著作権って本当はどういうものなの? [著作権]
著作権って本当はどういうものなの?
日本の「著作権法」では「著作物」が次のように定義されています。
第2条 この法律において、次の各号に掲げる用語の定義は、
当該各号に定めるところによる。
1.著作物
思想又は感情を創作的に表現したものであつて、
文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
「文芸」の定義を三省堂の国語辞典で調べてみると次のように出ています。
2) (美術・音楽に対して)詩・小説・戯曲などの言語芸術
僕はこのような1行のコメントをもらった事があります。
by あ at 2005-11-10 (Thu) 23:07
スマットさんが『レンゲのフォーラム』に次のような記事を投稿してくれました。
文章なくして、文芸をなしえません。
あのコメントは文章であり、従って文芸の範囲にあります。
2. あれはわたしの思想を表現したものです。
1、2の両面を定義に照らせば、あのコメントは著作物です。
『Re[2]:記事引用における著作権の取り扱い』より
スマットさんの定義に従えば、文章を書くと何でも文芸になってしまいますね。
しかし、それは、あとで説明するように間違っています。
では、文章の定義はどうなっているのかというと。。。
僕が持っている三省堂の国語辞典には“文章”は次のように定義されています。
だから、どういうことが言えるかというと、上の2つの1行のコメントは文章ではないということです。
上の一行のコメントは文章じゃないのだから、とても文芸とは呼べません。
仮に文章だとしても、とても“感情の創作的な表現”とは言えません。
また、上のコメントを1つにまとめても、とても言語芸術とは言いがたい。
つまり、“公衆便所の落書き”とたいして変わりがないのです。
だから、公衆便所の落書きに著作権が無いように上のコメントにも著作権は設定できない。
「著作権法」の定義に従っても“著作物”とは言えません。
では、スマットさんが問題にしている文章をここに書き出します。
無料ブログサービスもかなり多数存在しますので、選ぶことができます。
例えばアダルトコンテンツの可不可、
アフィリエイトの可不可は登録の際に承諾しているわけですから、
そのブログサービスの規約にあわせて守るのが筋です。
あるいは自分の利用目的に合わせて選ぶのが筋です。
とわたしは思います。
必要なら自分でサーバーを立てたり、
有料で規約なしにサーバーを借りるなりすればいいだけなので特に問題はありません。
by スマット at 2005-11-10 (Thu) 20:11
『ブログサービス運営者側の判断で削除していい』より
僕が引用したスマットさんの文章は、厳密に言うと上の定義の“文芸”、“学術”、“美術”、“音楽”のどの範疇にも属さないものですよ!
なぜか?
スマットさんの文章は通信文です。
「著作物」ではあり得ない!
なぜか?
「著作権法」の“法の精神”を理解すればすぐに分かることなんですよ。
つまり、「著作権法」とは、“創作者”の権利を保護するものなんですよね。
要するに、何時間も、場合によったら何十年間もかけて創作活動をした創作者が“著作物”を創造する。
その「著作物」には、“創作者”の血と涙と汗と能力と経験と時間が注ぎ込まれている。
そういう努力と労働によって生み出された“著作物”を所有し、それからもたらされる“恩恵”を“創作者”が受益する権利を保護しようとするのが、
そもそも「著作権法」の“法の精神”ですよ。
つまり、キーワードは「創作」ということです。
スマットさん、あなたが僕に書いた“通信文”には、そのような“創作”はどこにも無い!
つまり、血と涙と汗と能力と経験と時間は全く注ぎ込まれていない。
ほんのわずかな時間とキーボードに打ち込んだ手間だけです。
要するに公開のネットの上で僕に書いた通信文に他ならない。
“創作”ではあり得ない!
もちろん、“思想”と呼ぶにふさわしい“形而上学的な発想”など、どこを穿(ほじく)り返しても見当たらない!
しかし、“形而上学的な発想”など、どこを穿(ほじく)り返しても見当たらないですよ!
つまり、スマットさん、あなたは“思想”というものがどういうものなのか全く理解していないようです。
あなたが書いた「通信文」には実務的・運用的な事だけしか書かれていませんよ!
思想のかけらも無ければ、
文芸の香りすら感じられない!
つまり、法律の定義に従うなら、
あなたの通信文は「著作物」ではあり得ない!
むしろ、スマットさん、あなたは公開であるべきブログ上で交わされた通信文を“私有化”しようとしている!
世界のネット市民の“知る権利”を妨げようとしている!
つまり、多方向多重通信手段であるネットの性格をあなたは全く理解していない。
どこかの田舎者で無教養なプロバイダーは、
世界のネット市民の皆様の“知る権利”に見合う情報を提供するために書いた僕の「創作物」を無許可で抹殺するという犯罪を犯している!
つまり、言論の自由・表現の自由を封じ込めようとしている!
スマットさん、あなたがやろうとしている事も50歩百歩ですよ!
ネットがどういうものか?
歴史を振り返って、あなたは考えてみる必要があるようですね。
反論したければ、少なくとも下のリンク先の記事を、スマットさんは理解力が無いから最低3度は読んでくださいね。
お願いします。
よろしく!
僕はマジですよ!へへへ。。。
■ 『表現の自由、言論の自由、報道の自由は現在、日本で守られているでしょうか?』
■ 『批判、批評、誹謗、中傷とは?あなたは批判がどういうことだか分かっていますか?』
■ 『バークレーさんを励ますコメントの数々』
■ 『バークレーさんが噛み付いたコメントの数々』
ところでスマットさんから次のようなコメントをもらいました。
いつもありがとうございます。
おかげで、こうして記事を書くことが出来ました。
感謝しています。
しかし、僕が念を押したにもかかわらず、無視されてしまったようですね。
“スマットさんは理解力が無いから最低3度は読んでくださいね。”
。。。と僕は頼んでおいたのですが、どうやら上の関連記事を一度も読んでいないようです。
なぜなら、“言論の自由” も “表現の自由” もまだ理解できていないからです。
コピペするなんてもってのほかです。
また、わたしのコメントに対するこの記事は通信文だから著作物じゃないし、勝手に利用していいってことになりますね。
>田舎者で無教養なプロバイダー
どこのプロバイダを誹謗中傷しているのかしりませんが(本社まで行って顔を見たりしたことは無いはず…証拠なしに批判するのは中傷です)、いまのうちに訂正しておいた方が身のためですよ。
>僕はマジですよ!へへへ。。。
マジだっていうんなら態度で示してもらいましょう。
どうせできないくせに…
ところで「あなたの法律」によると、新聞記事は著作物にあたりますか?
「実務的・運用的な事だけしか書かれていませんよ!
思想のかけらも無ければ、文芸の香りすら感じられない!」ものですよね。
単なる事実の羅列だから著作物ではないんですか?
by smz (またの名を“スマット”) at 2005-11-16 (Wed) 13:03
『通信文なら。。。』より
僕は上の文章の中ではっきりと書いているんですよ!
。 。 。
スマットさん、あなたは公開であるべきブログ上で交わされた通信文を“私有化”しようとしている!
世界のネット市民の“知る権利”を妨げようとしている!
つまり、多方向多重通信手段であるネットの性格をあなたは全く理解していない。
スマットさんはどうして僕の文章をじっくり読まないのですか?
ちゃんと答えが上の文章中に書いてあるじゃありませんか?
ネットで公開された通信文は“私信”ではないんですよ!
だから、“秘密”じゃないんですよ!
しかも、あなたの文章は“著作物”じゃないからコピーしてかまわないんですよ!
勝手に利用していいってことになりますね。
僕のこの記事は「著作物」ですよ。なぜなら、上の定義の“学術”の範疇に属しています。
文部省設置法に従うなら、学術の定義は「自然科学,人文科学,社会科学の研究およびその応用に関すること」になっています。
僕のこの記事は明らかに「著作権法」に関する論考・考証ですから、「人文科学の研究および応用」にかかわっています。
りっぱに「著作物」として通用しますよ。
僕は初めから「著作物」として書いています。
あなたのように「実務的・運用的な事だけしか書かれていない」通信文として書いたわけではありません!
僕の記事には“創作者”の血と涙と汗と能力と経験と時間が注ぎ込まれていますよ!
僕は上の記事であなたが考えている誤った「著作権」という考え方を批判したんですよ。
「批判」とは何か?
僕は次の記事の中ではっきりと書いていますよ!
『コメントを書くなら、しっかりと内容のある文章を書いてくださいね』
自分自身を語らなければならない。
そうでない限り批判とは言えない。
この上で示した1行のコメントは批判じゃなくて、公衆便所の落書きです。
これはどうした事か?
つまり、語るべき文化的バックグラウンドと自分の個性がないのではないか?
あるのなら、そのことが語れないのではないか?
語り方を知らないのではないか?
欧米のサイトで18年やってから、日本のサイトで3年ほどですが僕は、そう、しみじみと感じましたね。
じゃあ、オマエはどうなのか?
とあなたは僕に尋ねるかもしれない。
僕のブログの記事を見てください。
どれも長い。
なぜか?
僕は自分の文化的バックグラウンドと自分の個性、
自分自身を語っているからですよ。
出来たら、あなたもそうしてください。
1行から3行の文章で
あなたは自分自身を語ることができますか?
つまり、僕は記事を書くとき、“血と涙と汗と能力と経験と時間を注ぎ込”んでいるつもりです。
「実務的・運用的な事だけしか書かれていませんよ!
思想のかけらも無ければ、文芸の香りすら感じられない!」ものですよね。
単なる事実の羅列だから著作物ではないんですか?
新聞には“文芸欄”がありますよ。
「社説」は新聞社の“思想”を表明するものですよ!
新聞は、単なる事実の羅列ではないですよ!
プロフェッショナルが書いているんですよ!
では、「著作物」とは言えないような、あなたが書いた“駄文”とはどこが違うのか?
それはねぇ、新聞には“ハーグってどこの国か知らないけれど”なんて絶対に書けないものですよ。
そういう無責任な事は書かない!
いい加減な事は書けない!
それがProfessionalismですよ!
つまり、しっかりと事実を調べてから報道します。
新聞記事を書くために、記者は訓練と教育を受け、責任を持って書いているんですよ。
また、そうすべきですよね。
最近では大新聞社にも、いい加減な事を書く記者が出てくるようになりましたが。。。
つまり、僕が言おうとしている事は、新聞記者は“血と涙と汗と能力と経験と時間を注ぎ込”んでいる。
だからこそ「著作物」と言う事が出来る。
ところが、スマットさん、あなたは、いい加減で無責任なんですよ!
次の記事の中で僕は指摘しましたが、
『批判にまともに答える事が出来ない日本人』
あなたは無責任でいい加減な事を書いているわけですよ。
“ハーグってどこの国か知らないけれど”。。。
その程度の事は検索エンジンで調べてから、返信を書いてくださいよ!
こういう、いい加減で無責任な書き方をしている限り、あなたの文章は「著作物」とは言えないんですよ。
また、いやみっぽい書き方になってしまいましたあああ。 ハンセ~~
しかし、あなたに、こういう言いづらい事をズケズケと言う人はこれまでに居なかったでしょう?
あなたの文章を読んでいて、そのように感じましたよ。
つまり、あなたは“批判”ということを知らずに成人してしまった。
だから、“批判する”事を知らない。
“批判を受ける”事を知らない。
“批判に応ずる”事を知らない。
だから、いまだに論点をぼかした、揚げ足取りの文章だけしか書けないんですよ!
僕もまだ未熟者ですが、あなたはもっともっと未熟者ですよ!
では、僕の文章を批判してください。
スマットさん、あなたの出番ですよ~♪~。
じゃあ、お待ちしていますね~♪~。