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“大奥”の奥を知る [日本史]

“大奥”の奥を知る

「男子禁制」と言っただけで好奇の目を集めるのに十分なのが江戸城大奥です。ここには二百数十人の奥女中(御殿女中)がかもし出す隠微な妖気が漂っていました。

大奥は、将軍が政務をつかさどる「表」と、上下二つの御錠口によって厳重に隔てられ、小姓もこの御錠口までしかついて行けなかったのです。したがって、大奥に出入りできる男は、将軍と奥医師だけです。

もちろん、大奥の中心は御台所(みだいどころ;御台様)と呼ばれる将軍の正室(正妻)で、その次に将軍の側室・生母・乳母などの局(つぼね)が何人かいました。正室は普通、皇族や身分の高い公家の娘の中から選ばれました。

彼女らに使える奥女中の最上位は上臈(じょうろう)で、公家出身が多く、御台所に茶の湯・生花(いけばな)・香合(こうあわせ)などの遊芸を指導しました。そして100石、15人扶持(ぶち)、合力金100両という給金をもらっていました。

しかし、奥女中の中心であり、また大奥の実権を握るのは年寄(としより)です。大奥の総取り締まりの任に当たるのが大年寄でした。年寄は表の老中に該当し、詰め所に居て御用を決済します。70畳ほどの部屋を一人で占領し、50石、10人扶持、合力金60両という給料をもらっていました。上臈、年寄は正室などの寺社への代参もお勤めの一つです。年寄の中の御用掛は、外出の際、老中と同格の10万石の格式を持っていました。たいしたものです。

さらに詳しいことは次のリンクをクリックして読んでください。
大奥のさらに奥が明らかになりますよ。

http://barclay.c-f-h.com/erotica/oooku.htm


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