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ピカソその絵を批判できないとブログは書けません [健全な批判精神]

ピカソその絵を批判できないとブログは書けません

あなたはどのようにピカソを批判しますか?
ピカソの絵を見たことがありますか? 

ええっ? 絵なんて見たって金にならない? 

でもね、ピカソの絵を批判できないとブログは書けませんよ。
どうしてだか分かる? 
ん? じゃあね、ちょっとこれ読んでみて。。。

あなたはこれまでに絵を書いたことがあるでしょう?
小学生の時には「図画」とか「図工」と呼ばれた時間がありましたよね。
時には学校の近くの小川や野原に写生に出かけたことを僕は良く覚えていますよ。
僕は絵を書くことが好きでした。
あなたはどうでしたか?

絵を書いたことなら誰でもあると思いますから、分かりやすいので絵を取り上げて話します。
絵を書いてみると、なかなか思ったように書けないものですよね。
目の前の木や花や石や動物が自分で描きたいように、なかなか描けない。
もう、じれったくなる事があるでしょう。

つまり、自分ではこのように描きたいと思っているのに、思った色がなかなか出てこない。
どうしても、家の形が目の前の家と違っている。
奥行きが表せなかったりして、いい加減イヤになってしまう事もあるでしょう。

つまり、図画用紙に書かれている物は描いている人の頭の中にあるものとは違っている。
もちろん、現実の家や、木や、花とも違っている。

ところで、あなたが友達の描いた絵を見るとき、
上手いとか、へたくそだとか、あなたは言葉で技量を言い表しますよね。
また、描いてある物の意味をさぐろうとします。
馬とか犬が描いてあれば、その馬が生き生きと描いてあるとか、
馬の耳が長すぎるとか、かなり具体的に批評が出来ます。
しかし、その馬とか犬の感情となると、見る人によってだいぶ違ってきますよね。

写生画の場合、批評する事は比較的簡単ですが、
抽象画となると、これはなかなか難しい。
なぜなら、具象的でない絵画を見るとき、
見るという行為は個性と文化的バックグラウンドを通してしか見ることができない。

例えば、ピカソのグロテスクな人物画を見るとき、
スペイン人、アメリカ人、日本人、アメリカインディアンの見方はまず違いますよ。
なぜなら、文化的バックグラウンドが違っているからです。
同じ絵を見ているのに日本人の受け止め方とアメリカ人の受け止め方が違うのは、
あなたにも良く理解できると思います。

つまり、生まれも育ちも全く違う。話す言葉さえ違う。
つまり文化が違うんだから、見方が違っても当然です。
でも、全く同じピカソのグロテスクな人物画を見ているのに、
受け止め方がアメリカ人と日本人では全く違うと言う事を考えてみてください。

これは文化的なバックグラウンドが違うと言う事で理解できます。
では、同じ日本人同士ではどうか?
文化的バックグラウンドはほぼ同じです。あまり大きな違いはありません。
同じ日本語を話します。同じ風土で育ってきています。

でも、あなたと僕がピカソのグロテスクな人物画を見たら、
感想はだいぶ違うと思いますね。
なぜか?
個性が違います。

つまり、全く同じ絵が、見る人によって違ってしまう。
つまり、ピカソの絵を見るとき、個性と文化的バックグラウンドを前提としてしか絵を見ることができません。
あなたの心の中にある印象とか、感想とか批判というのは、絵そのものではありえない!
絵とあなたの頭がベッドインして作った子供みたいなものです。そう思いませんか?

つまり、批判や批評をする時というのは絵の本質は、絵そのものからあなたの頭の中に移動してきますよね。
ピカソはどうしてこのようなグロテスクな人物を描いたのだろうか?
と、あなたは考える。
なんでこんな作品を作ったのだろう?
あなたは、一生懸命にあなたの頭で考える。
あなたの個性と、文化的バックグラウンドを基にして。

じっくり見ながら考えて、あなたはその絵の意味する事をあなたなりに分かったような気がする。
絵の本質に迫った気がしてくる。
でも、あなたは知っているはずです。
描いたのはピカソなんだから、いくら考えたって、ピカソがどのような気持ちで、
どのような目的で描いたか?なんて分かりっこない!
でも、見て考える、という行為は、ちょうど好きな音楽を聴くように、
作者がどのような気持ちで作ろうが、関係ないんですね。
つまり、音楽を聴いて作曲家になったような気分が味わえて
いい気持ちで聞けたらそれで充分満足できる。

つまり、絵の本質も音楽の本質も、見る人聴く人の方に移ってゆく。
それでいいと思うんですね。
でも中には作者、作曲家の本質にこだわる人も居る。
そういう人はどうするのか?
インタビューするわけですよね。
ピカソに尋ねるわけです。

それで「批評」を書く。
こういう人たちの事を「批評家」「評論家」というんでしょうね。
作品の本質を「あちらがわ」、つまり作者の方に求める。

でも「批判」するというのは、つまり、作品を語るということは、
つねに自分のバックグラウンドと自分の個性、自分自身を語るということです。


例えば、ヒトラー総統の前を行進するドイツ軍のパレードを映画で見るとします。
一糸乱れぬ軍隊行進。
制服もパリッとして、なかなかかっこいい!
旧ドイツ軍、凄い!

しかし、現在、自由主義に生きている我われがあんな行進をしたいか?
見るのはいいけれど、やるのはめっそうもない、というのが答えではないですか?
全体主義や旧日本帝国のような軍国主義には戻りたくない。
どうしても窮屈な感じで、あんなロボットのような行進など
やれ、と言われてもやりたくないでしょう。

つまり、あの第三帝国のすばらしさを伝えようとして作ったドイツ軍パレードの映画の監督は
テーマを現在の我われには届けることが出来ない。
私たちは、まずそのテーマに到達できない。そうすることの意味を見出せないかもしれない。
つまり、感想、印象、批判は作った人間とは全く無関係ということを知らざるを得ない。

絵を描いたり、絵を見たり、映画を作ったり、映画を観たりするということは孤独な行為です。
なぜか?
作り手や隣で見ている人と感想を共有できないからです。
突き詰めて言えば、個性や文化的バックグラウンドは一人一人皆違うからです。

でも、その孤独な行為をがまんできず、言語化して他の人と共有しようとする。
それが作者に向いている場合、批判、
観客に向いている場合、批評と呼ばれるわけです。

自分が思ったことが自分だけのものだと無意識的に気づいているので、
他の人と一般化する時に批評という言葉が使われます。
だから、批評家とか評論家と呼ばれる人たちが居ます。

そういうわけで、批判すると言う時、あなたは自分の文化的バックグラウンドと自分の個性、
自分自身を語らなければならない。
そうでない限り批判とは言えない。
ところが、これまで僕が日本のサイトで読んだコメントには批判らしきものがあまりないんですよね。

これはどうした事か?
つまり、語るべき文化的バックグラウンドと自分の個性がないのではないか?
あるのなら、そのことが語れないのではないか?
語り方を知らないのではないか?
僕は、日本のサイトでネットをやるようになってから、そう、しみじみと感じましたね。

じゃあ、オマエはどうなのか?
とあなたは僕に尋ねるかもしれない。

僕のブログの記事を見てください。
どれも長い。
なぜか?
僕は自分の文化的バックグラウンドと自分の個性、
自分自身を語っているからですよ。

出来たら、あなたもそうしてください。
2行から10行の文章で
あなたは自分自身を語ることができますか?

批判できない人についての記事をもっと読みたい人は次のリンクをクリックしてくださいね。
面白い話がたくさん詰まっていますよ。

『批判、批評、誹謗、中傷とは?あなたは批判がどういうことだか分かっていますか?』

あなたが絶対、
見たいと思っていた
面白くて実にためになるリンク




■ 『笑いが止まらない、お笑い掲示板』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『興味深い写真や絵がたくさん載っている世界の神話』

■ 『現在に通じる古代オリエント史の散歩道』

■ 『見て楽しい、読んで面白い 私版・対訳ことわざ辞典』

■ 『笑って楽しめる 私版・対訳 慣用句・熟語辞典』

■ 『辞書にのってない英語スラング』

■ 『オンライン自動翻訳利用法』


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僕はすみれちゃんに「拒絶リスト」に入れられないように気をつけたいと思います。 [健全な批判精神]

僕はすみれちゃんに「拒絶リスト」に
入れられないように気をつけたいと思います。

>結末が来るんですか!? と素直に思った...

来ますよ。次郎君は根っからの馬鹿では無いですからね。
中途半端の馬鹿ならば、もうとっくの昔に僕に返信を書くことを止めていましたよ。
まだ止めてないと言うことは、これから見応えのある結末を迎える事になりますよ。

この前の投稿で僕はコメントを書いてくれた女性の事を書きました。
彼女は見応えのある結末を残したんですよ。
次郎君と違って人間を見る目を持っていました。
少なくとも僕の習性を見極めましたよ。

つまり、僕と投稿を交わすと、心の痛みにグサリと匕首(あいくち)を突きつけられるかもしれないと「女の本能」で嫌~なもの、怖~いものを感じ取ったんですよ。
だから、僕が長い返信を書く前に僕を「拒絶リスト」に入れてしまったんです。

驚くなかれ、僕が長い投稿を書いて送信ボタンをクリックしたら
「あなたはこのページにアクセスする事を禁止されています」
と表示されたんですよ。

僕は苦笑してしまいましたが、心の中で「お見事!」と叫んでいました。
これほど徹底的に拒絶されると、すがすがしさが残って、決して嫌味な物が残りませんでした。

なんだか、宮本武蔵と佐々木小次郎の真剣勝負のような気迫が感じられませんか?
見応えのある結末とは、このようなものです。
だから、すみれちゃん、これからも期待して読んでね。

>私は個人的にバカやるの好きなんです。
>リアルでもアホな愚か者するの結構好きなんですょね。

そうですよ。馬鹿のやれない人は詰まりません。
馬鹿のやれない人と付き合うと肩が凝るんですよ。
だからね、人間馬鹿がやれたほうが幸せになれます。
でもね、一生馬鹿で通しては、何のために生まれてきたのか分かりませんからね。
馬鹿も程々にする必要がありますよ。(^Д^)ギャハハハハ。。。。

>バークレーさんのようにネット上でも本音の会話をしてるのは
>なか②スゴイと思うんです。
>相手の不真面目な態度を直させようとするテいうのは
>相手のコトを少しでも思う気持ちが無ければできませんょね。
>私はネット上の付き合いだと他人のコトだしどうでもイイぢゃん
>テ気持ちが大きいんですょね。何か複雑な感じだったり...
>上手くいえないカモ

分かりますよ。その気持ち。
日本では僕のように本音で付き合う人間は馬鹿だと思われてしまう。
つまりね、日本では本音と建前を上手く使い分けねばならないんですよ。
これができて、初めて日本では一人前として認められるんですね。
僕のように本音で生きている人間は、馬鹿とか大人になりきれていないと思われてしまう。

だから、この前のtangoさんの返信を読んでくださいよ。
「場暮海はまわしも付けずに一人で乱闘していました」と書いていますよ。
日本では、僕が真剣に本音で次郎君に向かってゆく姿は、
ちょうど相撲取りがまわしも付けずに戦っているように見えてしまうんですよ。
つまり、愚か者と見なされてしまう。

次のリンクをクリックすると面白いお話しが読めますよ。

『面白い場暮海の話』

しかし、北米では、このように本音で立ち向かってゆく姿は評価されるんですよ。
だから僕は、アメリカでもカナダでも、3時間から6時間に及ぶ口喧嘩をしばしばやったものですよ。
もちろん英語でね。へへへへ。。。すごいでしょう!?

口げんかと言うと誤解をする人がいるから言っておきますけれど、
口げんかに見えてもこれは「批判」なんです。北米の「批判」は口喧嘩しているように見えますよ。

日本のサイトで、僕がなぜ本音で話しをするのか?
たいていの人は、気楽に楽しくネットをやろうとしているんですよね。
すみれちゃんだってそうでしょう?
だから、「私はネット上の付き合いだと他人のコトだしどうでもイイぢゃんテ気持ちが大きいんですょね。」

僕がどうして、ネットで本音で話すのか?
それは「レンゲのフォーラム」を読むとくどいほど書いてありますよ。
ぜひ次の投稿を読んでみてくださいね。
『退会処分を喰らった第1ページです』

本音で話すことはとても難しい。必ず抵抗に出会います。
しかも、注意しないと危険な目にあいます。

どういうことかと言うと、例えば人間を見極めずに口喧嘩でもしようものなら、拳銃をぶっ放されて殺されてしまう場合があります。

だから、時々何も事情の分からない日本人観光客がロスやシスコで殺されますね。
あれは、こっちの(北米の)人間の習性を見極める事が出来なかったからです。
さっきの女性のように、僕の習性を見極めるような経験と判断力を持っていないと、大変な目にあうわけですよね。
最悪の場合は殺されてしまう。
僕自身そのような経験をしています。

この前の投稿ではそのことが書けませんでした。
でも、いつかすみれちゃんの度肝を抜くために書こうかな?とも思っていますよ。
ただ、あんまり馬鹿バカしくて大笑いをし、すみれちゃんが死んでしまうんじゃないかと心配です。
へへへへ。。。。(^Д^)ギャハハハハ。。。。

とにかく、また返信書いてくれてありがとね。
あまり無理しないでね。
無理しているようには見えないからいいんだけれど。。。
すみれちゃんは意外に早熟な女の子かもしれないね。
中学3年生の女の子で、ルンルンちゃんと言う子が居ましたが、とても早熟な女の子でした。
つまり、まだ若いのに思慮と分別を持っていたんですね。

すみれちゃんが、これから素直にすくすくと育ってくれるといいですね。
「袖擦れ合うも他生の縁」と言いますからね。
どんな縁か知れませんが、袖が触れ合ったようですよ。
僕はすみれちゃんに「拒絶リスト」に入れられないように気をつけたいと思います。
(^_^)キャハハハ。。。

このスミレちゃんとの面白い、しかし問題の多い投稿のやり取りは次のリンクをクリックすると読めます。
『ネットで愚か者を演じるのはどこまで許されるか?』

スミレちゃんが読んだ次郎君と僕の対話は次のリンクをクリックすると読めますよ。
『あなた、投稿を削除されたことある?』

あなたが絶対、
見たいと思っていた
面白くて実にためになるリンク

■ 『見て楽しい、読んで面白い 私版・対訳ことわざ辞典』

■ 『笑って楽しめる 私版・対訳 慣用句・熟語辞典』

■ 『辞書にのってない英語スラング』

■ 『オンライン自動翻訳利用法』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』



これからは、本音で話すことだね。 [健全な批判精神]

これからは、本音で話すことだね。

相手が命がけならば、自分も命がけにならざるをえない。

次郎君も、そのように思うことがあるのかね?

もちろんですよ、バークレーさん。あなたは相手に対して、威圧感や恐怖感を感じさせて、結果的に今までは相手が折れたり投げ出したりしたんですよ。

納得したからさ。

いや、違いますよ。ほとんどの人が、ばかばかしくなって折れたんですよ。最悪なケースでは、あなたは相手を精神的に追い詰めて洗脳した。

僕は強制して自分の言い分を押し通したことはないよ。

そうかもしれない。でもね、バークレーさん。カナダにいる。命をかけている。これだけで日本で、気軽に投稿を行う大多数の人々は、威圧されてしまうんですよ。次の記事なんか読むと全く威圧されてしまいますよ。

それでどういう怖い事があったのですか?

1週間ぐらい経った頃ですかねぇ~。僕はもうやたらにライフルを撃たなくなりました。ある程度物音にも慣れてきました。“殺気”という言葉を聞いた事があるでしょう? 僕は初めてそういう経験をしましたよ。あれは、野生化した僕が本能的に感じたものだと思うんですよ。理屈ではどうにも説明できないんです。確かに物音を感じた。でも、それが獣だか潅木の葉っぱが擦れ合う音なのか?あまりはっきりしなかった。 とにかく“やばい”という胸騒(むなさわ)ぎがして僕はライフルを引き寄せてテントの入り口から外をソッとうかがった。

何が居たのですか?

目が2つ光って僕を見ているんですよ。ゾォ~としましたね。僕は引き金に手をかけていましたが撃つ気になれない。

それは何だったのですか?

おそらくハスキー犬か野犬でしょうね。瞬(まばた)きもせずに僕の方をジィ~と見ているんですよ。最初の夜だったら、僕は間違いなく、すぐにぶっ放していましたよ。でも、“殺気”はそれまでなんですよ。僕はもう怖さはない。すぐ撃てるからですよ。僕はブルックリンで人間の返り血を浴びた事があるから、結構そのような度胸はついている。“かかってくるなら来い、ぶっ放してやるだけだ!” そう思いながら僕も睨(にら)みつけましたよ。僕の目もおそらくオーロラの光を受けて光っていたでしょうね。僕には5分ぐらいに感じられたけれど、それ程長い間のことじゃなかったでしょう。とにかく、にらみ合いの挙句、その獣は諦めたようにクルッと身を翻(ひるがえ)すと帰っていきましたよ。

デンマンさんは撃たなかったのですか?

“殺気”が消えていたんですよ。喧嘩した後、さっぱりした気持ちになるでしょう。あの気持ちなんですよ。動物同士だって勝ち負けがついたら相手を殺さないものですよ。

『群衆の中の孤独!寂しくって死んでしまいたい』より

しかも相手のIPなんか書いたりして恫喝まがいの言動を行っている。こんな形で投稿をやりとりして何の意味がある。

君は、真面目になったじゃないか。ええっ?これまでは、さんざ不真面目な態度を見せていたけれど、僕が命がけだと言ったとたんに、君は怖くなって真面目になったじゃないか?分かるだろ?日頃いかに君は不真面目に生きているかと言うことが?ええっ?どうだね?

そうかもしれませんよ。でも、バークレーさん、自分を優位な立場に置いて、相手を脅すように話を進めることに、どうして、そんなに生き生きとなれんですか?私は、はっきり言って逃げ出したいんですよ。

逃げ出せばいいじゃないか?僕は止めないよ!次郎君よ!君は本音で話すことを知らないんだよ!僕は、いつだって本音で生きているよ!

カナダだからできるんでしょう?

カナダだから出来る、日本だから出来ないと言う問題じゃないんだよ。好き嫌いにかかわらず、グローバル化の波は日本をすっかり呑み込んでいるんだよ。君が知らないだけなんだよ。君は沖縄、僕はバンクーバー。時間も距離も違う人間が、こうして投稿を交わしているんだよ!現実社会では絶対にありえない事がこうして可能になっている。グローバル化の威力じゃないか!ネット社会の凄いところじゃないか!君は本音で生きていないだろうが、僕は本音で生きているんですよ。こうしてネットでもね。

でもね、バークレーさん。こんな事は私で止めたいよ。お願いだ。聞いて欲しい。あなたの論じている内容は、全面的に否定するものではない。しかし、その話し方ではダメなんですよ。その内容が正しいか正しくないかではないのだ、あなたの威圧的な言動が全てを否定させる。

それはね、君の性格のためなんだよ。意地っ張りで、素直じゃないところがある。それを、他の人にまで当てはめようとしている。それが身勝手と言うものだよ!他の人の事など、君には分からないんだから、自分の問題として捉えればいいの!他の人の事など持ち出すのはずるいんだよ。分かるかい?

とにかく、IPを持ち出し、住所も特定できるなどと宣言したりして、あなたの言っていることを聞いていると、恐怖を感じるんですよ。自分だけではなく、身近な人達への被害を危惧しなければならないような恐怖を感じるんですよ。

そうやって、また、他の人の事を持ち出して君は逃げている!君がこれまで、不真面目な態度をしていたから、僕は「ナイフ」を手に取った。僕は人を見て「ナイフ」を使う。

バークレーさん、ナイフを持つことは、相手にもナイフを使わせることになる。

だから、君もナイフを持てばいいじゃないか?僕は命がけなんだから。。。へへへへ。。。

バークレーさん、そのウス馬鹿笑いを止めてくださいよ。気味が悪いですよ。鳥肌が立ってきますよ。

君も少しは真面目になることだね。

なってますよ。

やっと君は真面目になったんだよ。僕がナイフを見せたからね。しかし、僕がナイフを引っ込めると、次郎君はすぐにバ.カ丸出しするねェ~。

あなたが、ネットに命をかけていると言うなら、このサイトで、私も命をかけています。

また、すぐに取って付けたようなことを言うな!気迫が全く感じられないんだよ!オマエのハンドル名を考えてみろ。この前のハンドル名(ハマヌーン帝国愚劣隊長)といい、今度のハンドル名といい、真面目になった奴が真面目に付ける名前かよ!バ.カも休み休み言え!

はい、すいません。でも、そんなにこの私をいじめて楽しいんですか?

僕は楽しんでないよ。いじめているわけでもないよ。君が、バ.カだから意地をはって投稿を書き続けているだけだよ!

じゃあ、止めますよ。

そうだよ、そうだよ!これからは、本音で話すことだね。分かった?

はい。


この次郎君との対話に関心がある人は次のリンクをクリックしてください。

■ 『あなた、投稿を削除されたことある?』

これまであなたが読んだこともないような手に汗握る議論を読むことが出来ますよ。
感想・批判は大歓迎です。
但し、批判する場合には次のスレッドを読んでからにしてくださいね。

■ 『批判、批評、誹謗、中傷とは?あなたは批判がどういうことだか分かっていますか?』

そうじゃないと、あなたもまた次郎君のようなことになりかねませんからね。


小泉純一郎君からのコメント [健全な批判精神]

小泉純一郎君からのコメント

12月31日にGOOで書いた記事(『群衆の中の孤独!寂しくって死んでしまいたい (その1)』)に小泉純一郎君から次のようなコメントをもらいました。
ところで全文は次のリンクをクリックすると読むことができます。
『群衆の中の孤独!寂しくって死んでしまいたい (全文)』

  大掃除中 (by 小泉純一郎)

2005-12-31 13:30:21

http://arena.nikkeibp.co.jp/col/20051101/114110/

このリンクを叩き付けたかったのだが、タイミングを逃した。今年の反省として、よく読むように。

あなたは、このコメントを書いた人物が日本国首相の小泉純ちゃんだと思いますか?ええっ?
まず、そうは思わないでしょうね。
もちろん、僕だってそう思いませんでしたよ。

じゃあ、本物から?
まさかああああ。。。。

とにかく僕が書いた返信を読んでみてください。

成りすまし犯罪者!!! (by デンマン)

2006-01-01 11:40:24

成りすまし犯罪者の小泉純一郎君、キミのURLを書くんだよ!愚か者!

“名前”の下に“タイトル”とあるけれど、その下の“URL”というのはキミのブログかホムペか掲示板のURLという事なんだよ!

そんなことはネットをやっていれば理解しているはずなんだよ!

小学校3年生でも分かっている事ですよ。(たぶん)
何度も言うけれど、小学校4年生がこれまで僕が投稿を交わした最年少者だけれど、ホムペのURLをちゃんと書いてコメントを付けてくれましたよ!

小泉純一郎君、キミは日本国首相の純ちゃんじゃないんだよ!
99.9999%の確率で僕は断定できます。

もし本当に純ちゃんならば、ちゃんとURLを書いてくれますよ。
もし、書けないのなら、日本の将来はないんだよ!
愚か者のキミにも、そのくらいのことは理解できるだろう?

小学校3年生以下のキミのオツムでは、分からないのかもしれないねぇ~~。
しょうがないねええええ。。。。
病める日本の病根は、君のオツムまで侵しているんだろうねぇ。

全く、日本の行く末が思いやられますよ!
反省したら、今度はちゃんとキミのURLを書いてコメントを書いてね。
お願いしますね。

キミは僕と意見の交換をしたいらしいけれど、“祭られる”事が恐ろしいので自分のURLが書けないようだね。

そのようなチキンな男が日本には多いから、いつまでたっても病める日本が良くならないんだよ。

だいたいだよ、事もあろうに日本国の首相の名前をかたってコメントを書く。。。
一体キミのオツムはどうなっているんだろうねえぇえぇ。。。。?

解剖して覗いて見たいくらいだよ。
キミの脳みそは、たぶんゴキブリにたくさん食べられてしまって空洞がぽっかりと空いているのじゃないかと僕は心配していますよ。

ゴキブリにだけは脳みそを食べられないようにしないと、君の新年は自滅の新年になってしまうよ。

悪い事は言わないから、真人間になってね。
二度と日本国の首相の名前をかたるような成りすまし犯罪者にならないでね。
お願いしますよね。

       

このコメントをシャロンさんやジューンさんに読まれたらどうするの?

日本人の頭の程度を疑われてしまうよ!
それでなくても、かつてマッカーサー元帥が、日本人の頭は小学校6年生程度だと言ったんだよ!

キミのお父さんやお母さんのことだったんだろうねぇ。
そういう親から生まれた君も頭の程度が小学校6年生でストップしてしまったんだよ。へへへ。。。。
かわいそうに。。。。

だめだよ。小泉純一郎君!
シャロンさんとジューンさんが読んだら、
本物の純ちゃんまでが小学校6年生程度のオツムしか持っていないのだろうか?と思うじゃないかああああ!

成りすまし犯罪者の小泉純一郎君、キミは日本人の恥ですよ!
恥ずかしいと思ったら、これからはしっかりと自分のURLを書いてね。分かった?
そう。。。
おりこうだね。

じゃあ、キミも、出来たら良い新年を迎えてね。
URLだけは、しっかりと書くんだよ。
それから、日本国の首相の名前を名乗ってはいけないよ!

寅さんだって、それは悪い事だと知っていたと思うよ。へへへ。。。
キミは寅さん好きだろう?
僕も好きですよ。

だからね、小泉純一郎なんて書いちゃあダメだよ!
分かった?
くどいようだけれど、僕は、心から日本が住み良い、すばらしい国になって欲しいんだよ。

君だってそう思うだろう?
ん?
どうでもいいの?

じゃあね、少なくとも、日本国の首相の名前だけは使っちゃダメだよ!

なぜ?

馬鹿だね、キミは。。。。
自分の名前を使うんだよ!
それがいやなら、自分のハンドル名を使うんだよ!
小学校3年生でも知っているよ!

馬鹿だねキミわああアアア。。。。
救いようがないねええぇ。
でも、僕だけは、キミのようなオツムの弱い“社会の落ちこぼれ”の相手になってあげるからね。

寂しくなったらまたおいで。。。
じゃあね。



実際、この純一郎君が“反省するために読め”と言ってコメントに書いてくれたURL先の記事は大変興味深いものでした。
だから僕は、この純一郎君のコメントをありがたく思っています。

しかし、この純一郎君が自分のブログのURL、あるいはホムペのURLが書けなかったという事が物語っているように、この純一郎君は僕に批判される事を“祭られる”と思い込んで極度に恐れているのが良く分かります。

つまり、オツムも萎縮しているのだけれど、それと同じように“肝っ玉”もすっかり萎縮しきっているんですよね。
要するに、2ちゃんねるのような匿名掲示板でない限り考えている事が、まともに言えないんです。書けない!

正々堂々と文章を書いて批判する事が出来ない人間です。
批判するという事は自分を語らなければならない!

どうして自分を語る必要があるの?

あなた僕にそう尋ねるかもしれません。
ちょっと長くなりますが、極めて重要な事なので、以前に書いたことですが、再度ここに書こうと思います。

ところで、あなたはどのようにピカソを批判しますか?

あなたはこれまでに絵を書いたことがあるでしょう?
小学生の時には「図画」とか「図工」と呼ばれた時間がありましたよね。
時には学校の近くの小川や野原に写生に出かけたことを僕は良く覚えていますよ。
僕は絵を書くことが好きでした。
あなたはどうでしたか?

絵を描いたことなら誰でもあると思いますから、分かりやすいので絵を取り上げて話します。
絵を描いてみると、なかなか思ったように描けないものですよね。
目の前の木や花や石や動物が自分で描きたいように、なかなか描けない。
もう、じれったくなる事があるでしょう。
つまり、自分ではこのように描きたいと思っているのに、思った色がなかなか出てこない。
どうしても、家の形が目の前の家と違っている。
奥行きが表せなかったりして、いい加減イヤになってしまう事もあるでしょう。

つまり、図画用紙に書かれている物は描いている人の頭の中にあるものとは違っている。
もちろん、現実の家や、木や、花とも違っている。

ところで、あなたが友達の描いた絵を見るとき、
上手いとか、へたくそだとか、あなたは言葉で技量を言い表しますよね。
また、描いてある物の意味をさぐろうとします。
馬とか犬が描いてあれば、その馬が生き生きと描いてあるとか、
馬の耳が長すぎるとか、かなり具体的に批評が出来ます。
しかし、その馬とか犬の感情となると、見る人によってだいぶ違ってきますよね。

写生画の場合、批評する事は比較的簡単ですが、
抽象画となると、これはなかなか難しい。
なぜなら、具象的でない絵画を見るとき、
見るという行為は個性と文化的バックグラウンドを通してしか見ることができない。

例えば、ピカソのグロテスクな人物画を見るとき、
スペイン人、アメリカ人、日本人、アメリカインディアンの見方はまず違いますよ。
なぜなら、文化的バックグラウンドが違っているからです。
同じ絵を見ているのに日本人の受け止め方とアメリカ人の受け止め方が違うのは、
あなたにも良く理解できると思います。

つまり、生まれも育ちも全く違う。話す言葉さえ違う。
つまり文化が違うんだから、見方が違っても当然です。
でも、全く同じピカソのグロテスクな人物画を見ているのに、
受け止め方がアメリカ人と日本人では全く違うと言う事を考えてみてください。

これは文化的なバックグラウンドが違うと言う事で理解できます。
では、同じ日本人同士ではどうか?
文化的バックグラウンドはほぼ同じです。あまり大きな違いはありません。
同じ日本語を話します。同じ風土で育ってきています。

でも、あなたと僕がピカソのグロテスクな人物画を見たら、
感想はだいぶ違うと思いますね。
なぜか?
個性が違います。

つまり、全く同じ絵が、見る人によって違ってしまう。
つまり、ピカソの絵を見るとき、個性と文化的バックグラウンドを前提としてしか絵を見ることができません。
あなたの心の中にある印象とか、感想とか批判というのは、絵そのものではありえない!
絵とあなたの頭がベッドインして作った子供みたいなものです。そう思いませんか?

つまり、批判や批評をする時というのは絵の本質は、絵そのものからあなたの頭の中に移動してきますよね。
ピカソはどうしてこのようなグロテスクな人物を描いたのだろうか?
と、あなたは考える。
なんでこんな作品を作ったのだろう?
あなたは、一生懸命にあなたの頭で考える。
あなたの個性と、文化的バックグラウンドを基にして。

じっくり見ながら考えて、あなたはその絵の意味する事をあなたなりに分かったような気がする。
絵の本質に迫った気がしてくる。
でも、あなたは知っているはずです。
描いたのはピカソなんだから、いくら考えたって、ピカソがどのような気持ちで、
どのような目的で描いたか?なんて分かりっこない!
でも、見て考える、という行為は、ちょうど好きな音楽を聴くように、
作者がどのような気持ちで作ろうが、関係ないんですね。
つまり、音楽を聴いて作曲家になったような気分が味わえて
いい気持ちで聞けたらそれで充分満足できる。

つまり、絵の本質も音楽の本質も、見る人聴く人の方に移ってゆく。
それでいいと思うんですね。
でも中には作者、作曲家の本質にこだわる人も居る。
そういう人はどうするのか?
インタビューするわけですよね。
ピカソに尋ねるわけです。

それで「批評」を書く。
こういう人たちの事を「批評家」「評論家」というんでしょうね。
作品の本質を「あちらがわ」、つまり作者の方に求める。

でも「批判」するというのは、つまり、作品を語るということは、
つねに自分のバックグラウンドと自分の個性、自分自身を語るということです。

例えば、ヒトラー総統の前を行進するドイツ軍のパレードを映画で見るとします。
一糸乱れぬ軍隊行進。
制服もパリッとして、なかなかかっこいい!
旧ドイツ軍、凄い!

しかし、現在、自由主義に生きている我われがあんな行進をしたいか?
見るのはいいけれど、やるのはめっそうもない、というのが答えではないですか?
全体主義や旧日本帝国のような軍国主義には戻りたくない。
どうしても窮屈な感じで、あんなロボットのような行進など
やれ、と言われてもやりたくないでしょう。

つまり、あの第三帝国のすばらしさを伝えようとして作ったドイツ軍パレードの映画監督は
テーマを現在の我われには届けることが出来ない。
私たちは、まずそのテーマに到達できない。
そうすることの意味を見出せないかもしれない。
つまり、感想、印象、批判は作った人間とは全く無関係ということを知らざるを得ない。

絵を描いたり、絵を見たり、映画を作ったり、映画を観たりするということは孤独な行為です。
なぜか?
作り手や隣で見ている人と感想を共有できないからです。
突き詰めて言えば、個性や文化的バックグラウンドは一人一人皆違うからです。

でも、その孤独な行為をがまんできず、言語化して他の人と共有しようとする。
それが作者に向いている場合、批判、
観客に向いている場合、批評と呼ばれるわけです。

自分が思ったことが自分だけのものだと無意識的に気づいているので、
他の人と一般化する時に批評という言葉が使われます。
だから、批評家とか評論家と呼ばれる人たちが居ます。

そういうわけで、批判すると言う時、あなたは自分の文化的バックグラウンドと自分の個性、
自分自身を語らなければならない。
そうでない限り批判とは言えない。

この上で示した小泉純一郎君の1行のコメントは批判とは言いようがありません。
では、なにか?
公衆便所の落書きです。

これはどうした事か?
つまり、語るべき文化的バックグラウンドと自分の個性がないのではないか?
あるのなら、そのことが語れないのではないか?
語り方を知らないのではないか?

日本には満足に批判できない人がたくさん居ます。
つまり、自分を語ることが出来ない。
あなたはネットで自分を語ることができますか?

何よりも、自分の考え方をしっかりと持っている人が少ない!
欧米のサイトで18年やってから、日本のサイトで3年ほどですが僕は、そう、しみじみと感じますね。

純一郎君も他人の書いたものにリンクを貼っているだけ!
“自分”はどこに行ってしまったの?

じゃあ、オマエはどうなのか?
とあなたは僕に尋ねるかもしれない。

僕のブログの記事を見てください。
どれも長い。
なぜか?
僕は自分の文化的バックグラウンドと自分の個性、
自分自身を語っているからですよ。

出来たら、あなたもそうしてください。
1行から3行の文章で
あなたは自分自身を語ることができますか?

上の小泉純一郎君が書いた1行のコメントで
批判ができますか?

しかし、純一郎君のやろうとした事は僕を批判しようとしているのですよ!
なぜ?
“反省”しなさい、と書いているわけですよ。
何を反省するのか?
どう反省するのか?

それを書くことが批判です。
それを書いていないので“公衆便所の落書き”で終わってしまっているのです!
この純一郎君とは何者か?
捨て台詞を残して逃げてゆく愚劣で愚かな野次馬の後姿なのです!
あなたにも分かりますよね。

リンク先の文章は純一郎君が書いたものであはありません。
もし、そうなら、著者は自分の名前かハンドル名を書くものです。

ところが上の1行のコメントは“自分が居ない”批判になっている。
それは批判ではないんですよね。
公衆便所の落書きです。
それを書いた愚か者が自分のことを小泉純一郎と名乗っている!

もし、日本国首相の小泉純ちゃんが上のコメントを書いたなら、
純ちゃんは1行の公衆便所の落書きしか書けないという事になってしまう!
そんな事はありえない!でしょう?
なぜ?

そんな無責任な首相が居たら、日本の将来はお先真っ暗ですよ!
もし、そうならあなたは、そんな首相が舵取りをしている日本から抜け出したくなるでしょうね。
でしょう?

でも、純ちゃんも、国際的に見たら、あまり変わらない“自分の居ない”政治を日本でやっていますよね。
やっぽり、日本の将来に不安を感じます。
だから、僕はバンクーバーから日本を見ているんですよ。

世界のトップの政治家を見てください。
もっと、もっと、“自分”というものを前面に出しています!

日本には“自分”を持つ人が極めて少ないんです。
だから、2ちゃんねるのような“公衆便所落書き掲示板”があれほど大きくなってしまう!
欧米では考えられない事です!
なぜ?

近代市民の思想というのはフランス革命によって確立されたんですよ!
つまり、本当の“市民”というのは“自分”を持つことです。

“自分を持つ”ということはどういうことなのか?
自分を語ることが出来るという事ですよ!
責任を持つ。いい加減な事は書かない!
だから、欧米の雑誌や新聞には必ず書いた記者の名前が書いてある!
20年前の日本の雑誌や新聞には書いた記者の名前はなかったんですよ。

わかるでしょう?
日本の大衆文化は“匿名の文化”なんですよ!
だから、2ちゃんねるのような“公衆便所の落書き”があれほど大きくなってしまう。

かつてマッカーサー元帥が日本人をじっくりと見て言ったものです。
小学校6年生程度の頭しかない!

今、マッカーサー元帥が生きていたら2ちゃんねる掲示板を見て同じ事を言いますよ!
2ちゃんねるのレベルは世界的に見たら小学校6年生程度の頭を持つ人間が喜んで書くような掲示板なんですよ!
そこからやって来た愚か者が“小泉純一郎”と名乗って上のコメントを書いたんです!

“馬鹿は死ななきゃ治らない!”

この記事を読んでいる小泉純一郎君!
キミもDEMPA55と同じですよ!
小学校の全課程をもう一度やり直した方がイイですよ!

卒業してから、中学校に行って、出来たら高校を卒業して
それから、味噌汁で顔を洗って
もう一度真面目にコメントを書いてくださいね。
お願いします。へへへ。。。
(馬鹿にしているのではありませんよ。つい失笑してしまうんです。。。あしからず。)

ところで、この純一郎君はDEMPA55である可能性が充分に考えられます。
まだ確認していませんが。。。

もし時間があったら次のスレッドをぜひ読んでくださいね。

■ 『批判、批評、誹謗、中傷とは?あなたは批判がどういうことだか分かっていますか?』

■ 『日本って世界的に見て本当に住み良い国なんでしょうか?』

■ 『国際化・グローバル化とはあなたにとってどのようなものですか?』

■ 『日本のネットで迷惑を振りまいているウツケ者たち』

■ 『表現の自由、言論の自由、報道の自由は現在、日本で守られているでしょうか?』

■ 『人権擁護法案をご存知でしょうか?』


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あなたは文章をじっくり読むのが苦手ですか? [健全な批判精神]

あなたは文章をじっくり読むのが
苦手ですか?

12月8日に僕がGOOの『デンマンのブログ』に書いた記事(『コメントを書く時にはしっかりと相手の文章を読みましょうね』)に次のようなコメントをもらいました。

 そういうことではなくて (yama.R)

2005-12-08 20:54:20

> NTHAWKSさんが言うように
> “江戸時代に士農工商という
>  身分制度がなかった”のなら、
> 1件ぐらい引っかかっても
> よさそうなものです。
> まず、この検索結果から見ても
> NTHAWKSさんは
> 明らかに間違った事を言っている!

この部分がおかしいということを言ってるんですけど。
デンマンさんの記事では、「士農工商はなかった」のGoogle検索結果を「まず、この検索結果から見ても」、「明らかに間違っ」ている、とNTHAWKSさんへの反論の1つの根拠としてあげてますよね。
でもここで根拠として使うのであれば、「さらに1度ではなく何度も色々な検索語で検索したのですが」のように断るべきではないでしょうか。
そのようなことをどこにも書かず、「『士農工商はなかった』で検索しても1件もなかった、だからまずそこから見てもNTHAWKSさんは間違っている」というふうに書いてあった以上は読解力以前の問題として文章の内容が足りていません。
良くないですね。

僕はあくまでデンマンさんが検索したと書いた文章でしか、デンマンさんがどうやってどのくらい検索したのかは知ることはできません。
それを読解力不足だの何だの言われても困るだけです。
デンマンさんがどのくらいGoogleを使いこなしてるかなんて知らないので想像力でおぎなうのも無理です。

ところで、こういう事を検索するのであれば、文章でなく単語をスペースで区切って検索すべきではないでしょうか。
すくなくともGoogle無しで生活できないような僕はそう検索してるんですけどね。

yamaさんにはコメントをこれで3度ほどもらっていますが、ありがたいと思っています。
とにかく僕の記事にはコメントがめったに付かないんですよ。

僕は自分の記事を書くことが忙しくて、他の人のブログを読む時間があまり無いんですよ。
だから、僕の記事に対してフィードバックをしてくれるようなコメントは大変ありがたいです。
そういう意味でもyamaさんのコメントは僕にとって大変意味のあることです。

たまに付いたと思うとDEMPA55のような、とんでもない愚か者からのコメントなんですよ!んも~~
僕は、とにかく思っていることはズバズバ言うタチですからね、。。。
このような性格ですから、コメントを書く人も二の足を踏むわけですよ。

妙なコメントでもつけようものなら、僕は噛み付くような、あるいは噛み殺すような勢いで返信を書きますからね、。。。へへへ。。。。
そういうわけで、僕にコメントを書く人は少なくなるんです。

時には他の人のブログを覗く事もありますが、3行ぐらいのコメントが10から20ぐらい付いている記事を見ることもあります。
そのやり取りは2ちゃんねる的なんですよね。
世界のネットと言う観点から見れば、2ちゃんねる掲示板というのは、いわば特殊な現象ですよね。
欧米で18年間ネットをやっていた僕には、とてもあの匿名掲示板には馴染めない!
でも、日本では2ちゃんねる的やり取りが一般化しているような感じを僕は持っています。

このメチャ愚か者のDEMPA55は2ちゃんねるで生まれて育ったような人物なんですよ。
とにかく、3行ぐらいのコメントしか書けません。
そのような、どうでもいいような無意味なコメントをもらっても、記事を書くのに使えないんだったら、全く意味がありませんからね、
きりも無くコメントをもらう事も考え物です。

もちろん、DEMPA55は長い文章を書くこともありますが、それは極めてまれなんです。
長い引用をして、それを細切れにして、ぶつ切りにしてコメントをつける。それを繋(つな)げて長くしたような文章です。
このような種類の長い文章だけしか書けません。

2ちゃんねるの弊害は、こういうところに現れていると思いますよ。
2ちゃんねるでの語数制限が極めて少ないんですよね。
あれが標準だと思っている人が日本には実に多いような印象を僕は持っています。
つまり短い文章だけしか書けない人が多くなっている!

もちろん、長い文章だけが良いと僕は言っているのではありません。
読みやすくて、読んでいて面白くて、もっと読みたくなるような文章。
そういう文章を書きたいと僕自身は思っています。

読みやすいということは分かりやすいと言う事ですよね。
そういうわけで僕は分かりやすく書いているつもりです。
だから長くなる。

どうしてこのような長い文章を書くようになったのか?
それは欧米の教科書の影響です。

日本の大学で使う教科書が、とにかく難しく書かれていたんですよ。
教養学部時代に数学の解析理論を勉強した事がありますが、難しく書かれていてさっぱり分からなかった。
同じ科目をアメリカで勉強したら、教科書の厚さが3倍ぐらい厚い。
しかし、とても分かりやすく書いてあったから、講義に出なくても分かった。
それ程違っていました。

ところで話はガラッと変わりますが、生前、司馬遼太郎さんは良く言っていたものですよ。
“作品は作者だけが作るものではないんやで。作者と読者の共同作業なんや。”

正に名言だと思いましたね。
いくらすばらしい作品を作者が書いたつもりで居ても、読者にそのすばらしさが伝わらなかったら、その作品は駄作です。

しかし、僕は思いますよ。読者にもピンからキリまで居るんですよね。
だから平均的な“読解力”を持った読者を想定して書くわけですよね。

残念ながら、yamaさんは僕の基準に従うと平均的な“読解力”を持っていないんですよ!
一言で言ってしまえばyamaさんは“専門馬鹿”に近い人です。
文学作品は書けない人ですよ!
それが、これまで僕がyamaさんの文章から受けた印象です。

では、おもむろに説明したいと思います。
ここまで読んできたのなら、まずあなたは平均的な“読解力”を持っていますよ。
持っていないなら、へへへ。。。。、もうとっくの昔にこの記事を読むのを止めて他の記事へ飛んで行っているはずですからね!

では、ちょっと長くなりますが、次の記事を読んでみてください。僕の説明には欠かせない部分です。

『“士農工商”という身分制度はなかったのか?』の記事の中で、僕はNTHAWKSさんの次のようなコメントを引用しています。
> あの“士農工商”という身分制度です。

江戸時代にこういう身分制度はありません。


このように何の根拠も明示しないで“不注意に”断定していますが、本当にそうだったのだろうか?

“「士農工商」というのは明治になってはじめて使われた言葉です。”

NTHAWKSさんは、上のように書いていますが、明治になって誰がいつ使い始めたのか
批判をする時には、このようなことを明確に書かなければならないんですよね。

NTHAWKSさんは、あまり批判した事も無いようだし、批判を受けた事も無いようですね。
全く“批判”の文章になっていませんよ。
つまり、批判というには根拠が貧弱すぎます。
根拠が全く無いに等しい。

僕に言わせてもらえば、しっかりと調べもしないで聞きかじりの知識を並べて書いた、出来の悪い中学生レベルの文章です。
また、憎まれ口を聞いてしまいました。ねっ?
へへへへ。。。。。


まず、僕はGOOGLEで調べてみました。

GOOGLEで“士農工商 江戸時代”を入れて検索した結果

23,600件引っかかりました。

GOOGLEで“士農工商はなかった”を入れて検索した結果

全く引っかかりません!

NTHAWKSさんが言うように“江戸時代に士農工商という身分制度がなかった”のなら、1件ぐらい引っかかってもよさそうなものです。

まず、この検索結果から見てもNTHAWKSさんは明らかに間違った事を言っている!

僕はこのように書いたのです。
それに対してyamaさんは上のようなコメントを書いたわけです。

yamaさんはCSSの事は結構詳しいようですが、僕のように文章を書き慣れていないようですね。
“書き慣れていない”、と断定するのは早とちりになるかもしれません。
僕のように記事を書きまくる者には“検索”は欠かせません。
僕はたいていGOOGLEで検索します。

GOOGLE検索エンジンは早いんですよね。
最近はそれ程でもないですが、3年ぐらい前には他のエンジンと比べて“早いなあ~!”と感じたものです。
それ以来、僕はGOOGLEで検索する事が多いのです。

yamaさんは、あまり頻繁に検索しないような気がします。
上のコメントから僕はそのように感じたのです。
なぜなら、yamaさんは“僕がたった一度の検索結果で断定している”と決め付けている!

当然の事ですが僕は“江戸時代に士農工商という身分制度はなかった”という文を検索窓に入れて検索しています。

しかし、検索結果はZEROでした。
直感的に長すぎますよね。だから、引っかからなかったのだろうと思ったわけです。
それで僕は“江戸時代に”を除外して“士農工商という身分制度はなかった”という文を検索窓に入れて検索してみました。

検索結果はやはりZEROでした。

そういうわけで今度は“という身分制度”を除外したわけです。それで“士農工商はなかった”という文を検索窓に入れて検索してみたわけです。

僕が初めて上の短い文を検索した時には確かに検索結果はZEROでした。
ところが、馬鹿馬鹿しい話ですが、僕がこのようにして記事を書いたために、GOOGLEのロボットが僕が書いた記事の上をクロールして僕の記事をディレクトリーに載せてしまったんですね。
だから、日本時間で12月7日の午後3時に検索したら僕が書いた記事が2件引っかかりました。
次のリンクをクリックするとその検索結果を見ることが出来ます。
あなたが見る時には、この記事もロボットが読んでいるかもしれないので3つ引っかかるかもしれません。
『GOOGLEで“士農工商はなかった”という文を検索窓に入れて検索した結果』

つまり、“士農工商はなかった”を検索窓に入れて検索した結果が、もし何も引っかからないのなら、
“身分制度としての士農工商はなかった”を入れても引っかからないんですよね。
もちろん、“江戸時代に士農工商はなかった”を入れても引っかかりません。

そのようなわけで僕は GOOGLEで“士農工商はなかった”を入れて検索した結果
ということだけを書いたのです。

つまり、1度だけじゃなく僕は次のような文章を入れて検索した事になります。

“江戸時代に士農工商という身分制度がなかった”
“士農工商という身分制度はなかった”
“士農工商はなかった”
“身分制度としての士農工商はなかった”
“江戸時代に士農工商はなかった”

yamaさんは次のように書いていました。

“たった1つの検索方法でページが見つからなかったから相手が間違っていると断定するのはあまり良くないと思います。”

だから、このように決め付けるのは、yamaさん、良くないですね。へへへ。。。

もちろん、僕は上の文章以外にもいくつか試して見ました。
その結果として次の“石門心学”を見つけたわけですよ!

しかし、これだけでは片手落ちになるので、NTHAWKSさんが正しいとして、検索してみました。
その中から次のページを見つけました。

『江戸時代後半の文化』のページでは“石門心学”の観点から「士農工商」について次のように述べています。


yamaさん、僕はちゃんとこのように書いているわけですよ。
1時間以上検索したんですよ!
僕の文章をしっかり読めば、このようなことが分かるんですよ!
その結果は、明らかに“士農工商”という身分制度があったという事を書いている記事が圧倒的に多かったのですよ!
僕にとって“士農工商”身分制度というのは本質的な問題ではなかった。
これは、NTHAWKSさんも理解している!

僕は“縦社会思考”を説明するために“士農工商”を持ち出したのです。
そして僕の記事の中で日本人の多くが“縦社会思考”にどっぷりとつかっているようだ、と言っているわけです。

yamaさん、あなたはあまり他人の文章をじっくりと読まないようですね。
読んでいるのなら“読解力”があまりないですよ。
僕の記事をもう一度じっくりと読んでくださいね。

相手にコメントをつける時には、相手の文章をしっかりと読むべきですよ。
あなただって知らないわけではないでしょう?

ところでリンク先の記事を3つとも読みました。
大変興味深い記事でした。
ところが、どの文章も海外生活経験のある人が書いたものではないことが良く感じ取れますよ。
例えば、多民族社会と、単一民族の違いを具体的なケースを提示して説明していない。
観念論的に話を進めているので、僕のように多民族社会も単一民族社会も肌身で実感しているものには全く観念論としか受け止める事が出来ないんですよ。
要するに説得力に欠けるんですね。

例えばこのように書いている人が居た。

明治新政府は、江戸時代の自由の制限をなくし、身分の撤廃を行い、「四民平等」としました。
このような新政府の政策を印象付けるためには、何が何でも江戸時代は厳しい身分制度下になければならなかったのです。
「厳しい身分制度の江戸時代を倒し、身分差別のない自由な国を作る!」という大義名分が明治新政府には、絶対必要だったのです。


これが観念論的論理ですよ。
机上の学問です。
明治維新の歴史的説明には“民衆のサポート”が記述から脱落しています。
歴史では“明治の元勲”が明治維新を起こした事になっている!
だから、上のような机上の説明になってしまっている。

民衆に焦点を当てた歴史ならば決して上のような観念論にはなりえない!
なぜなら、“厳しい身分制度”が江戸時代にあったからこそ、“自由な国を作る明治政府”を民衆はサポートしたんですよ。
その一環として“士族”を無視しようとしたから大久保利通は暗殺された。
この事件一つ見ただけでも“士農工商”と言う身分制度が“明治日本人”の心の中に潜在していると言う事がよく分かる。
現代日本人もこの“士農工商”を心の中に持っている。
そのことを僕は“縦社会と横社会”で書いたんですよ!

フランス革命を起こしたのは誰か?
“共和制の元勲”ではないんですよ!
民衆ですよ!
この民衆が近代市民になったわけですよ!

民衆に焦点を当てない歴史は“机上の空論”になってしまう!

上のリンク先の文章は単一民族社会に育った人の平坦な観念論的な論理の展開で終わっている。
具体性に欠け、流行に乗った学説に引き回されるような書き方になっている。
例えば、僕の“縦社会と横社会”を読んでもらえば分かりますが、
僕は具体的に話を進めていますよ。僕のエピソードを織り込んで話を進めています。

“士農工商”がなかったとして、日本人の多くの心に内在している“縦社会思考”をどう説明するのか?
たとえ“士農工商”がなかったとしても、実際には多くの日本人が“縦社会思考”にどっぷりとつかっていますよ!
ナイトメア・ブログの山田社長などが良い例ですよ。
それからスマットさんが“お上”に“お伺いを立てる”ことなども“縦社会思考”の良い例ですよ。
それが海外生活20年の僕の実感なんですよ。
机の上だけの学問は使い物になりません!

NTHAWKSさんもyamaさんも、実際に“横社会”で暮らした経験がない!
なぜなら、僕に対してコメントをつけることは出来る。
しかし批判する事が出来ない!

同じことを僕が英語で欧米サイトで書けば、すぐにメールアドレスかURLをしっかりと書いて批判する人が現れます。
“横社会”に住むという事はそういうことです。
日本のサイトでは、まずそのような事がありません。

たいてい、匿名さんが下らない1行の公衆便所の落書きを書くのですよ!んも~~。

もちろん、NTHAWKSさんとyamaさんは、
そのような落書きを書く人から比べれば、“優等生”ですよ!へへへ。。。

僕が上の記事で、また、これまでの関連記事で何を言おうとしているのか?
平均的な“読解力”を持っているあなたにはすでに分かっている。

“横社会型思考を持ちましょう!”

僕はこのことを言っているんですよね。
士農工商の身分制度が仮に無かったとしても、日本には圧倒的に縦社会思考をしている人が多いと言っている。
その具体例としてナイトメアブログの山田社長の事を別の記事で述べたり、スマットさんが“お上”にお伺いを立てたというようなエピソードを持ち出して具体的に分かりやすいように僕は書いたつもりです。
僕の記事の中では“士農工商”と言う身分制度は枝葉末節(しようまっせつ)的な事なんですよ。
重要な事は縦社会型思考を持つ人が日本人には圧倒的に多いということなんです。
その一つの具体例として“士農工商”を持ち出しただけなんですね。
だから、“士農工商”をはずして読んでも僕が書いた記事は十分にその“主旨”を伝える事が出来る。

yamaさんのように“読解力”や“理解力”の足りない人のためにも良く分かるように、関連記事を読んでもらおうと僕はたくさんのリンクを貼っている。
でも、明らかにyamaさんは関連記事を読んでいない!
読んでいるのなら、全く理解できていない!

でも、平均的な“読解力”を持っているあなたには充分に理解できるはずです。
でしょう?
つまり、逆から類推してゆけば、“士農工商”という縦型の身分制度が江戸時代に実際に存在していたということも理解できる。

だから、“インパクトを与える”ために次のような書き方になっている!

NTHAWKSさんが言うように“江戸時代に士農工商という身分制度がなかった”のなら、1件ぐらい引っかかってもよさそうなものです。
まず、この検索結果から見てもNTHAWKSさんは明らかに間違った事を言っている!

これがインパクトを与える書き方ですよ!
これを読んだ“専門馬鹿”のyamaさんは“まちがっている”と思った。
つまり、僕のインパクトを与える文章に僕が思ったように反応しているわけですよね。

平均的な“読解力”を持っているあなたは、“まちがっている”と思ったかもしれない。
しかし、そう思いながらも読んでゆくと、。。。。
士農工商の身分制度が仮に無かったとしても、日本には圧倒的に縦社会思考をしている人が多いと言う事が理解できる。
その具体例としてナイトメアブログの山田社長の事を読むからです。
別の具体例として、スマットさんが“お上”にお伺いを立てたというエピソードも読むわけです。
この他にも僕のノバスコシア銀行のエピソードもある。

そして最終的に、“横社会型思考を持ちましょう!” と言う重要性が理解できます。

ここまで理解できれば、次のように書くことが、いかに愚かな事かが分かる!

この部分がおかしいということを言ってるんですけど。
デンマンさんの記事では、「士農工商はなかった」のGoogle検索結果を「まず、この検索結果から見ても」、「明らかに間違っ」ている、とNTHAWKSさんへの反論の1つの根拠としてあげてますよね。
でもここで根拠として使うのであれば、「さらに1度ではなく何度も色々な検索語で検索したのですが」のように断るべきではないでしょうか。
そのようなことをどこにも書かず、「『士農工商はなかった』で検索しても1件もなかった、だからまずそこから見てもNTHAWKSさんは間違っている」というふうに書いてあった以上は読解力以前の問題として文章の内容が足りていません。

要するにyamaさんは見識の狭い技術屋さん(文章を読んだ撲の直感です)だから専門馬鹿に徹していて、枝葉末節にこだわっている。
重箱の隅を突っついて重要でない事をガタガタ言っている!
何が重要なのか?
大局的な見方が出来ない!
俯瞰(ふかん)的な見方が出来ない。

細部にこだわっている。
木を見て森を見ることが出来ない。

要するに縦社会にどっぷりとつかっているので批判的な文章が書けない。
もちろん横社会で実際に生活した事も無い。
批判された事も無いし、その批判に満足に反論した事も無い。
だから、“修辞学”とはどういうものなのか全く分かっていない!
インパクトを与える文書とはどういうものなのか?
理解すら出来ない!

なぜなら、縦社会にどっぷりと浸(つか)っている人にとって、このようなことは無縁な事だからです。

そういうわけです。
yamaさんが書いていることは実に下らない事なんですよ。
僕の記事の主旨が理解できていれば、どうでも良い事なんですよ。

でも、yamaさんは理解していない!

だから、どうでも良い事にこだわっている!
“読解力”と“理解力”の無い事を世界のネットの皆様に自分で宣伝しているんですね。
僕はまだyamaさんのブログを読んでいません。
なぜか?
読む気にさせないのは、yamaさんの文章から彼の記事が読むに足りないものだ、と言う事が理解できるからです。
でも、時間が出来たら、本当にそうなのか?確認するためにもぜひ読んでみようと思います。

文章と言うものは短くともその人の個性が現れるものです。
僕は12月5日に書いた記事(『国際化の波に取り残されたある日本人のたわ言?』)の中で“Observer”さんを痛切に批判しました。
彼は僕にコメントを書いたわけではありません。2度トラックバックを僕の記事に付けてくれたのです。
彼のトラバクについていた文章は、僕を彼のブログへ惹きつけるだけのインパクトを感じさせたものです。
だからこそ、僕は彼のブログを読みに行ったのです。
僕にとっては極めて珍しい事です。

しかし、彼には僕の批判に対して反論する事が出来なかった!
なぜか?
Observerさんは“傍観者”としての人生を歩んでいるからですよ!
自分を見せたがらないからです。
批判すると言う事は自分のバックグランドを見せねばならない!
自分の中に育(はぐく)まれた文化を語らなければならない。
つまり、自分自身を語らねばならなくなる。
だから、人生を傍観者として歩んでいるObserverさんには僕を批判する事ができないのです。

yamaさんには語るべき文化的バックグラウンドがありません。
また、それを語るだけの“読解力”と“理解力”がyamaさんをバックアップしていない!
だから、何が重要で何が枝葉末節的なことなのか全く理解していない!
それで、どうでも良い事に貴重な時間を費やしている。
全く、意味のある批判になっていない!

あの“士農工商”を書いたNTHAWKSさんは反論していません。
なぜか?
それは、彼が最初に次のように書いているからですよ!

本筋からはずれますが

> あの“士農工商”という身分制度です。

江戸時代にこういう身分制度はありません。
武士と百姓・町人の関係を中心とした
職業と身分が結びついた制度ということです。
「士農工商」というのは明治になってはじめて使われた言葉です。
現在はこういう序列で江戸時代の身分制度を考えるのは
あやまりだとされています。

『“縦社会” と “横社会”』より

つまり、本筋からはずれたことなんですよ!
だから、NTHAWKSさんは反論するに及ばないと考えたのでしょうね。
僕の記事の中で何が重要な事なのかを読み取っていれば、
yamaさんのように枝葉末節な事を、重箱の隅を突っつくように議論したとて、あまり意味のあることではないんですよ。
第一、そのyamaさんの“反論”も全く技術的なことにこだわっていて、本質から程遠いところでガタガタ言っているんですね。
つまり、社会人としての“自我”が未発達のまま大人になってしまったような人です。
横社会と言うものを全く知りません。
これまでに満足に批判を受けたことも無い。
だから批判の仕方も知らない。

この記事を読んでもyamaさんは、まだ理解できないかもしれません。“読解力”が足りないから。。。。
でも、この記事を読んでくれる人に分かってもらえれば、僕がこの記事を書いた目的は達成されます。
そのつもりで書きました。

分かりやすい文章になっていたでしょうか?
僕に反論のある人は是非次のスレッドをじっくりと読んでから書いてくれるとうれしいです。

■ 『縦社会と横社会』

■ 『“士農工商”という身分制度はなかったのか?』

最後に一言!

DEMPA55から比べれば、yamaさんは、まだまだ優等生ですよ!
へへへ。。。。
僕も自分のことを聖人君主だとは思っていません。まだ未熟者です。
しかし、あなたに負けないほど勉強していますよ!
では、よろしく。
あなたのご意見・ご批判をお待ちしています。

では、今日も元気良く楽しくネットサーフィンしましょうね。


まだ読んでいないなら『ブログ入門・虎の巻』を下のリンクをクリックして読んでください。
ためになること請け合いです!

■ 『たくさんの人に読んでもらえるブログの作り方』

新しいブログを探している人のために!
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■ 『あなたが探していたブログはこれですよ!』


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一角(ひとかど)の人物だと思いたいの? [健全な批判精神]

 

一角の人物だと見せようとあせればあせるほど
あなたはボロを出しているんですよ!


僕は11月21日に『著作権って本当はどういうものなの?』という記事を書いてスマットさんを批判しました。

しかし、スマットさんはまともに反論してくれないんですよね。
多分、出来ないんだと思います。
スマットさんは次のように書きました。

通信文なら「秘密」が守られなければなりません。
コピペするなんてもってのほかです。
また、わたしのコメントに対するこの記事は通信文だから著作物じゃないし、勝手に利用していいってことになりますね。

>田舎者で無教養なプロバイダー

どこのプロバイダを誹謗中傷しているのかしりませんが(本社まで行って顔を見たりしたことは無いはず…証拠なしに批判するのは中傷です)、いまのうちに訂正しておいた方が身のためですよ。

>僕はマジですよ!へへへ。。。

マジだっていうんなら態度で示してもらいましょう。
どうせできないくせに…

ところで「あなたの法律」によると、新聞記事は著作物にあたりますか?
「実務的・運用的な事だけしか書かれていませんよ!
思想のかけらも無ければ、文芸の香りすら感じられない!」ものですよね。
単なる事実の羅列だから著作物ではないんですか?

by smz (またの名を“スマット”) at 2005-11-16 (Wed) 13:03

『通信文なら。。。』より

僕は上の記事の中ではっきりと書いているんですよ!

要するに公開のネットの上で僕に書いた通信文に他ならない。

     。 。 。

スマットさん、あなたは公開であるべきブログ上で交わされた通信文を“私有化”しようとしている!
世界のネット市民の“知る権利”を妨げようとしている!
つまり、多方向多重通信手段であるネットの性格をあなたは全く理解していない。

スマットさんはどうして僕の文章をじっくり読まないのですかねぇ?
ちゃんと答えが上の文章中に書いてあるじゃありませんか?

ネットで公開された通信文は“私信”ではないんですよ!
だから、“秘密”じゃないんですよね。
しかも、あなたの文章は“著作物”じゃないからコピーしてかまわないんですよ!

わたしのコメントに対するこの記事は通信文だから著作物じゃないし、勝手に利用していいってことになりますね。

僕のこの記事は「著作物」ですよ。なぜなら、「著作物」の定義の“学術”の範疇に属しています。

文部省設置法に従うなら、学術の定義は「自然科学,人文科学,社会科学の研究およびその応用に関すること」になっています。

僕のこの記事は明らかに「著作権法」に関する論考・考証ですから、「人文科学の研究および応用」にかかわっています。
りっぱに「著作物」として通用しますよ。
僕は初めから「著作物」として書いています。
あなたのように「実務的・運用的な事だけしか書かれていない」通信文として書いたわけではありません!

僕の記事には“創作者”の血と涙と汗と能力と経験と時間が注ぎ込まれていますよ!

僕は上の記事であなたが考えている誤った「著作権」という考え方を批判したんですよ。
「批判」とは何か?
僕は次の記事の中ではっきりと書いていますよ!
『コメントを書くなら、しっかりと内容のある文章を書いてくださいね』

そういうわけで、批判すると言う時、あなたは自分の文化的バックグラウンドと自分の個性、
自分自身を語らなければならない。
そうでない限り批判とは言えない。

この上で示した1行のコメントは批判じゃなくて、公衆便所の落書きですよ。

これはどうした事か?
つまり、語るべき文化的バックグラウンドと自分の個性がないのではないか?
あるのなら、そのことが語れないのではないか?
語り方を知らないのではないか?
欧米のサイトで18年やってから、日本のサイトで3年ほどですが僕は、そう、しみじみと感じましたね。

じゃあ、オマエはどうなのか?
とあなたは僕に尋ねるかもしれない。

僕のブログの記事を見てください。
どれも長い。
なぜか?
僕は自分の文化的バックグラウンドと自分の個性、
自分自身を語っているからですよ。

出来たら、あなたもそうしてください。
1行から3行の文章で
あなたは自分自身を語ることができますか?

つまり、僕は記事を書くとき、“血と涙と汗と能力と経験と時間を注ぎ込”んでいるつもりです。

ところで「あなたの法律」によると、新聞記事は著作物にあたりますか?
「実務的・運用的な事だけしか書かれていませんよ!
思想のかけらも無ければ、文芸の香りすら感じられない!」ものですよね。
単なる事実の羅列だから著作物ではないんですか?

新聞には“文芸欄”がありますよ。
「社説」は新聞社の“思想”を表明するものですよ!

新聞は、単なる事実の羅列ではないですよ!
プロフェッショナルが書いているんですよ!

では、「著作物」とは言えないような、スマットさんが書いた“駄文”とはどこが違うのか?

それはねぇ、新聞には“ハーグってどこの国か知らないけれど”なんて絶対に書けないものですよ。
そういう無責任な事は書かない!
いい加減な事は書けない!
それがProfessionalismですよ!

つまり、しっかりと事実を調べてから報道します。
新聞記事を書くために、記者は訓練と教育を受け、責任を持って書いているんですよ。
また、そうすべきですよね。
最近では大新聞社にも、いい加減な事を書く記者が出てくるようになりましたが。。。

つまり、僕が言おうとしている事は、新聞記者は“血と涙と汗と能力と経験と時間を注ぎ込”んでいる。
だからこそ「著作物」と言う事が出来る。

ところが、スマットさん、あなたは、いい加減で無責任なんですよ!
次の記事の中で僕は指摘しましたが、
『批判にまともに答える事が出来ない日本人』
あなたは無責任でいい加減な事を書いているわけですよ。

“ハーグってどこの国か知らないけれど”。。。

その程度の事は検索エンジンで調べてから、返信を書いてくださいよ!
こういう、いい加減で無責任な書き方をしている限り、あなたの文章は「著作物」とは言えないんですよ。

また、いやみっぽい書き方になってしまいましたあああ。 ハンセ~~

しかし、スマットさん、あなたに、こういう言いづらい事をズケズケと言う人はこれまでに居なかったでしょう?
あなたの文章を読んでいて、そのように感じましたよ。
つまり、あなたは“批判”ということを知らずに成人してしまった。
だから、“批判する”事を知らない。
“批判を受ける”事を知らない。
“批判に応ずる”事を知らない。
だから、いまだに論点をぼかした揚げ足取りの文章だけしか書けないんですよ!

僕もまだ未熟者ですが、あなたはもっともっと未熟者ですよ!

では、僕の文章を批判してください。
スマットさん、あなたの出番ですよ~♪~。
じゃあ、お待ちしていますね~♪~。


これに対してスマットさんが書いてくれた返信が次のものです。

21日ですね。消されたのかな?

ん?
これじゃあ、この記事をここまで読んできたあなたにも、何の事だか分からないでしょう?

スマットさんはこのような“会話”をするんですよ。

つまり、僕が分かりやすい例で示したように

“きれいな夕焼けだから、明日は晴れそうですねぇ~” (僕がこう言ったとします。)

“赤トンボが飛んでいるから、明日は仕事を休みますよ。” (スマットさんは、このようなトンチンカンな事を言っている。へへへ。。。アホかああああ!

僕とスマットさんの投稿の交換というのはすべてこのようにかみ合っていないんですよね。
僕がかみ合わせようとして分かりやすく書くのに、スマットさんはとんでもない方向に勝手に行ってしまうんですよ。

これじゃあ、“公衆便所の落書き”と変わりがないですよ。
スマットさんの上のコメントを知ろうとするなら次のスレッドを読まねばなりません。
『ナイトメア・ブログとその責任者に対する公開抗議文! (2005年11月7日)』
はっきり言って、この記事を読むより面白いと思いますよ。へへへ。。。

関心があったらぜひ読んでみてください。

とにかく、スマットさんは僕に“馬鹿にされている”と感じているようです。
それで、機会あるごとに“一角の人物だと思われたい”らしくて、僕にいろいろな“アドバイス”をしてくれるわけなんですよ。
つまり、ネットの事やコンピューターの事、。。。を知っているんだよ、ということを僕に印象付けたいようです。
要するに、僕が“馬鹿にするほど馬鹿じゃない”んだよ、ということを僕に知ってもらいたいようです。

そのようにして書いた記事が次のものです。
『話を変えますが文字コードの件です』

そんな事をするよりも、まともな反論を書けばいいと思うのですよねぇ~~。
話など変えなくてもいいのですよォ!
すぐ上のスレッドをすべて読んでもらえば分かりますが、
書けば書くほどスマットさんは“ボロ”を出しているんですよ!

僕に言わせてもらえば、“恥の上塗り”をやっているんですよ!

僕はスマットさんを決して馬鹿にしているわけじゃないのですが、
(ええっ?そう見えますかああ?へへへ。。。)
スマットさん自身で自分の“愚かさ”を暴露しているんですよ。

自分が一角の人物なのだと見せる必要はないんですよねぇ~。
なぜなら、人間は誰もが不完全なんですよ。
馬鹿の一つや二つ誰でもやるんですよ。
だから、そのことを指摘されたからといって、ムキになって“無い物を見せようとする”事はないんですよねぇ~。
ますます、“ボロ”を出す事になりますよ。

スマットさんの現在の状態が、正にそのようになっているように僕には見えるのですよ。
あなたには、どう見えるでしょうか?

こんな下らない事に答える気はないかもしれませんが、
へへへ。。。

もし良かったら、あなたのご意見をお聞かせください。
よろしく!

じゃあ、今日も楽しく、あなたと僕の二人でネットサーフィンしましょうね。

ィ~ハァ~♪~!


追記: スマットさんは、いまだに僕のメールアドレスを使っている“成りすまし犯罪者”です。

    証拠を見たい人は次のリンクをクリックして見てください。

『Re:フィードバックありがとう!』

でも、ナイトメア・ブログの小心者で田舎者の管理人よりマシですよ!
なぜなら、この管理人は僕の掲示板に毎日のように記事を読みに来るくせに、1度も僕の抗議文に対して返信を書いていません。
スマットさんは少なくとも僕の記事に返信を書いていますよ。

この国際感覚に欠け、ネチケットを守らない管理人に興味があったら次のリンクをクリックして読んでみてください。
『ナイトメア・ブログとその責任者に対する公開抗議文! (2005年11月7日)』

じゃあ、今日も楽しくがんばってくださいね。


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文章を読んで理解するのが苦手な日本人 [健全な批判精神]

文章を読んで理解するのが苦手な日本人


僕は11月20日に『批判にまともに答える事が出来ない日本人』という記事を書いてスマットさんを批判しました。

ここでまた断(ことわ)って置かなければなりませんが、僕はスマットさんにこだわっているわけではありません。
たまたま、彼は律儀にも僕の書いた記事に対してコメントを書いてくれるので、そのコメントに対して僕が新たな批判を試みるというわけなのです。

スマットさんに対して個人的に恨みを抱いているとか、言葉の暴力でやっつけようとか、イジメてやろうとか。。。、そういう悪意を僕は持っていません。

また、僕は悪口を言うわけでもありません。
ところで、日本には “批判” と “誹謗・中傷” を同じものと考えている人が実に多いんですよね。
簡単に言うと “誹謗・中傷” というのは根拠のない悪口です。でたらめや雑言を言って相手の名誉を傷つけたりする事です。

それに対して、“批判” と言うのは根拠に基づいて物事の良い悪いなどについて、論理的に検討して判断し評価することなんですね。
つまり、批判のないところに進歩はないんですよ。
お互いに批判しあって、良いところを吸収して人間的に社会的に前進するわけです。

だから、ブログでコメントを付け合って、お互いの考え方を批判し合うことは、世界のネット社会が発展するためには欠かせない事です。

次に僕が書いた事はそういう意味でスマットさんを批判しています。
くれぐれも悪口を言っているのではないという事をご理解してください。
もちろん、誹謗中傷しているのでもありません。

お互いに批判しあって、良いところを吸収して人間的に社会的に前進しようとしているわけです。
そのつもりで読んでくださいね。
すでに20日の記事を読んだ人は飛ばしてもいいですからね。



18日の記事(『日本のネットは世界のネットの一部ですよね?』)に対してスマットさんから次のような返信をもらいました。

違います。日本は日本、世界は世界です。
日本のネットは世界のネットの一部ではありますが、だからといって
文化まで他国(具体的にどこか知りませんが)に合わせる必要はありません。

日本はあなたが言うように大々的にネット検閲をおこなってはいません。
海外のネットポルノ映像に繋ぐことができるとしても、それは自主管理にまかされています。大人はそれでもいいでしょう。しかし子供はダメです。
日本各地には青少年育成条例というものがあります。
子供は年齢相当外のコンテンツ(猥褻物、暴力、その他もろもろ)を見てはいけないということのほかに、大人は子供にそういうものを見せてはいけないという条例です。
映画やTV、書籍などにあるレーティングというのがそうです。
なぜなら子供の成長を阻害するからです。
だからdreamblogに限らず日本のブログ運営会社は法律・条例に照らし合わせて、削除されるようなバークレーさんの記事は、見せてはいけない義務があったし、そういう記事を発見すれば削除しないのは違法なのです。

ていうか、「表現の自由」には、「ストリーキング禁止」が含まれていますよ。
(日本では公然猥褻物陳列罪 …略してわいちん)

by スマット 2005/11/18 11:04

『Re:日本のネットは世界のネットの一部ですよね?』より

僕はスマットさんにも理解できるように分かりやすく書いたつもりです。
でも、スマットさんは、どういうわけか、僕の歯車とかみ合っていません。
僕が18日に書いた記事とは、ほとんど関係ない事をスマットさんは書いていますよ。

スマットさんは、明らかに、“批判する”と言う事を知りません。
“反論の仕方”も知りません。
そのような勉強をしてこなかったし、これまでに批判し合うという経験がない事が上のスマットさんの文章を読むと、実によく分かるんですよ。

簡単に言えば、こういうことなんですよ。

“きれいな夕焼けだから、明日は晴れそうですねぇ~” (僕がこう言ったとします。)

“赤トンボが飛んでいるから、明日は仕事を休みますよ。” (スマットさんは、このようなトンチンカンな事を言っている。へへへ。。。アホかああああ!

僕が言おうとしている事が分かるでしょう?

つまり、スマットさんは僕が言おうとしている事におかまいなしに、故意に自分勝手な方向に話しを持ってゆこうとしている。
僕の歯車にかませようとしていないんですよね。

僕はコツコツと線路道を作りながら、話を進めています。
だから、スマットさんも、僕が敷いた線路道に乗ってきて欲しいんですよ。
ところが、せっかく線路道を敷いてお互いの意見を交換しようとしているのに、
スマットさんは、とんでもない、田んぼのあぜ道の方に歩いて行ってしまうんですよ。

これじゃあ、話になりませんよね!

“海外のネットポルノ”の話など、僕はどこにも書いていませんよ!
“日本では公然猥褻物陳列罪 …略してわいちん” そんなことを僕はどこにも書いていませんよ!

どうして、ハーグの話からネット検閲の話になんの?
どうして、ネット検閲から海外のネットポルノになんの?

それから、公然猥褻物陳列罪が出てきて、挙句の果てに“わいちん”になって、話が終わっているんですよ!(馬鹿馬鹿しいいい!

ばかああああ!
こんな馬鹿馬鹿しい反論は初めてだよ!
これじゃあああ、
話にならないじゃないかああああ!

僕はスマットさんを馬鹿にするつもりは毛頭ないですよ!
でも、こんな話の進め方は、無茶苦茶ですよ!
これまでの文章を読んでいて、あなたは不自然さを感じませんか?
馬鹿馬鹿しくなってきませんか?

僕の書いた記事とスマットさんの返信では話が全くかみ合っていないでしょう?

あれだけ僕がハーグの話を書いたのに、スマットさんは勝手にポルノの話をし始めているんですよ!

どうゆうわけなんだああああ!!!

一体どうなってんだあああ?
オマエ、マジでやれぇ~
オンドリャあああ!
いい加減にせんと、
ドタマかち割るぞおおおお!

今の僕は、本当にこんな気分ですよ。
でも、僕一人がカッカしても仕方ないですからねええぇ~
気持ちを静めますよ。

でもね、スマットさんはこれでもまだいい方なんですよ。
僕に返信を書いてくれましたからね。

だから、僕はありがたいと思っているんです。
ホントですよ!
感謝しています。

ところが、僕が公開抗議文を書いたのに、全く無視して返事をよこさない日本のブログ運営会社があるんですよ!
もう、非常識にもほどがありますよ!んも~!

ちょっと長くなりますが、僕に送りつけた警告文をまず掲げ、そのあとで僕の公開抗議文を書きます。

Subj: ナイトメア・ブログのご利用につきまして
Date: 06/11/2005 10:31:24 PM Pacific Standard Time
   07/11/2005 3:31:24 PM 日本時間
From: info@nightmareblog.jp (架空)
To: barclay1720@aol.com


ビーバーランド ネット様

この度は、当社のナイトメア・ブログにご登録いただき、誠に有難うごさいました。

弊社にてお客様サイトを確認させて頂きました。
お客様の投稿で利用規約に違反する内容がありますので修正してください。
修正が完了するまで、ポータルへ公開することが出来ません。

修正が完了致しましたら、連絡いただけますでしょうか。
連絡がいただけない場合、2週間後にサイトを削除させて頂きます。

詳細は以下を参照して下さい。

利用規約禁止事項 2.
(3)ポルノ、売春などわいせつ、わい雑な内容、倫理的に問題のあるコンテンツの表示
(5)その他、公序良俗に反する行為、あるいは社会的に不適切な行動と解される行為に違反していると判断しました。

・2005年10月28日 ビジネスに関係なく女性の下着画像を載せられている
・2005年11月03日 特定の人物(この場合実在するかどうかは問題ではありません)に対して馬鹿であると数回にわたり記述されている。
・2005年11月04日 コメントに対して>お前のようないい加減で無責任な低脳児童が日本にはたくさん居るんだよ、と返している。
・2005年11月06日 2005年11月04日の引用文掲載
・2005年11月06日 特定の人物(この場合実在するかどうかは問題ではない)に対して人間のクズという表現を使っている

この警告文に対して僕は次のような公開抗議文をメールで送りました。

・2005年10月28日 ビジネスに関係なく女性の下着画像を載せられている


この問題の下着画像は次のリンクをクリックすると見る事が出来ます。
『問題になった10月28日の下着画像を含んだ記事』

この程度の下着画像は社会生活上から見ても、これまで全く問題にされませんでした。
日本のプロバイダーからも欧米のプロバイダーからも指摘された事はありません。

つまり、このグローバル化・国際化の時代にあって、責任者であるあなたの倫理観が時代遅れであることを物語っています。
要するに、あなたが責任者としてプロバイダーを統括する資格が乏しいものと僕は理解しています。
         
社会的に反しているのは僕ではなくあなた自身です。
教養も無く、時代に即した倫理観を持っていないあなたが責任者としてナイトメア・ブログを運営している事自体が非社会的な行為なんですよ。

つまり、こうしてあなたが僕に対して時代遅れで非国際的な倫理観を押し付けている事自体が世界のネットの発展のためにならないという事です。
ネットの現状とプロバイダーのあるべき姿をあなたは全く理解していません。

・2005年11月03日 特定の人物(この場合実在するかどうかは問題ではありません)に対して馬鹿であると数回にわたり記述されている。

“馬鹿”という言葉は法律的には全く誹謗中傷には値しないものです。
過去の判例を参照してください。
11月3日の記事の文脈から考慮しても、この言葉が非倫理的には使われていません。

責任者であるあなたの倫理観に問題があります。
グローバル化・国際化の時代の流れについてゆけないあなたの教養の無さと、“倫理観”の貧弱さがプロバイダーとしてやってゆくだけの能力の無さをあなた自身が暴露しています。

・2005年11月04日 コメントに対して>お前のようないい加減で無責任な低脳児童が日本にはたくさん居るんだよ、と返している。

この件に関しては、あなたは中立の立場にあるべきなんですよ。
このようなブログ・プロバイダーとしての基本的なことがあなたには理解できていない。

欧米でも日本でも、このことは常識ですよ。
欧米なら、さしずめ、None of your business! とあなたは言われますよ。 

つまり、コメントを書いた“Akitu”と僕の問題です。
こんな基本的なことがあなたには理解できていない!
あなたがノコノコとしゃしゃり出てくるような問題ではないのですよ。

Akituは反論していないんです。
つまり僕の指摘した事に対して非を認めているからこそ反論ができないんです。

この記事の中ですべてが言いつくされています。
つまり、僕は正々堂々と僕の信条・信念に基づいてAkituを批判しているのです。

それに対してAkituは全く反論していません。
URLも書いていないし、どう見てもAkituの書き方こそ非難されるべきで、あなたがプロバイダーの責任者として、この事実が全く理解できていないという事は非常識・無教養としか言いようがありません。

他のプロバイダーの事も良く知らず、ネットの現状の認識も浅く、まさに時代遅れなあなたがナイトメア・ブログを運営している事に驚きを感じる次第です。

・2005年11月06日 2005年11月04日の引用文掲載

11月4日の記事が問題ない以上、それを掲載した事も全く問題になりません。

・2005年11月06日 特定の人物(この場合実在するかどうかは問題ではない)に対して人間のクズという表現を使っている


              
“人間のクズ”という言葉も、法律的には“馬鹿”と同様全く誹謗中傷には値しないものです。
過去の判例を見ても問題にならないものです。

責任者としてのあなたが首を突っ込んでくる問題ではないのです!
もし、問題があるならば、当事者の間で解決するような問題です。
あなたは、このような点について全く理解していません。
     
つまり、あなたはプロバイダーとしてネット社会に貢献するような形でユーザーをサポートしていないばかりか、あなた自身の教養の無さ、法律的問題に対する理解力の無さのために、時代遅れの倫理観をユーザーに押し付けようとしている。

非常識、非社会的としか言いようがありません。
要するに、あなたはプロバイダーとしての良識と、教養を身につけていないわけです。
言論の自由という事も全く理解できていません。

あなたは日本のネットのためにも世界のネットの発展のためにも即刻プロバイダーとしての責任者の立場から身を引くべきです。
あなたの“利用規約”の解釈の仕方が時代錯誤であり、ネットの現状とネットの発展を全く考慮していません。

つまり、言論の自由を守りネット社会をオープンなものとして発展させてゆくという観点から見て、あなたの態度と倫理観が全く時代遅れになっている事をここに指摘しておきます。

この文章は責任者であるあなたとナイトメア・ブログに対する公開抗議文のつもりで書きました。
僕の指摘した点について、あなたが明確に回答する事を望みます。


このような公開抗議文を送りつけたのですが、すでに期限の11月21日が近づこうとしているのに全く返事をよこしていません。
つまり、僕の公開抗議文を無視しているとしか言いようがないんですね。
要するに、返信を書いてくれたスマットさんと比べると、さらに程度の悪い人物が、ある小さなブログ運営会社を取り仕切って管理人としてやっているんですよ。

批判する事を知りません。
批判されたら、反論を書く。
そういう世界のネットの常識さえ知らない。
そういう人物がビジネス・ブログで業界ナンバーワンを目指していると言う。
全く愚かな事を言っているとしか言いようがありません。


一人のユーザーの批判さえまともに答える事が出来ない管理人が運営しているブログが、どうしてビジネス・ブログで業界ナンバーワンになれるのか?
この管理人は世界のネットを知らない井の中の蛙です。
全くの“田舎者”としか言いようがありません。

僕に反論のある人は是非次のスレッドを読んでから書いてくれるとうれしいです。

『ナイトメア・ブログとその責任者に対する公開抗議文!』

では、よろしく。
あなたのご意見・ご批判をお待ちしています。


ここまで読んでくれてありがとうございました。
スマットさんも読んでくれたんです。
そして次のような返信を書いてくれました。

>どうして、ネット検閲から海外のネットポルノになんの?

消された記事がわいちんだから。

>この件に関しては、あなたは中立の立場にあるべきなんですよ。
>このようなブログ・プロバイダーとしての基本的なことがあなたには理解できていない。
>欧米なら、さしずめ、None of your business! とあなたは言われます

いいえ。関係大有りで、「あなた」(dreamblog)は当事者です。そもそも「あなたのビジネス」そのものです。(爆笑)

とりあえず残りの日がないので、バークレーさんのビジネスと下着の写真の関連性についての説明メールを返信しておいた方がいいですよ。

by smz  2005-11-20 (Sun) 18:56

『消された記事がわいちんだから』より

とにかく、スマットさんが返信を書いてくれたので僕は感謝感激しています。
なぜなら、僕が公開抗議文を書いたにもかかわらず、いまだにナイトメア・ブログの管理人は抗議文を無視して回答をよこしていません。

しかし、この管理人は僕が次のスレッドに書いた記事を誰よりも一生懸命になって読んでいるんですよ。
『ナイトメア・ブログとその責任者に対する公開抗議文! (2005年11月7日)』

その証拠が次のアクセス解析グラフです。

13日から20日までの8日間、上のスレッドを訪れた訪問者を調べたものです。
話題の管理人がダントツなんですよ。
やはり気になるんですよね。
自分がどのようにユーザーから見られているのか?

かなり辛らつな批判を浴びていますよ!
しかし、僕の抗議文を無視しています。
こういうところが、心の狭いところなんですよね。
とても業界1位になれるような人物ではありませんよ。

ところで、スマットさんも、僕が立ち上げたスレッドに結構やって来て記事を読んでいるんですよ。
だから、僕は本当に感謝しています。
僕の記事に返信を書いてくれる他に、こうして僕が作った掲示板のスレッドにも、こまめに足をはこんでいたのですから。。。

しかし、その割には全く僕の書いた記事の内容について理解していないんですよね。
がっかりですよ。
上の返信を見れば、あなたにも分かるはずですよ。でしょう?

あとで、スマットさんがいかに文章の読解力がないかをゆっくとり説明します。

そういうわけで、僕はタイトルに“文章を読んで理解するのが苦手な日本人”と書いたんですよ。

でも、この記事をここまで読んでくれたあなたまでをこの日本人の中に含めるつもりは毛頭ありませんよ。へへへ。。。
あなたは、文章を読んで理解する事が苦手ではないですよね?
あなたは、ここまで読んできたのですから、まず間違いなく読解力のある人だと僕は思います。
なぜなら、読解力のない人は、ここまで読んできませんよ。

あまり長いので、痺れを切らせてどこかへ行ってしまっています。

例外は、スマットさんだけです。
この人は読解力がない!
でも、好奇心があるために、ここまで読んでこれるんですよ!へへへ。。。

>どうして、ネット検閲から海外のネットポルノになんの?

消された記事がわいちんだから。

その証拠に、スマットさんはこのように理解力のない所をさらけ出しているんですよ。
このナイトメア・ブログの管理人が問題にしたのは“わいちん”ではないんですよ!
下着画像なんですよ。
この下着画像を見てみたい人は次のリンクをクリックしてください。
『問題になった10月28日の下着画像を含んだ記事 【ビーバーランド・ワールドのジューンさんとレンゲさんの紹介です】』

この下着画像の事をスマットさんは“わいちん”と呼ぶんですよねぇ~。
僕はこのように叫びたくなりますよ!

一体どこが“わいちん”なんだあああ?
オマエ、マジかあ~
オンドリャあああ!
いい加減な事を言うと
ドタマかち割るぞおおおお!

とりあえず残りの日がないので、バークレーさんのビジネスと下着の写真の関連性についての説明メールを返信しておいた方がいいですよ。

そんな事をする必要はないんですよ!
上のスレッドでちゃんと説明しています。
次の記事を読んでください。
『何を問題にしているのか?』

上のアクセス解析グラフで分かるように、話題の管理人はこの記事を読んでいるんですよ!
スマットさんだって、読んでいるのだけれど、理解力も読解力も無いから頭に残っていないんですよ!
これが何よりの証拠ですよ!
スマットさん、あなたは本当に理解力と読解力の無い人ですよ!

>この件に関しては、あなたは中立の立場にあるべきなんですよ。
>このようなブログ・プロバイダーとしての基本的なことがあなたには理解できていない。
>欧米なら、さしずめ、None of your business! とあなたは言われます

いいえ。関係大有りで、「あなた」(dreamblog)は当事者です。そもそも「あなたのビジネス」そのものです。(爆笑)

こういうところがスマットさんの理解力が極めて足りないところなんですよ。
つまり、自分に都合がいいように解釈している。
僕が言おうとしている事を全く無視している!

この無視しているところは、“田舎者”の管理人と極めてよく似ていますよ!

もう一度書きます。

“きれいな夕焼けだから、明日は晴れそうですねぇ~” (僕がこう言ったとします。)

“赤トンボが飛んでいるから、明日は仕事を休みますよ。” (スマットさんは、このようなトンチンカンな事を言っている。へへへ。。。アホかああああ!

スマットさんは、このような会話をする人なんですよ。
僕が言おうとしている事が分かるでしょう?

>この件に関しては、あなたは中立の立場にあるべきなんですよ。

僕はこのように言っていたんです。

コメントを書いた“Akitu”と僕の問題です。
こんな基本的なことがあなたには理解できていない!
あなたがノコノコとしゃしゃり出てくるような問題ではないのですよ。

Akituは反論していないんです。
つまり僕の指摘した事に対して非を認めているからこそ反論ができないんです。

この記事の中ですべてが言いつくされています。
つまり、僕は正々堂々と僕の信条・信念に基づいてAkituを批判しているのです。

それに対してAkituは全く反論していません。
URLも書いていないし、どう見てもAkituの書き方こそ非難されるべきで、あなたがプロバイダーの責任者として、この事実が全く理解できていないという事は非常識・無教養としか言いようがありません。

他のプロバイダーの事も良く知らず、ネットの現状の認識も浅く、まさに時代遅れなあなたがナイトメア・ブログを運営している事に驚きを感じる次第です。

詳しい事は次の記事を読んでみてください。
『Akituのダメなコメント』

スマットさんは、このように理解力も読解力も無いんですよね。
でも、精一杯返信を書いてくれます。
どこかの小心な田舎者は、毎日のように僕の掲示板に記事を読みに来るくせに、僕の公開抗議文を無視し続けています。
どちらが世界のネットのエチケットを守っているか?

あなたにもお分かりですよね。
じゃあ、今日も楽しく愉快にやりましょう!
あなたと一緒にネットサーフィンでもやりましょう! ねっ?

追記: でもスマットさんは、いまだに僕のメールアドレスを使っている“成りすまし犯罪者”です。


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批判にまともに答える事が出来ない日本人 [健全な批判精神]

批判にまともに答える事が出来ない日本人


僕は11月18日に『日本のネットは世界のネットの一部ですよね?』という記事を書いてスマットさんを批判しました。

ここで断(ことわ)って置かなければなりませんが、僕はスマットさんに対して個人的に恨みを抱いているとか、言葉の暴力でやっつけようとか。。。、そういう悪意を持っていません。

日本には “批判” と “誹謗・中傷” を同じものと考えている人が実に多いんですね。
簡単に言うと “誹謗・中傷” というのは根拠のない悪口です。でたらめや雑言を言って相手の名誉を傷つけたりする事です。

それに対して、“批判” と言うのは根拠に基づいて物事の良い悪いなどについて、論理的に検討して判断し評価することなんですね。
つまり、批判のないところに進歩はないんですよ。
お互いに批判しあって、良いところを吸収して人間的に社会的に前進するわけです。

だから、ブログでコメントを付け合って、お互いの考え方を批判し合うことは、世界のネット社会が発展するためには欠かせない事です。

次に僕が書いた事はそういう意味でスマットさんを批判しています。
悪口を言っているのではありません。
もちろん、誹謗中傷しているのでもありません。

お互いに批判しあって、良いところを吸収して人間的に社会的に前進しようとしているわけです。
そのつもりで読んでくださいね。
すでに18日の記事を読んだ人は飛ばしてもいいですからね。



スマットさん、
日本のネットは世界のネットの一部だと言う事を忘れないでくださいね。
日本のネットは世界に開かれているのですよ。
つまり、ボーダレスです。
グローバル化です。
だから、僕もあなたも世界のネチケットに忠実であるべきでしょうね?

日本のマナーは世界に通用しませんよ。
すでに言ったようにボーダレスです。
世界のネットで僕もあなたもやっている事をぜひ忘れないでくださいね。
僕は、今、これをカナダのバンクーバーで書いているんですよ。

旧ソ連が崩壊したのはなぜだと思いますか?
ネットが縁の下の力持ちとして活躍したんですよ。

僕やあなたのような世界のネット市民が西側の健全な情報を情報鎖国を敷いていた旧ソ連に流していたんですよ。
良識ある旧ソ連の市民と活動家は、このような西側からのサポートを得て立ち上がったわけですよね。
分かるでしょう?
世界のネット市民には“知る権利”があります!
この知る権利を持つ世界のネット市民の基本的人権が“言論の自由・表現の自由”です。

だからね、スマットさん、“馬鹿の一つ覚え”みたいに、九官鳥でもあるまいに、“著作権”を並べ立ててわめかないでくださいね。
世界の市民の厚生福祉のためには著作権も制限を受ける場合もあるのです!
あなたの書いた文章は、すでに述べたように法的には著作物に値しないものです。
だから、コピーしたとて、法的にはなんら問題になりません!

つまり、日本だとか、欧米だとかにこだわらず、世界のネットにこだわりましょう。
世界のネット市民の基本的人権にこだわりましょうね。
世界のネチケットにしたがって世界のネットのマナーに従うべきですよ。

僕の住民票は日本のふるさとの市役所にありますが、
現在僕が居るのはバンクーバーです。

僕はもう人生の半分以上を海外で暮らしています。
僕の掲示板にカキコしているジューンさんもシャロンさんも日本語がペラペラで、
その上日本語で記事を書くことができます。
日本に居るたくさんの外国人も日本のサイトで記事を書いています。

WABLOGの僕のブログには日本に留学している韓国のヨンジュさん、
イランから留学しているRezaさんからコメントが寄せられていますよ。
フルーツブログではニュージーランドのNanaさんから、
僕の掲示板にはオーストラリアのアミサさん、ベトナムからユンさん。
つまり、ネットの世界は、実際、ボーダレスになっているんですよ。

だから日本のマナーは通用しませんよ。
世界のマナーに従いませんか?

『バークレーさんへの公開抗議文』
この上の記事の中で書いたのですが、スマットさんから次のようなコメントをもらいました。

>僕の掲示板にカキコしているジューンさんもシャロンさんも(以下略)

それって「レンゲ」さんみたいにあなたの作った想像上のキャラなのでは?

ハーグってどこの国か知らないけれど、
あなたの利用規約ではそこの国の法律で判断するんですよね?
そこの国の法律では著作権の取り扱いはどうなっていますか?

スマットさんのように教養も無く見識も狭い『井の中の蛙』には、
“カナダ人でもスマットさん以上に上手な日本語の文章が書ける人が居る”
ということが理解できないのです。

これは仕方が無いことです。
なぜなら、スマットさんは海外で暮らした事が無いので、そのような外国人を目にしたことが無い!
『百聞は一見にしかず』という諺がありますよね。
スマットさんも海外に出て、そのような人を見れば、自分が恥ずかしくなるはずです。

でも、スマットさんの人間関係は他の人に比べて実に狭いという事が分かります。
なぜなら、ジューンさんのように日本語をペラペラに話し、スマットさんよりも上手な日本語の文章を書く外国人が日本にも居ます。
僕は実際、日本に住んでいるそのような外人を10人以上知っていますよ。

次のジューンさんが書いた文章を読んでみてください。
『あなたは自分の可能性と潜在能力をもっと伸ばしたいと思いませんか?』

次のスレッドはスマットさんが『レンゲのフォーラム』に立ち上げたものです。
『記事引用における著作権の取り扱い』

このスレッドの中でsmzというハンドル名で書いている文章が、このスマットさんの文章です。
ジューンさんの文章と、このスマットさんの文章を比べてみてください。

僕の判断基準に従うなら、仮にジューンさんが大学生だとすると、
スマットさんは、出来の悪い中学生レベルですよ。

           
しかも、“ハーグってどこの国か知らないけれど”と言っているんですよねぇ~。
(ばっかじゃなかろかああああ!)
ハーグと言うのは国じゃないんですよねぇ~。
(アホかああああ!)

ハーグを知らないのならGOOGLEかYAHOOがあるのだから調べればいいのに、恥ずかしげも無く、こういう低学年の小学生みたいな事を言っているんですよねぇ~。

スマットさんはコンピューターに向かってですよ、上のコメントを書いたんですよ。
ハーグが分からなかったら、検索エンジンが何百とあるのだから、ちょっと一息入れて調べればいいじゃないですか!
そう思いませんか?
へへへ。。。

僕は何もスマットさんを馬鹿にするわけじゃないですよ!へへへ。。。
でも、馬鹿にしたくなるじゃないですかあああ!
小学生でもやるような事をやらないで、それで馬鹿みたいに“ハーグってどこの国か知らないけれど”と書いているんですよおおおお!

“ばかあああ~!
 GOOGLEで調べてから書けぇ~!”

これを読んでいるあなただって、もし、ハーグが都市なのか国なのかよく分からなければ、GOOGLEかYAHOOかGOOか、。。。
とにかく、どれか一つの検索エンジンを使って調べるでしょう?
コメントを書くように、ちょっとキーボードをたたけば調べる事ができるんですよ。そうでしょう?
これを読んでいるあなただって、そうするでしょう?違いますかあああ?
僕の言っている事は非常識な事だと思いますかああああ?

あなたは、ハーグが国の名前じゃなくて、都市の名前である事を知っているでしょう?
僕は、こんな事は義務教育を終了した日本人なら誰でも知っていると思っていましたよォ。
ほんとですよ。
冗談で言っているわけではありません!
スマットさんを馬鹿にするつもりでもないですよ。(何度も言いますけれどねええええ。。。)

でも、これまでに僕の付き合ってきた人で、ハーグが国だと思って居た人は一人も居ませんでしたよ!
僕がスマットさんのことを“井の中の蛙”と言うのはそのような理由があるんですよ。
僕は、何もスマットさんを馬鹿にするわけじゃありませんよォ~。

でも、。。。。でもですよおおおお。。。。
どういう人生を送ってきたんでしょうねええええ。。。??
僕は、不思議な生き物を見ているような妙な気になってきましたよ。まったくううう~

僕は、何度も言うように最低でも20カ国を歩き回ったですからねぇ~、
自慢するわけで言っているんじゃないんですよ!
ただ、井の中の蛙じゃないよおおおお!。。。。と言っているだけです!

だから、もちろんハーグにも行きましたよ。
僕にしてみれば、ハーグは裏庭のような身近なものですよ。

それだけに、“ハーグってどこの国か知らないけれど”なんて言われると、
僕は、“へええええええ。。。。。????? そう言う人も居るんだあああ!”
。。。と言う事になってしまいますよおおおお!

本当に居るもんですねえええ~! 
僕は、実にたまげましたよ!

ぶったまげましたよ!

何度も言うように、僕は決してスマットさんを馬鹿にするつもりではありませんよ!
でも、率直に言って、スマットさんは世界のネットをやるだけの教養を持っていませんよ!
僕は、実にさまざまな人とこれまで交信したことがあります。

また、実際に、さまざまな国の人とも顔をつき合わせて話した事もあります。
しかし、スマットさんのような無神経で常識知らずな人と、こうして交信するのは極めてまれな事ですよ。
“ハーグってどこの国か知らないけれど”。。。
こういう神経じゃあ、世界のネットをやっていて馬鹿にされても仕方が無いですよ!

ん? 
ハーグってどこの国か知らない?
“ばかあああ~! 
 GOOGLEで調べてから書けぇ~!”

くどいようですが、もう一度言わせてもらいます!

スマットさん、僕は遊びでネットをやっているんじゃないんですよ!
僕と今後も交信したければ、せめて“ハーグ”を知らなかったら、GOOGLEかYAHOOで調べるような手間をかけてくださいね。
これが世界のネチケットですよ!

そうじゃないと、このように僕に、とことんお説教を喰らうわけですよ!

普通の日本人なら、“馬鹿を相手にスンナ!”と言うわけで、あなたは相手にされませんよ!
でも、僕は典型的な日本人ではありません。
このことはすでに書きました!
だから、あなたのような無神経で無教養な人であっても、僕は人間として付き合う事が出来ます。

なぜなら、あなたのような日本人が最近日本に増えているからなんですよ。
“妄想部屋”に閉じこもって、すっかり“井の中の蛙”になってしまっている。
あなたのような人が50万人居るんですよ!

スマットさん、実は、あなたもその中の一人なんですよ!
あなたの身元は分かっているんですよ。
あなたの学歴も分かっています。
あなたの氏名も住所も分かっています。
もちろんあなたのIPアドレスも分かっている。
あなたのプロバイダーも分かっている!
あなたは、もう逃げ隠れできないんですよ!
ネットではね、調べる気になるなら、ちゃんと分かるものなんですよ!
あなたは、このようなことも知らない!

しかもあなたは、悪気が無いのかもしれないけれど、知らずに大変な犯罪を犯しています。
僕のメールアドレスをあなたは使っている。
あなたはsmzと言うハンドル名を使って『レンゲのフォーラム』に投稿を書いていますが、
E-MAILに僕のメールアドレスを使っているんですよ!
すべての投稿に僕のメールアドレスを書いている!

証拠隠滅を防ぐために、僕の掲示板は丸ごとすべて保存してありますよ!

あなたは犯罪者ですよ。
つまり、“成りすまし犯罪者”と言われても仕方が無いんですよ!
こういう人間としての基本的なルールも守れていない!

スマットさん、分かりますかあああ?
警視庁の情報捜査官に証拠をメールすれば、
あなたのところに即刻警告文が舞い込みますよ!
あなたは、間違いなく犯罪を犯しています!
僕のメールアドレスを無断で使っています!
“成りすまし犯罪者”ですよ!

こういうことが全く理解できていないようですからね、
“著作権”を引き合いに出す資格があなたにはありません!

どうか、心を入れ替えて、真人間になってくださいね。
あなたが一人でも、真人間になると、日本があなた一人分だけ確実に良くなります。
そのために、僕はあなたを相手にしています。
分かりますよね。
あなたも、そこまでの馬鹿じゃないはずです!でしょう? へへへへ。。。。
お願いします。

分かった?
じゃあね。


ここまで読んでくれてありがとうございました。
僕は分かりやすく書くつもりで書いています。
長い記事を書くつもりで書いているのではありません。へへへ。。。

上の記事に対してスマットさんから次のような返信をもらいました。

違います。日本は日本、世界は世界です。
日本のネットは世界のネットの一部ではありますが、だからといって
文化まで他国(具体的にどこか知りませんが)に合わせる必要はありません。

日本はあなたが言うように大々的にネット検閲をおこなってはいません。
海外のネットポルノ映像に繋ぐことができるとしても、それは自主管理にまかされています。大人はそれでもいいでしょう。しかし子供はダメです。
日本各地には青少年育成条例というものがあります。
子供は年齢相当外のコンテンツ(猥褻物、暴力、その他もろもろ)を見てはいけないということのほかに、大人は子供にそういうものを見せてはいけないという条例です。
映画やTV、書籍などにあるレーティングというのがそうです。
なぜなら子供の成長を阻害するからです。
だからdreamblogに限らず日本のブログ運営会社は法律・条例に照らし合わせて、削除されるようなバークレーさんの記事は、見せてはいけない義務があったし、そういう記事を発見すれば削除しないのは違法なのです。

ていうか、「表現の自由」には、「ストリーキング禁止」が含まれていますよ。
(日本では公然猥褻物陳列罪 …略してわいちん)

by スマット 2005/11/18 11:04

『Re:日本のネットは世界のネットの一部ですよね?』より

僕はスマットさんにも理解できるように分かりやすく書いたつもりです。
でも、スマットさんは、どういうわけか、僕の歯車とかみ合っていませんよね。
あなたは、どう思いますか?

僕が上で書いた事とは、ほとんど関係ない事をスマットさんは書いていますよ。
その事をこれを読んでいるあなたに理解してもらうために、僕は長々とすでに書いた記事を引用したのです。

スマットさんは、明らかに、“批判する”と言う事を知りません。
“反論の仕方”も知りません。
そのような勉強をしてこなかったし、これまでに批判し合うという経験がない事が上のスマットさんの文章を読むと、実によく分かるんですよ。

簡単に言えば、こういうことなんですよ。

“きれいな夕焼けだから、明日は晴れそうですねぇ~” (僕がこう言ったとします。)

“赤トンボが飛んでいるから、明日は仕事を休みますよ。” (スマットさんは、このようなトンチンカンな事を言っている。へへへ。。。アホかああああ!)

僕が言おうとしている事が分かるでしょう?

つまり、スマットさんは僕が言おうとしている事におかまいなしに、故意に自分勝手な方向に話しを持ってゆこうとしている。
僕の歯車にかませようとしていないんですよね。

僕はコツコツと線路道を作りながら、話を進めています。
だから、スマットさんも、僕が敷いた線路道に乗ってきて欲しいんですよ。
ところが、せっかく線路道を敷いてお互いの意見を交換しようとしているのに、
スマットさんは、とんでもない、田んぼのあぜ道の方に歩いて行ってしまうんですよ。

これじゃあ、話になりませんよね!

“海外のネットポルノ”の話など、僕はどこにも書いていませんよ!
“日本では公然猥褻物陳列罪 …略してわいちん” そんなことを僕はどこにも書いていませんよ!

どうして、ハーグの話からネット検閲の話になんの?
どうして、ネット検閲から海外のネットポルノになんの?

それから、公然猥褻物陳列罪が出てきて、挙句の果てに“わいちん”になって、話が終わっているんですよ!(馬鹿馬鹿しいいい!)

ばかああああ!
こんな馬鹿馬鹿しい反論は初めてだよ!
これじゃあああ、
話にならないじゃないかああああ!

僕はスマットさんを馬鹿にするつもりは毛頭ないですよ!
でも、こんな話の進め方は、無茶苦茶ですよ!
これまでの文章を読んでいて、あなたは不自然さを感じませんか?
馬鹿馬鹿しくなってきませんか?

僕の書いた記事とスマットさんの返信では話が全くかみ合っていないでしょう?

あれだけ僕がハーグの話を書いたのに、スマットさんは勝手にポルノの話をし始めているんですよ!

どうゆうわけなんだああああ!!!

一体どうなってんだあああ?
オマエ、マジでやれぇ~
オンドリャあああ!
いい加減にせんと、
ドタマ勝ち割るぞおおおお!

今の僕は、本当にこんな気分ですよ。
でも、僕一人がカッカしても仕方ないですからねええぇ~
気持ちを静めますよ。

でもね、スマットさんはこれでもまだいい方なんですよ。
僕に返信を書いてくれましたからね。

だから、僕はありがたいと思っているんです。
ホントですよ!
感謝しています。

ところが、僕が公開抗議文を書いたのに、全く無視して返事をよこさない日本のブログ運営会社があるんですよ!
もう、非常識にもほどがありますよ!んも~!

ちょっと長くなりますが、僕に送りつけた警告文をまず掲げ、そのあとで僕の公開抗議文を書きます。

Subj: ナイトメア・ブログのご利用につきまして
Date: 06/11/2005 10:31:24 PM Pacific Standard Time
   07/11/2005 3:31:24 PM 日本時間
From: info@nightmareblog.jp (架空)
To: barclay1720@aol.com


ビーバーランド ネット様

この度は、当社のナイトメア・ブログにご登録いただき、誠に有難うごさいました。

弊社にてお客様サイトを確認させて頂きました。
お客様の投稿で利用規約に違反する内容がありますので修正してください。
修正が完了するまで、ポータルへ公開することが出来ません。

修正が完了致しましたら、連絡いただけますでしょうか。
連絡がいただけない場合、2週間後にサイトを削除させて頂きます。

詳細は以下を参照して下さい。

利用規約禁止事項 2.
(3)ポルノ、売春などわいせつ、わい雑な内容、倫理的に問題のあるコンテンツの表示
(5)その他、公序良俗に反する行為、あるいは社会的に不適切な行動と解される行為に違反していると判断しました。

・2005年10月28日 ビジネスに関係なく女性の下着画像を載せられている
・2005年11月03日 特定の人物(この場合実在するかどうかは問題ではありません)に対して馬鹿であると数回にわたり記述されている。
・2005年11月04日 コメントに対して>お前のようないい加減で無責任な低脳児童が日本にはたくさん居るんだよ、と返している。
・2005年11月06日 2005年11月04日の引用文掲載
・2005年11月06日 特定の人物(この場合実在するかどうかは問題ではない)に対して人間のクズという表現を使っている

この警告文に対して僕は次のような公開抗議文をメールで送りました。

・2005年10月28日 ビジネスに関係なく女性の下着画像を載せられている

この問題の下着画像は次のリンクをクリックすると見る事が出来ます。
『問題になった10月28日の下着画像を含んだ記事』

この程度の下着画像は社会生活上から見ても、これまで全く問題にされませんでした。
日本のプロバイダーからも欧米のプロバイダーからも指摘された事はありません。

つまり、このグローバル化・国際化の時代にあって、責任者であるあなたの倫理観が時代遅れであることを物語っています。
要するに、あなたが責任者としてプロバイダーを統括する資格が乏しいものと僕は理解しています。
         
社会的に反しているのは僕ではなくあなた自身です。
教養も無く、時代に即した倫理観を持っていないあなたが責任者としてナイトメア・ブログを運営している事自体が非社会的な行為なんですよ。

つまり、こうしてあなたが僕に対して時代遅れで非国際的な倫理観を押し付けている事自体が世界のネットの発展のためにならないという事です。
ネットの現状とプロバイダーのあるべき姿をあなたは全く理解していません。

・2005年11月03日 特定の人物(この場合実在するかどうかは問題ではありません)に対して馬鹿であると数回にわたり記述されている。

“馬鹿”という言葉は法律的には全く誹謗中傷には値しないものです。
過去の判例を参照してください。
11月3日の記事の文脈から考慮しても、この言葉が非倫理的には使われていません。

責任者であるあなたの倫理観に問題があります。
グローバル化・国際化の時代の流れについてゆけないあなたの教養の無さと、“倫理観”の貧弱さがプロバイダーとしてやってゆくだけの能力の無さをあなた自身が暴露しています。

・2005年11月04日 コメントに対して>お前のようないい加減で無責任な低脳児童が日本にはたくさん居るんだよ、と返している。

この件に関しては、あなたは中立の立場にあるべきなんですよ。
このようなブログ・プロバイダーとしての基本的なことがあなたには理解できていない。

欧米でも日本でも、このことは常識ですよ。
欧米なら、さしずめ、None of your business! とあなたは言われますよ。 

つまり、コメントを書いた“Akitu”と僕の問題です。
こんな基本的なことがあなたには理解できていない!
あなたがノコノコとしゃしゃり出てくるような問題ではないのですよ。

Akituは反論していないんです。
つまり僕の指摘した事に対して非を認めているからこそ反論ができないんです。

この記事の中ですべてが言いつくされています。
つまり、僕は正々堂々と僕の信条・信念に基づいてAkituを批判しているのです。

それに対してAkituは全く反論していません。
URLも書いていないし、どう見てもAkituの書き方こそ非難されるべきで、あなたがプロバイダーの責任者として、この事実が全く理解できていないという事は非常識・無教養としか言いようがありません。

他のプロバイダーの事も良く知らず、ネットの現状の認識も浅く、まさに時代遅れなあなたがナイトメア・ブログを運営している事に驚きを感じる次第です。

・2005年11月06日 2005年11月04日の引用文掲載

11月4日の記事が問題ない以上、それを掲載した事も全く問題になりません。

・2005年11月06日 特定の人物(この場合実在するかどうかは問題ではない)に対して人間のクズという表現を使っている


              
“人間のクズ”という言葉も、法律的には“馬鹿”と同様全く誹謗中傷には値しないものです。
過去の判例を見ても問題にならないものです。

責任者としてのあなたが首を突っ込んでくる問題ではないのです!
もし、問題があるならば、当事者の間で解決するような問題です。
あなたは、このような点について全く理解していません。
     
つまり、あなたはプロバイダーとしてネット社会に貢献するような形でユーザーをサポートしていないばかりか、あなた自身の教養の無さ、法律的問題に対する理解力の無さのために、時代遅れの倫理観をユーザーに押し付けようとしている。

非常識、非社会的としか言いようがありません。
要するに、あなたはプロバイダーとしての良識と、教養を身につけていないわけです。
言論の自由という事も全く理解できていません。

あなたは日本のネットのためにも世界のネットの発展のためにも即刻プロバイダーとしての責任者の立場から身を引くべきです。
あなたの“利用規約”の解釈の仕方が時代錯誤であり、ネットの現状とネットの発展を全く考慮していません。

つまり、言論の自由を守りネット社会をオープンなものとして発展させてゆくという観点から見て、あなたの態度と倫理観が全く時代遅れになっている事をここに指摘しておきます。

この文章は責任者であるあなたとナイトメア・ブログに対する公開抗議文のつもりで書きました。
僕の指摘した点について、あなたが明確に回答する事を望みます。


このような公開抗議文を送りつけたのですが、すでに期限の11月21日が近づこうとしているのに全く返事をよこしていません。
つまり、僕の公開抗議文を無視しているとしか言いようがないんですね。
要するに、返信を書いてくれたスマットさんと比べると、さらに程度の悪い人物が、ある小さなブログ運営会社を取り仕切って管理人としてやっているんですよ。

批判する事を知りません。
批判されたら、反論を書く。
そういう世界のネットの常識さえ知らない。
そういう人物がビジネス・ブログで業界ナンバーワンを目指していると言う。
全く愚かな事を言っているとしか言いようがありません。


一人のユーザーの批判さえまともに答える事が出来ない管理人が運営しているブログが、どうしてビジネス・ブログで業界ナンバーワンになれるのか?
この管理人は世界のネットを知らない井の中の蛙です。
全くの“田舎者”としか言いようがありません。

僕に反論のある人は是非次のスレッドを読んでから書いてくれるとうれしいです。

『ナイトメア・ブログとその責任者に対する公開抗議文!』

では、よろしく。
あなたのご意見・ご批判をお待ちしています。


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バークレーさんへの公開抗議文 [健全な批判精神]

バークレーさんへの公開抗議文

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“言葉は武器に勝る武器である”(バークレーの書きたい放題)

> by スマット at 2005-11-10 (Thu) 20:11

わたしが書いたコメントです。
著作者名を改変しないでください。
当然ですが著作権法違反なので抗議します。

訂正と謝罪を
お願いします。


リンク先も間違っています。

訂正と謝罪を
お願いします。


ついでに、先に別記事のコメントした分を再度書きます。

日本のブログサービスは日本の法規により縛られています。Qlepの利用規約を見ても、

>【第23条】 準拠法・管轄
> 本規約に関する準拠法は、全て日本国の法令とし、
>弊社と会員との紛争については、大阪地方裁判所を
>第1審の専属管轄裁判所とすることを予め合意し
>ます。

ごくごく一般の規約です。
あなたは利用に際し、利用規約に合意したのですか合意しないのですか。ぜひYes、Noでお答えください。

海外の法規(どこの国かは知りませんが)にこだわるなら、それこそ海外のブログサービスを使用するべきです。

この記事は転載不可とします。 <--- こんな事を書いちゃダメ! これ無効です!
正当なリンクなら無条件に許可します。
(コピーの許可をもらったと言われないため明記)

by smz at 12:44


僕はsmzさんの名前を改変しようとしたわけではないのですよ。
ただし説明不足だった点はお詫びしなければならないでしょう。

どうしてsmzじゃなく“スマット”としたのか?
まず、smzと言うハンドル名が日本的でないということです。

日本人でアルファベット3文字をハンドル名にしている人が一体幾人いるか?
おそらく、5%以下でしょう。

せめて、“デンマン”だと“バークレー”だとか“ロブソン”だとか、すぐに名前だと分かるようなハンドル名でないとQlepのように団体名、プロバイダー名、。。。のように思われやすい。
つまり読む人に誤解を与える。
誤解を与えないまでも、混乱させる。
何も事情の分からない人が読むためには、一目で個人名と分かるほうが望ましい。

だから僕は団体ではなく個人を相手にしているつもりで“スマット”としたんですよ。
smzから、すぐに“スマット”という語句を連想したのです。
“smzさん” と書くより “スマットさん” とした方が文章として自然なんですよ。
そういうわけで、今後すべて“スマット”として書きます。
これは世界のネット市民の皆様のためです。
個人の問題というより、世界のネットの問題として捉えているわけです。
悪意ではなく善意からそうしているのです。
あなた一個人を問題にしているわけではないんですよ!
“罪を憎んで人を憎まず”という古言があるでしょう。

スマットさん、あなたの理解力の無さ、国際感覚の無さ、。。。
そういう人間としての欠陥を世界のネットの前に示して僕は考える場を提供しているのです。

それから、僕のQLEPでのブログが丸ごと削除されそうだから(そういう警告のメールをもらいました)、QLEPとは関係ないところで議論がしたかったわけですよ。
そういうわけで、名前もQLEPとは関係ない名前を使いたかった。

いずれにしても、僕はQLEPで削除されると思われる僕の文章と関連記事を僕の掲示板(『レンゲのフォーラム』)にコピーしました。
だから、あとで“デッド・リンク(死んだリンク)”にならないようにリンク先も僕の掲示板にしたわけです。
つまり、この記事を読んでくれる読者の便宜を図ったわけです。
ネットは世界に開かれたメディアです。

僕はsmzさんや僕だけ、つまり二人のためではなく、世界のネット市民の皆様のためを考えてそのようにしたわけなんですよ!
要するに、読む人にとって読みやすいため、あとでこのページを読んでもデッドリンクにぶち当たって混乱しないため、
“いい加減な記事を書いている”と思われないためにも、そのような配慮をしたわけです。

したがって、“罪”になるような事はしていない!
むしろ、褒められるべき行為をしたんですよ!


だから、“謝罪”なんて命をとられてもできません!
説明不足だった点はお詫びしなければならないでしょう。(これだけで十分!!)

それから著作権法違反に関する事ですが、。。。
“著作権法”に次のように定義されています。

第2条 この法律において、次の各号に掲げる用語の定義は、当該各号に定めるところによる。

1.著作物

思想又は感情を創作的に表現したものであつて、
文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。


従って、僕が引用したスマットさんの文章は“思想又は感情を創作的に表現したもので”はない!
単純に、事実を事実として記述した、あるいは事実として引用したものに過ぎません。
思想もなければ、感情の創作的表現もありません!
スマットさんが書いたものは文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属していません。

従って、スマットさんは“著作物”を書いていません。
よって、“著作権”を持ち出す理由がどこにもありません。

当然のことながら、著作権法違反にはなりようがない!

そういうわけなので、味噌汁で顔を洗って出直してくださいね。


失礼!スマットさんを愚弄するつもりは毛頭ありません。
ただ、スマットさんが初歩的な法律用語も知らないので可笑しくなってしまったのです!
本当に失礼いたしました。
でも、やっぱりおかしいよ!へへへへ。。。。


日本のブログサービスは日本の法規により縛られています。Qlepの利用規約を見ても、

>【第23条】 準拠法・管轄
> 本規約に関する準拠法は、全て日本国の法令とし、
>弊社と会員との紛争については、大阪地方裁判所を
>第1審の専属管轄裁判所とすることを予め合意し
>ます。


これはねぇ、QLEPが勝手に書いているだけのことなんですよ!
QLEPと僕の法的権利は全く同等なんですよ!
つまり、日本国憲法に基づいてQLEPとデンマンは同等の権利を有するわけですよ!

じゃあね、デンマンの利用規約をここに書きますよ!

デンマンのインターネット利用規約

【第1条】 準拠法・管轄

本規約に関する準拠法は、全て国際法とし、
デンマンとインターネットを利用するネット市民あるいは団体との紛争については、ハーグの国際法廷を第1審の専属管轄裁判所とする。

【第2条】 ネット上での人権保護

基本的人権は国連の機能の中でも中心的な位置を占める。
国連はその権利の享受を実際に保障する使命を負う。
国連には人権委員会や人権高等弁務官事務所などの機構がすでに存在し、
人権を侵害する国々へ圧力をかけることが可能である。

よって、ネット上での人権に関する問題はグローバル化の現状にかんがみて
国連憲章にのっとり国連人権委員会の勧告と指導に基づいて解決されるものとする。


これがQLEPと同等の権利を有するデンマンのネット利用規約です。

スマットさん、分かりましたね。
あなたは海外生活経験がないばかりでなく、思考自体がすっかりグローバル化から取り残されて『井の中の蛙』になっていますよ。
あなたは、世界のネットの上で、基本的人権というものをもう一度考え直してみる必要がありますね!
言論の自由・表現の自由は世界のネット市民の基本的人権としてプロバイダーの規則より優先しなければならないんですよ!

それから、スマットさん、あなたははっきりと次のように書いている!

     
バークレーさんへの公開抗議文

僕は、あなたが僕の思想に共鳴して僕に対して『公開抗議文』を書いてくれて本当にうれしいですよ!
ねっ。。。分かるでしょう?。。。こうやって涙を吹き出しながら喜んでいますよ!
これ、僕マジですよ!
あなたをからかっているのでも、馬鹿にしているのでもありません!
一人でも多く、僕の思想に共鳴する人を増やそうと僕はネットで頑張っているんですよ!

スマットさんが何も知らずに僕の思想に共鳴したので僕は本当にうれしい~~~!!

スマットさん、僕は次の記事(『なぜデンマンさんは日本、アメリカ、カナダ、イギリスのサイトでブログを立ち上げてやっているの?』)の中であなたのトラックバック先の記事を引用させてもらいました。
それをそのまま下にコピーしました。

あなたは僕を世界のネットに向けて批判しているんですよ!
もちろん、その事に対して僕は異議がありません。
ドンドンやるべきですよ!
僕がやっている事が、正にそのような事なんですから。。。

だからね、世界のネットに向かって叫んでいる人が次のような事を書いてはいけません!

例によってバークレーさんへのトラックバックですので、部外者は読んでもスルーしてください。

この記事は転載不可とします。

これは、世界のネット市民の知る権利を侵害している事になります!
ネットはどういうものか?
多方向多重通信メディアです!

僕はこのことについては、じっくりと説明したのですが、スマットさんの理解力が乏しいために良く理解できなかったようですね。
ここで改めて説明します。

バークレーさんへのTB その3

例によってバークレーさんへのトラックバックですので、
部外者は読んでもスルーしてください。 <--- こんな事を書いちゃダメ!

コメント欄だと、勝手な名前を入れることができます。
本人性証明の意味で、
コメント欄ではなくトラックバックにします。<--- 詭弁です!へへへ。。。

“トラバク馬鹿”にコメントありがとう!(バークレーの書きたい放題 11月10日)

>日本では、“こういう馬鹿にはかかわるな!”と言うのが一般的です。
>でも、僕は典型的な日本人ではありません。

なるほど。これが全ての行き違いかもしれません。
典型的日本人はスルーします。
正にそれが主旨のTBを昨日つけさせていただきました。

>僕が飛ばしたトラバクがかなり付いています。
>“トラバク馬鹿の明美よけ”ですよ!

ああ、それで自分のブログ…

>smzさんは、まだ精神的に若くて
>人生経験をつんでいない事が良く読み取れます。<--- これも確実!へへへ。。。
>もちろん海外で生活した経験も無いはずです。

海外生活経験なしは当たり。

>明美は精神障害者
>smzさん、(中略)あなたには、そういう批判の基礎ができていないんですね。
>精神年齢が悪くて中学生、良くて高校生程度ですよ!

ただの英語からの直訳として受けましょう。<--- 僕はマジですよ!へへへ。。。
日本語には人を罵倒する言葉は非常に少ないです。

お願いがあります。
(これはもちろん日本でのマナーです。
 欧米ならどうとか言って逃げないでください。)

・複数記事について
 Qlep以外の複数のブログからボコるのはやめてください。どれか一つ以外は消して欲しいです。
 この記事に対する返信も、一つでお願いします。

※Qlepから、トラックバックは1つしか発信できないの知ってるくせに…

お願いがあります。
(これはもちろん日本でのマナーです。
 欧米ならどうとか言って逃げないでください。)


スマットさん、日本のネットは世界のネットの一部だと言う事を忘れないでくださいね。
日本のネットは世界に開かれているのですよ。
つまり、ボーダレスです。
グローバル化です。
だから、僕もあなたも世界のネチケットに忠実であるべきでしょうね?

日本のマナーは世界に通用しませんよ。
すでに言ったようにボーダレスです。
世界のネットで僕もあなたもやっている事をぜひ忘れないでください。
僕は、今、これをカナダのバンクーバーで書いているんですよ。

旧ソ連が崩壊したのはなぜだと思いますか?
ネットが縁の下の力持ちとして活躍したんですよ。

僕やあなたのような世界のネット市民が西側の健全な情報を情報鎖国を敷いていた旧ソ連に流していたんですよ。
良識ある旧ソ連の市民と活動家は、このような西側からのサポートを得て立ち上がったわけですよね。
世界のネット市民には知る権利があります!
世界の市民の厚生福祉のためには著作権も制限を受ける場合もあるのです!
あなたの書いた文章は、すでに述べたように法的には著作物に値しないものです。
だから、コピーしたとて、法的にはなんら問題になりません!


つまり、日本だとか、欧米だとかにこだわらず、世界のネットにこだわりましょう。
世界のネチケットにしたがって世界のネットのマナーに従うべきですよ。
僕の住民票は日本のふるさとの市役所にありますが、
現在僕が居るのはバンクーバーです。

僕はもう人生の半分以上を海外で暮らしています。
僕の掲示板にカキコしているジューンさんもシャロンさんも日本語がペラペラで、その上日本語で記事を書くことができます。
日本に居るたくさんの外国人も日本のサイトで記事を書いています。

WABLOGの僕のブログには日本に留学している韓国のヨンジュさん、イランから留学しているRezaさんからコメントが寄せられていますよ。
フルーツブログではニュージーランドのNanaさんから、僕の掲示板にはオーストラリアのアミサさん、ベトナムからユンさん。
つまり、ネットの世界は、実際、ボーダレスになっているんですよ。

だから日本のマナーは通用しません。
世界のマナーに従いませんか?



・複数記事について
 Qlep以外の複数のブログからボコるのはやめてください。どれか一つ以外は消して欲しいです。
 この記事に対する返信も、一つでお願いします。


スマットさん、ネットがどうしてできたか知っていますか?
冷戦の副産物だったんですよ。
つまり、ペンタゴンにミサイルが打ち込まれて、コンピューターセンターがやられては戦争にならないんですよね。

それで、コンピュータセンターを分散する必要に迫られたわけです。
ペンタゴンがやられても、ヒューストンのコンピューターセンターを使って戦争を続行できる。
ヒューストンがミサイルでやられてもワイオミング州のララミーのコンピューターセンターで戦争が続行できる。
というように、ネットでコンピューターセンターを結んでクローンをたくさん作ったわけですよ。
こうすれば、どこをミサイルでやられても戦争ができるわけですね。

ところで、僕はこれまでに40近いブログを立ち上げたんですよ。
ホームページも40から50作ったでしょうか?
掲示板も80ぐらい持っていますよ。
なぜだと思います?

日本のサイトでは半数以上を削除されているんですよ。
だから、現在僕のホムペと掲示板はアメリカのプロバイダーに移してあります。
こうすれば削除されないんですよ。

だから、僕はネットの思想をそのまま実行に移しているんです。
僕のサイトは世界中に広がっているんですよ。
カナダ、アメリカ、日本、イギリス、フランス、ドイツ。。。

利用できるリソースはすべて利用してやって居ます。
分かるでしょう、40立ち上げたブログのうち20近くが上で説明したように日本では削除されているんですから。。。!
商業主義に毒されたプロバイダー。
健全な批判精神が理解できないプロバイダー。
批判と誹謗中傷の区別が付かないプロバイダー。
迷惑行為を勝手に拡張解釈して削除するプロバイダー。

日本で人気があり伸びている大きなブログ・プロバイダーは、どこでも制限をできるだけ最小限度にしているところです。
ライブドアがその典型です。
良いか悪いかは別にして、アダルトブログまで許していますよ。

だから、ネットの思想に忠実であるなら、ユーザーに対して制限はできるだけ設けないようにすることです。
制限の多いところ、自由を制約するところは間違いなく生き残る事はできません。
欧米のサイトでネットを18年やってきましたからね。
自慢するわけではないですが、ネットの歴史と現状については結構知っていますよ。

この点、まだまだ日本のネットは遅れていると思いますね。
つまり自由を制約しすぎます。
僕が複数記事を書くのはネットの思想に忠実だからですよ。

でも、この記事はこのページを読めば理解できるように書きました。
書き上げた記事は、どこのブログでいつ削除されても支障が出ないように分散して11のブログに掲載します。
これは止める事ができません。

なぜなら、ネットと言うのは、もともとそのようにするために創造されたんですよ。
上で説明した通りです。

スマットさん、そういう事情があるわけなんですよ。
だから、あなたの文章がこのようにコピーされたとて、
それは世界のネット市民の知る権利のためですから仕方が無いんですよ!
あしからず。

じゃあね。

反論したければ、少なくとも下のリンク先の記事を、スマットさんは理解力が無いから最低3度は読んでくださいね。
お願いします。
よろしく!



関連記事は次のリンクをクリックすると読む事ができます。

■ 『表現の自由、言論の自由、報道の自由は現在、日本で守られているでしょうか?』

■ 『批判、批評、誹謗、中傷とは?あなたは批判がどういうことだか分かっていますか?』

■ 『バークレーさんを励ますコメントの数々』

■ 『バークレーさんが噛み付いたコメントの数々』


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コメントを書くなら、しっかりと内容のある文章を書いてくださいね。 [健全な批判精神]

コメントを書くなら、
しっかりと内容のある文章を書いてくださいね。

『あるビジネス・ブログのプロバイダーが次の下着の写真を取り除かないとブログを削除すると言います』

僕が書いた上の記事に対して3つのコメントをもらいました。
そのうちの2つは同一人物の書いたものです。
次のようなものでした。

きもいって

by あ at 2005-11-10 (Thu) 23:07


消えてくれ

by あ at 2005-11-10 (Thu) 23:08

本人は身元が分からないと思って、こういういい加減で無責任な事を書いているんですよね。
でもね、この稚拙で幼稚な公衆便所の落書きを書いた人物のIPが分かり、身元が判明したらどうする気なんですかね。
ところで、この愚か者の身元を突き止めるのは難しい事ではないんですよ。

どうだい、お父さんはね、オマエと同じ年頃の頃、こういう愚かな事を書いていたんだよ。

だから分かるだろ、オマエもお父さんと同じで愚かな子供なんだよ。


そうだね、お父さんも、こういう馬鹿なことを書いていたんだね。

どうして僕が馬鹿だか、これを読んで初めてよく分かったよ。

“この親ありてこの子あり”

学校の先生がそういうことを言っていたよ。

この事だったんだね。

こういうメールがあなたのパソコンに送られないためにも、
1行じゃなくて、せめて高校生程度の文章を書いてくださいね。
これでは小学校1年生と言われても仕方が無いですよね。へへへ。。。

ところで、あなたはどのようにピカソを批判しますか?

あなたはこれまでに絵を書いたことがあるでしょう?
小学生の時には「図画」とか「図工」と呼ばれた時間がありましたよね。
時には学校の近くの小川や野原に写生に出かけたことを僕は良く覚えていますよ。
僕は絵を書くことが好きでした。
あなたはどうでしたか?

絵を書いたことなら誰でもあると思いますから、分かりやすいので絵を取り上げて話します。
絵を書いてみると、なかなか思ったように書けないものですよね。
目の前の木や花や石や動物が自分で描きたいように、なかなか描けない。
もう、じれったくなる事があるでしょう。
つまり、自分ではこのように描きたいと思っているのに、思った色がなかなか出てこない。
どうしても、家の形が目の前の家と違っている。
奥行きが表せなかったりして、いい加減イヤになってしまう事もあるでしょう。

つまり、図画用紙に書かれている物は描いている人の頭の中にあるものとは違っている。
もちろん、現実の家や、木や、花とも違っている。

ところで、あなたが友達の描いた絵を見るとき、
上手いとか、へたくそだとか、あなたは言葉で技量を言い表しますよね。
また、描いてある物の意味をさぐろうとします。
馬とか犬が描いてあれば、その馬が生き生きと描いてあるとか、
馬の耳が長すぎるとか、かなり具体的に批評が出来ます。
しかし、その馬とか犬の感情となると、見る人によってだいぶ違ってきますよね。

写生画の場合、批評する事は比較的簡単ですが、
抽象画となると、これはなかなか難しい。
なぜなら、具象的でない絵画を見るとき、
見るという行為は個性と文化的バックグラウンドを通してしか見ることができない。

例えば、ピカソのグロテスクな人物画を見るとき、
スペイン人、アメリカ人、日本人、アメリカインディアンの見方はまず違いますよ。
なぜなら、文化的バックグラウンドが違っているからです。
同じ絵を見ているのに日本人の受け止め方とアメリカ人の受け止め方が違うのは、
あなたにも良く理解できると思います。

つまり、生まれも育ちも全く違う。話す言葉さえ違う。
つまり文化が違うんだから、見方が違っても当然です。
でも、全く同じピカソのグロテスクな人物画を見ているのに、
受け止め方がアメリカ人と日本人では全く違うと言う事を考えてみてください。

これは文化的なバックグラウンドが違うと言う事で理解できます。
では、同じ日本人同士ではどうか?
文化的バックグラウンドはほぼ同じです。あまり大きな違いはありません。
同じ日本語を話します。同じ風土で育ってきています。

でも、あなたと僕がピカソのグロテスクな人物画を見たら、
感想はだいぶ違うと思いますね。
なぜか?
個性が違います。

つまり、全く同じ絵が、見る人によって違ってしまう。
つまり、ピカソの絵を見るとき、個性と文化的バックグラウンドを前提としてしか絵を見ることができません。
あなたの心の中にある印象とか、感想とか批判というのは、絵そのものではありえない!
絵とあなたの頭がベッドインして作った子供みたいなものです。そう思いませんか?

つまり、批判や批評をする時というのは絵の本質は、絵そのものからあなたの頭の中に移動してきますよね。
ピカソはどうしてこのようなグロテスクな人物を描いたのだろうか?
と、あなたは考える。
なんでこんな作品を作ったのだろう?
あなたは、一生懸命にあなたの頭で考える。
あなたの個性と、文化的バックグラウンドを基にして。

じっくり見ながら考えて、あなたはその絵の意味する事をあなたなりに分かったような気がする。
絵の本質に迫った気がしてくる。
でも、あなたは知っているはずです。
描いたのはピカソなんだから、いくら考えたって、ピカソがどのような気持ちで、
どのような目的で描いたか?なんて分かりっこない!
でも、見て考える、という行為は、ちょうど好きな音楽を聴くように、
作者がどのような気持ちで作ろうが、関係ないんですね。
つまり、音楽を聴いて作曲家になったような気分が味わえて
いい気持ちで聞けたらそれで充分満足できる。

つまり、絵の本質も音楽の本質も、見る人聴く人の方に移ってゆく。
それでいいと思うんですね。
でも中には作者、作曲家の本質にこだわる人も居る。
そういう人はどうするのか?
インタビューするわけですよね。
ピカソに尋ねるわけです。

それで「批評」を書く。
こういう人たちの事を「批評家」「評論家」というんでしょうね。
作品の本質を「あちらがわ」、つまり作者の方に求める。

でも「批判」するというのは、つまり、作品を語るということは、
つねに自分のバックグラウンドと自分の個性、自分自身を語るということです。

例えば、ヒトラー総統の前を行進するドイツ軍のパレードを映画で見るとします。
一糸乱れぬ軍隊行進。
制服もパリッとして、なかなかかっこいい!
旧ドイツ軍、凄い!

しかし、現在、自由主義に生きている我われがあんな行進をしたいか?
見るのはいいけれど、やるのはめっそうもない、というのが答えではないですか?
全体主義や旧日本帝国のような軍国主義には戻りたくない。
どうしても窮屈な感じで、あんなロボットのような行進など
やれ、と言われてもやりたくないでしょう。

つまり、あの第三帝国のすばらしさを伝えようとして作ったドイツ軍パレードの映画の監督は
テーマを現在の我われには届けることが出来ない。
私たちは、まずそのテーマに到達できない。そうすることの意味を見出せないかもしれない。
つまり、感想、印象、批判は作った人間とは全く無関係ということを知らざるを得ない。

絵を描いたり、絵を見たり、映画を作ったり、映画を観たりするということは孤独な行為です。
なぜか?
作り手や隣で見ている人と感想を共有できないからです。
突き詰めて言えば、個性や文化的バックグラウンドは一人一人皆違うからです。

でも、その孤独な行為をがまんできず、言語化して他の人と共有しようとする。
それが作者に向いている場合、批判、
観客に向いている場合、批評と呼ばれるわけです。

自分が思ったことが自分だけのものだと無意識的に気づいているので、
他の人と一般化する時に批評という言葉が使われます。
だから、批評家とか評論家と呼ばれる人たちが居ます。

そういうわけで、批判すると言う時、あなたは自分の文化的バックグラウンドと自分の個性、
自分自身を語らなければならない。
そうでない限り批判とは言えない。

この上で示した1行のコメントは批判じゃなくて、公衆便所の落書きです。

これはどうした事か?
つまり、語るべき文化的バックグラウンドと自分の個性がないのではないか?
あるのなら、そのことが語れないのではないか?
語り方を知らないのではないか?
欧米のサイトで18年やってから、日本のサイトで3年ほどですが僕は、そう、しみじみと感じましたね。

じゃあ、オマエはどうなのか?
とあなたは僕に尋ねるかもしれない。

僕のブログの記事を見てください。
どれも長い。
なぜか?
僕は自分の文化的バックグラウンドと自分の個性、
自分自身を語っているからですよ。

出来たら、あなたもそうしてください。
1行から3行の文章で
あなたは自分自身を語ることができますか?


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面白い話がたくさん詰まっていますよ。

http://barclay.worldfreeweb.com/renge/tree.php?all=1602


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