり取りは毎年続いています。
僕が初めて太田さんに会った頃は、長女のかえでちゃんが生まれる頃だったと思いますが。。。
そのかえでちゃんが、現在ではカナダの大学の医学部を卒業して小児科の女医さんになってカナダで活躍しているのですから。。。
月日の経つのは早いものだと思います。

太田さんがクラシックとかかわりを持っていたことは、僕も20年ほど前から知っていましたが、
これほどクラシックと共に生活していたとは、本を読むまで分かりませんでした。
つまり、アマチュアの中にもプロと同じ程度にクラシックと共に生活している人が居ると言う事を、この本を読んでしみじみと感じさせられました。
とにかく、サラッと読んでしまうのは、あまりにも失礼だと思わせるような内容なので、僕は、じっくりと時間をかけて読ませてもらいました。
なかなか読み応えのあるものでした。

残念ながら、僕が知っている曲はほとんどないので、本の内容を充分に理解したとは言えません。
しかし、ページのそこここに太田さんが顔を覗かせていて、久しぶりにご本人に会うような気がして、つい釣り込まれるようにページを読み進んでゆきました。
目下、2度目を読み始めているところです。

Ludwig van Beethovenのページで太田さんが次のように書いていました。

レコードの欠点は繰り返して聴く事ができる事である。
ついつい、音楽をあたかも所有しているかの様な錯覚に陥る。
反面、この事は、一寸ややこしい音楽を聴こうとする場合には実に助かる。

また、一般の演奏会のプログラムにありがちな、聴きたくない曲は聴かないですむのが有難い。

私はと言えば、音楽は殆どLP、テープやCDで聴いている。
言ってみれば、舞台には出るが、映画には出演しない俳優は幾らでもいる。
同様に、レコードには録音しても、ステージには出たがらない演奏家がいても、なんら不思議ではない。
聴き手だって同様であろう。

いや、長い間、音楽を聴きたかったら自分でピアノを弾く、といった生活をしたこともあった。
そうこうして、聞きたくもない曲も入っているレコード等も買わないですんだ頃を今思い出している。

それにしても、例えば、Peter Bartokが録音したLPをCD化せずに、何らかの方法で保存できないのであろうか。
それすらできない技術文明などは、所詮、何等の文化の継承たり得ないのではないだろうか。
前述のように、CD化、つまり digitally remastered などというのは、おふざけ以外の何ものでもないからである。
J. S. Bachが平均率を採用した、という話ですら神話にすぎない事を想い起こそう。

敢えて言えば、レコードなどを聴かなくても余生はおくれる。何も、また自分で音楽をやればいいのだ。
私だって、下手ではあるが、その程度にはピアノを弾ける。
さらに言ってしまえば、5年や10年、音楽などなくても人生は送れるものだ。
たかが音楽、されど音楽、それ以上でも以下でもない。

僕はこの部分を読んで、同感したと共に安心しました。
クラシックと共に生活してきた太田さんでも“5年や10年、音楽などなくても人生は送れるものだ”と言い切っていますからね。
太田さんの本を読んで、充分に理解できないでいる自分としては、この箇所は、僕自身に対する“慰め”として読むことができましたよ。

“たかが音楽、されど音楽、
 それ以上でも以下でもない。”

。。。だと、僕も思いますね。
音楽は人生でもない。
人生は音楽でもない。
されど音楽、それ以上でも以下でもない。

ここで、もう一度恵美子さんに登場してもらいますが、
僕は、クラシックが何たるものか?と分からないうちに恵美子さんが演奏した“乙女の祈り”を聴いて感動したんです。
もちろん、可愛いと思っていた恵美子さんが弾いたから、中学生の僕は、なおいっそう感動したのです。

僕がピアノを独習で習い始めたのは、この経験があったからで、それがクラシックであったからではないのです。
いづれにしても、一つの曲がある人物によって演奏された事で僕に感動を引き起こした。
その感動が、僕をピアノに近づけさせた。
恵美子さんに会いたいからピアノを弾き始めたわけじゃない。
なぜなら、恵美子さんに会ったのはあの時が初めで最後。
僕の演奏を聴いてもらった事で僕の“片思い”は完結したのです。
でも、それからも、僕は時々“乙女の祈り”を弾いたものでした。

あの感動を自分のものにしたいから。。。

しかし、今の僕はすっかり忘れていて、この曲を弾く事さえできないんですよね。
あれだけハマッた“乙女の祈り”だったのに。。。

つまり僕にとって。。。
音楽は人生でもない。
人生は音楽でもない。
されど音楽、それ以上でも以下でもない。

現在、“乙女の祈り”を聞いてもジーンとこないのですよ。懐かしいとは思いますが。。。
しかし、“津軽じょんがら節”を津軽三味線で聴く時、僕の魂はゆさぶられます。

音楽は人生そのものではありえない。
でも、人生の一部にはなっているでしょうね。
当たり前のようですが。。。

では。。。

ィ~ハァ~♪~!



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■ 『あなたの魂をゆさぶる“津軽じょんがら節”』

■ 『海外で日本の童謡を耳にすると、やはり感動しますよね。 涙がにじんでくるほど感動する“夕焼け小焼けの赤とんぼ。。。”』

■ 『 “夕焼け小焼けの赤とんぼ。。。” と オーストラリアのブリスベンでデザインを勉強しているアミサさん』

■ 『日本を繁栄の道に導いたリンゴの唄』

■ 『リンゴの唄と日本』

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では、今日も一日楽しく愉快に
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