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愛のコリーダって何? [愛と性の美学]

愛のコリーダって何?
 

デンマンさん、コリーダってどういう意味があるんですか?

レンゲさんは知っているでしょう?

全く知らないわけではありません。“闘牛”という意味があるようなことを聞いた覚えがあります。でも、本当にそうなのかどうか。。。デンマンさんにお聞きしたかったのですわ。

レンゲさんはスペインに行ったことはまだないのですか?

残念ながらヨーロッパに行ったことはないんですよ。あたしはスペインで闘牛とフラメンコの踊りをぜひ見たいと思っているんです。。。デンマンさん、いつかあたしを連れて行ってくれません?

自分で行けばいいじゃないですか?

一人ではつまりませんもの。それにあたしはスペイン語は全く知らないんです。

そうですか。。。レンゲさんと二人ならスペインヘ遊びに行ってもいいですね。

それで、いつ連れて行ってくれますの?

レンゲさん、いくらなんでも話が早すぎますよ。僕だって暇をもてあましているわけじゃないんですからね。

でも、ブログならどこに居ても書けるでしょう?

確かに、地球上のどこに居ても、ラップトップを持っていれば書けますよ。でもね、今すぐにバンクーバーを離れるわけにもゆきませんよ。

どうしてですの?

僕はブログだけを書いているわけじゃないんですよ。他にもやる事があるんですよ。

そうなんですの?

そうなんですのって。。。全く知らないようなことを言いますね。レンゲさんだって、こうして僕と話しをしているだけじゃなくて、“ブティック・フェニックス”の熊谷店長の仕事があるでしょう?

そうですけれど。。。

僕だってね、経営コンサルタントとしての仕事があるんですよ。

あら、そうでしたの?

あら、そうでしたの?じゃないですよ。レンゲさんだってバンクーバーに来た事があるんだから、僕が仕事をしているのを知ってるでしょう?

でも、デンマンさんはあたしと一緒のことが多かったですわ。仕事らしい仕事していなかったような。。。

だから、レンゲさんをもてなしていたんですよ。“退屈だから、どこかへ連れて行ってくれません?”。。。あなたは決まってそう言うんですよ。それで、仕事があって忙しいのだけれど、こうしてスタンレーパークへレンゲさんを連れて行ったわけですよ。

仕事があって忙しかったのですか?

そうですよ。レンゲさんが居たから、なかなか仕事ができなかったんですよ。

でも、そのようなことを一度もお話になりませんでしたわ。

だから、嫌な顔を見せずにレンゲさんをもてなしていたんですよ。

つまり、あたしはお邪魔だったわけですか?デンマンさんのお仕事の邪魔になっていたわけですの?

レンゲさんだって、知っていたでしょう?でもね、あなたは一人で居ると退屈で寂しいと言って僕のところに転がり込んできたんですよ。

でも、デンマンさんだってうれしそうでしたわ。

だって、嫌な顔をするわけにはいかないでしょう?

つまり、本当はあたしと一緒に居るのがイヤだったということですの?

レンゲさん、コリーダの話しをしているんですよ。レンゲさんが、こうして脱線するので僕の記事は長くなってしまうんですよ。

すいません。。。うふふふ。。。それで、コリーダって本当に闘牛って意味がありますの?

「闘牛」を意味するスペイン語は「コリーダ・デ・トロス」と言うんですよ。

長いんですのネ。。。

この言葉の直接の意味は「牛の走り」と言うんです。つまり闘牛とは「人間と牛との闘い」ではないんですよ。

牛の走りがどうして闘牛になってしまったのですか?

闘牛士がカポーテ、つまり、ピンク色のマントのような形の布や、ムレタと呼ばれる赤い布を使って牛を走らせるわけです。

牛が赤い色に興奮して突進してゆくわけですのね?

実わね、牛は赤い色に興奮して突っ込んでゆくわけじゃないんですよ。それは迷信なんですよ。

そうなんですの?

牛は動く物に反応するんですよ。だから、赤色の布じゃなくてもいいんです。青でも黒でも何でもいいんですよ。見所は、闘牛士(matador)が走り込んで来る牛を自分の体のすぐ脇を通過させる時に見せる技なんですよ。この技のことをパセと呼ぶんです。このパセをいかに決めるかが重要なんです。見せ所です。この部分が観客には、いわば闘牛士と牛の闘いとして映るわけですよ。

なるほど、。。。それで「走り」が「闘牛」ということになったわけですね。

まあ、そういうことですよ。

でも、「コリーダ・デ・トロス」と言うべきでしょう?「コリーダ」だけでも「闘牛」の意味になるのですか?

¿Quiero ir a una corrida de toros?
キエロ イール ア コリーダ デ トロス
闘牛を見に行きたいのですが。

¿Hoy hay corrida de toros?
オイ アイ コリーダ デ トロス
今日、闘牛はありますか?

¿A qué hora empieza la corrida?
ア ケ オラ エンピエサ ラ コリーダ
闘牛は何時に始まりますか?

上の会話で見るように、スペイン語では普通、闘牛のことを “corrida de toros (コリーダ・デ・トロス)” と言いますよ。でもね、文脈から分かる時には最後の文のように “la corrida” だけを使います。そう言うわけで、日本では「コリーダ」と言えば、「闘牛」と言う意味に受け取られるようですよ。でも、厳密には「走り」です。

ところで、“愛のコリーダ” は直訳すれば “愛の闘牛” と言うことになりますよね。あの映画がなぜそう呼ばれるようになったのですか?

それは作った大島渚監督に聞かないと分からないでしょうね。みすずさんが『なつかしの映画・TV番組(うら話)掲示板』で次のように書いていましたよ。

パリで見たときにはショッキングな映像に当てられて着物を見るという余裕がなかったのですが、今回、定が着ていた着物に惹かれるものがありました。

昭和の初期の着物ですから、羽織も着物も、ばっちりアンティック着物です。以前、「SADA」(監督は大林宣彦 阿部サダを黒木瞳)を見たときにも着物が可愛いと思いました。

定が長襦袢でいることが多く、長襦袢と半襟がなかなか渋くて華やかでした。とにかく赤が新鮮でした。コリーダというのは闘牛の意味があったと記憶してますが、その長襦袢の赤は、コリーダの意味を深めているようでした。

藤竜也さんが演じる吉蔵が、いいですね。もともと着物の似合う人ですよね。定と吉蔵でこもった旅館から、定が金を工面するために外出するのですが、吉蔵を家に返さないために吉蔵の着物を持って行く代わりに、定が吉蔵に長襦袢を貸します。生成り地に赤い柄のその長襦袢がまた、色気があるのです。

薄暗い日本家屋の中の赤、性愛の情念を表す赤がとても心に残る映画でした。

『私はパリでノーカット版を見ましたよ』より

みすずさんは「闘牛」から「赤」を連想しているんですよね。そして、その「赤」が映画の中で「性愛の情念」を象徴していると見たわけです。僕はなかなか面白い捉え方だと思いました。確かに、そのように解釈することも可能ですよ。一般的に闘牛と言えば、闘牛士の持つ赤い布が印象的ですからね。闘牛から赤を連想することは無理のないことでしょう。むしろ自然ですよ。

つまり、みすずさんは“愛のコリーダ” を “性愛の情念” と考えたわけですね?

多分そうだと思いますよ。

デンマンさんはどう思いますか?

「ソル・イ・ソンブラ」というスペイン語があります。直接の意味は「光と影(陰)」です。転じて「華やかさと哀愁」または「生と死」という意味も持っています。闘牛は、まさにこの「ソル・イ・ソンブラ」の世界ですよ。つまり、「生と死の芸術」です。

どういうことですか?

たとえば、闘牛の最初の入場行進の時や演技中に、生演奏で奏でられる『パソ・ドブレ』という曲があります。勇壮な中にも、どこか物悲しさを秘めた独特のメロディーなんですよ。「ソル・イ・ソンブラ」を象徴しているような気がしますよ。ちなみに、闘牛の開始時刻は、この“ソル・イ・ソンブラの時刻” つまり、闘牛場が日向と日陰で二分される時刻とされています。闘牛士は、巨大な“野生の”牛を前にして死と隣合せという極限の状況の中で、多彩なパセの技を華麗に演じて見せます。その一連の仕草は、究極の美の追求であり、闘牛士の自己表現ですよ。実際、上手な闘牛士の技は、バレエダンサーのように美しく芸術的です。華麗なパセを連続して見せる時には、あたかも闘牛士と牛とが舞っているように見えますよ。感動的です。

デンマンさんは何度も見たようですね?

そうですよ。スペインに居た時、一時闘牛に見せられたことがありましたよ。

やはりすばらしいですか?

そうですね。見ごたえがありますよ。闘牛士がパセを連発すると、観客はパセのたびに「オーレ!」のかけ声をかけて熱狂し、楽団も『パソ・ドブレ』を演奏して盛り上げます。まさに闘牛場全体が1つになって興奮の坩堝(るつぼ)と化す瞬間ですね。1度この雰囲気の中に身を置くと、闘牛にハマッテしまいますよ。

それで。。。?

僕は吉蔵と定がこの闘牛士と闘牛のように思えましたよ。

どちらが定さんですか?

もちろん闘牛士が定さんですよ。闘牛の吉蔵は殺されましたからね。

つまり、あの映画の中で演じられたものは“究極の美の追求であり、闘牛士の自己表現です”か?

そうですよ。定さんの愛の追求であり、定さんの自己表現だったと思いますよ。その過程で性愛の情念を燃やして情痴の世界に溺れてゆく。エロスの世界からタナトス(死)の世界へと迷い込んでゆく。定さんが警察に捕(つか)まらなかったら、おそらく定さんは自殺していただろうと思いますよ。闘牛とは「生と死の芸術」ですよ。だから“愛のコリーダ”とは“定と吉蔵の愛と性と死の世界”ですよ。僕はそのように見ています。

デンマンさんはどこであの映画をご覧になったのですか?

僕は7,8年前にバンクーバーで見ましたよ。バンクーバー・インターナショナル・フィルム・フェスティバルで上映したんですよ。ダウンタウンの Howe Street にある Pacific Cinematheque でやっていました。

英語ではなんと言う題名だったんですか?

“In the Realm of the Senses” でした。 日本語のタイトルとは感じがだいぶ違っていましたよ。僕は日本語のタイトルのほうが好きですね。英語のタイトルは“愛”が脱落しています。

このタイトルは日本語に訳すとどういう意味なんですか?

Realm: 領域、範囲、分野、部門

realm of art: 芸術の世界

realm of being: 存在領域

He is the leading figure in the realm of modern poetry.
彼は現代詩の分野の第一人者だ。


Sense: (名詞) 意味 (動詞) 感じ取る

Senses: 感覚

Appeal to as many senses as possible.
できるだけたくさんの感覚に訴えなさい。

Thomas has clearly taken leave of his senses if he thinks a computer is going to guide his love life.
コンピュータが恋愛生活を導いてくれると思っているのだとしたら、トーマスは明らかに気が狂ってしまったのだ。

When he wants to raise issues, he senses if the mood is right.
何か問題を提起したいとき、彼は雰囲気がそれにふさわしいかどうかを感じ取る。

John loses his senses of reality
ジョンは現実感を失う。

Mary lost all the senses of her body.
メアリーは体のあらゆる感覚を失った。

This exercise stimulates all the senses of your child.
この体操は、お子さんの持つあらゆる感覚を刺激します。

Realm と senses と言うのはこのような使い方をするんですよ。だから、英語のタイトルを直訳すると “感覚の世界で” と言う事になります。 意訳すれば “情念の世界で” とか “情痴に落ちて”と訳すことができるかもしれません。つまり、次の部分が強調されて海外では観客に受け止められたようですよ。

阿部定の嫉妬と情痴

5月16日、吉蔵と情交中刺激を求めるため、同人の頸部を腰紐で絞めたが、同人の顔面が充血したため吉蔵はこれを治療するために帰宅静養したいと被告人に告げた。

被告人はさきに一時吉蔵と別れた間の嫉妬の苦しみを経験していたので到底同人と離れるのに忍びず、さりとて吉蔵には妻子を振り捨て自己と同棲するまでの意思がないことを察知していたため、吉蔵を永遠に独占しようと同人を殺害する事を決意した。

5月18日午前2時頃待合「まさき」の「さくらの間」で熟睡している吉蔵の頸部に腰紐を二重に巻き付け、その両端を両手で強くひきしめて同人を窒息死させた。

吉蔵の死体に痴戯しているうちに、同人を完全に独占したいため、女性は妻といえども死体の局部に指一本触れさせたくないと思い、牛刀で吉蔵の○莖及び○嚢を切り取った。

さらに同人の右上膊部外側に被告人の「定」の名を刻み込んだ。その後、傷口の血を手指につけ吉蔵の左大腿部に「定吉二人」なる文字を書き、その寝床敷布にも「定吉二人キリ」という文字を書き残した。

切り取った○莖及び○嚢を懐に入れて同日午前8時頃同家から姿を消した。

『予審決定書』より

愛と言うよりも情痴の極限を描いているように受け止められたのではないだろうか?見終わってから英語のタイトルを見直して、僕はそんな感じを持ちましたよ。でも、僕自身は次のような感想を持ちましたね。

阿部定の愛と性の世界

この作品は「純粋な愛」「真実の愛」を描いたものだと言われてきた。しかし、24年を経てスクリーンを見ても、そこには濃厚な“愛”と“性”と“死”が描かれている。定が欲望のおもむくままに自分の体をむさぼるのをながめる吉蔵の目は、極限のエロスの世界に到達した“死人”の目だ。

二人が閉じこもる旅館の一室に満ちていたのは、初めはエロスであったかもしれないが、途中からエロスの極限を目指す死への欲動にすり替わっていたのではないか?

この作品は、これまでは「軍国主義が台頭する中、社会に背を向け、真実の愛に生きた二人」といった過度に政治的な評論をされてきた。こうした評論に対し、大島監督は「みんな馬鹿ばかりだ」と立腹していたらしい。

意外に男性よりも、多くの女性がこの作品に興味を示したことが取りざたされたが、女性も無関心ではいられない題材を扱っていたのだろう。

『愛のコリーダ 2000年版』より

感覚的にかなりショッキングな映像が多かったのだけれど、女性が無関心では居られなかったというのは、“真実の愛に生きた二人”という部分ではなかったろうか?。。。と僕は勝手に解釈したんですよ。つまりね、社会的な偏見だとか、道徳的なしがらみだとか、女性にいろいろと課せられた社会的な制約を振り切って、定さんが吉蔵に思いを寄せて、思いのままに愛に生きようとした。そう言うところが女性の心を捉えたのではないか?僕はそう思ったわけですよ。レンゲさんはどうでしたか?

あたしは次の場面がとりわけ印象に残りました。

石田と別れてから5月7日の昼頃、稲葉正武さんの家に行きました。さて寝ようとしたのですけれど、石田のことが思い出されてきて、今頃石田はお内儀とシコシコいい事をしているのだろうと想うと堪らなくなりました。

そして石田を帰してやるのではなかった、よくすんなり帰してやったものだと自分で自分を疑い、今度会ったらどんな事をしても帰すまいと思う程石田に執着した気持ちになって、どうすることも出来ませんでした。

夜寝てからも石田の事ばかり考えて寝付かれず、一層中野に行ってみようかしらとかんがえたりして、焼餅が焼けてなりませんでした。

8の日も同じような気持ちで一日暮しましたが、殊に昼間ラジオで清元の放送があったため、余計石田を思い出し中野へ電話をしようか活動でも見に出かけようかと思いながら二階で雑誌を読んだりウトウト寝たりして過ごしました。

でも吉田屋の様子を良く知っているものですから時計を見ながら手に取るように石田の生活が想像されるので、この時ほど嫉妬に苦しんだ事は生れて初めてです。

8日の晩も矢張り寝付かれず、夜中になる程癪に触って来て気がいらいらするので階下へ下り自分の襦袢を縫って居りました。お裁縫しながらも石田の事ばかり考え妾になんかなっても半分半分の生活をしても詰らないから夫婦になるより仕方がない、石田と夫婦になるには他所へ逃げるより方法はないが石田は逃げる人でもなし、などと考えると一層石田を殺してしまおうかとまで思いつめましたが、嫉妬からそのような色々な事を思うので結局とりとめない考えでした。

『自伝・阿部定の生涯 その4』より

分かりますよ。レンゲさんも同じような経験をしましたからね。

長い不倫生活の果てに、
得られたものは、負の遺産ばかりでした。


2004-07-21 10:11:08



一度の関係で終わろうと思っていました。
してはならないことをしてしまった、という思いと、これで完結した、という気持ちがあったからです。

でも、長い間モーションをかけ続けておいて、セックスして、「はいさよなら」なんて図々しい考えですよね。 結局わたしたちは、不倫関係に陥ってしまったのです。そして次第にわたしは苦悩に苛まれはじめました。

彼とは、毎日のように会っていました。
いつしか彼と会えない日は心に穴があいたように感じるようになりました。
これは、どんな恋愛でもあることだと思いますが・・・

でも、わたしの頭には、“彼がわたしと会わない=奥さんといっしょにいる”という図式ができあがってしまい、嫉妬に苦しむようになったのです。

そのうち、彼から「子供が大きくなったら(わたしと)いっしょになりたい」と言われました。
その時点ではその言葉は、彼の本音だったと今でも思います。
言葉だけでなく、彼の行動がそれを裏打ちしていたからです。でも、
“大きくなったらっていつ?”
“奥さんはどうするの?”
そんな疑問で頭がいっぱいでした。
そして、それと同時に彼の奥さんに対する嫉妬は、ますますふくらんでいきました。
現在だけでなく、彼らの過去の歴史、これからの生活などにも嫉妬の目が向くようになりました。

つまりわたしは、妄想に苦しめられていたのです。
そんなわたしは彼に対して、自分の妄想をぶつけはじめたのです。
不倫であれ、どんな関係であれ、相手から勝手な妄想をぶつけられたら、何を言えばいいのか、どうすればいいのかわからなくなる事でしょう。
その頃の自分の愚かさに、今でも情けなくなります。

わたしはいつも、恋愛を通して自分も相手も
成長していけたら・・・と考えてきました。
そして、何かを得ようとも思っていました。
(念のため、モノではないです)
でも、彼との長い不倫生活の果てに、
得られたものは、負の遺産ばかりでした。

by レンゲ

『不倫の悦びと苦悩』より

レンゲさんは妻子ある吉村さんと関係を結び、ちょうど定さんと同じように嫉妬に苦しめられたんですよね。

デンマンさんは何がおっしゃりたいのですか?

つまり、レンゲさんも惚れた女の弱みで吉村さんのことが諦めきれない、独占したいけれども独占できない。しかし、やがて別れなければならないほどに二人の中が険悪になってしまった。清水君とは同じ過(あやま)ちを繰り返したくないと思った。

あたしは洋ちゃんと不倫しているわけではありません。

分かりますよ。でも清水君から拒絶されたくないという気持ちは不倫の時と変わりがないほど強いですよ。だからこそ、清水君がファンディー(fundies)をはいてドライブしようと誘えば、レンゲさんはイヤとは言わないんですよ。嫌われたくないから。。。でしょう?

いけませんか?

ダメだとは僕には言えませんよ。でも、事故を起こしてパンツの中でつながりながらあの世に行ってしまう危険があることを知っている。しかし、それでもレンゲさんには清水君の危険なドライブを止めさせることができない。定さんが、危険なことも承知で吉蔵さんの首を絞めているようなものですよ。

デンマンさんは、。。。あたしも。。。あたしも、同じように洋ちゃんのお○ん○んをちょん切ってしまうと言うのですかああああ~~

僕はそんなことを言っていませんよ。

でも、これから言うつもりなんでしょう?
 
いや、僕は別に。。。

デンマンさんは、そうやって、またあたしを
馬鹿にするんですわああああああああ~~
 
【ここだけの話しですけれどね、またオシモがかった話でオチになりました。こういうところで終わらせるつもりではなかったのですけれど。。。へへへへ。。。とにかくね、レンゲさんの話の続きは、ますます面白くなりますよ。どうか期待して待っていてくださいね。もっとレンゲさんのことが知りたいのなら、下にリンクを貼っておきましたからぜひ読んでくださいね。】

       
レンゲさんの愉快で面白い、そして悩み多い日々は
次のリンクをクリックして読んでください。

■ 『レンゲさんのこれまでの話を読みたい人のために。。。』

■ 『レンゲさんの愛と心のエデン』

レンゲさんをもっと知りたい人は。。。。

■ 『女探偵ふじこが試みたレンゲさんの素行調査』

■ 『“愛の正体” と “レンゲのテーマ”』

■ 『不倫の悦びと苦悩』

■ 『レンゲさんのように苦境から立ち上がった女 ー グロリア・スタイナム』

レンゲさんの写真を見たい人は。。。

■ 『レンゲさん、あなたは実はメチャ美人なんですよ!』


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