歴史馬鹿の僕にとって皇室は日本歴史博物館です。 [役立つ生活情報]
歴史馬鹿の僕にとって
皇室は日本歴史博物館です。
15日に書いた僕の記事(『レンゲさんがすばらしい人とめぐり会えるように!(続編)』)に対してスマットさんからコメントをもらいました。
スマットさんとは“著作権”の問題で投稿のやり取りをしていたので、まさかレンゲさんのことでコメントをもらうとは全く予期していませんでした。
しかし、コメントの内容はレンゲさんとはほとんど関係ないものでした。
そうなんですよ。日本の皇室の事です。
どのように報道されていますか?
by スマット at 2005-11-16 (Wed) 01:14
おそらく日本では紀宮さんの結婚の事で持ちきりだと思います。
僕はさっそく返信を書きました。
ところで僕はバンクーバーのマンションにはテレビを置いていません。その代わりCNNのラジオニュースは僕がマンション(コンドミニウム、略してコンド)に居る限り付けっぱなしですよ。
さっき、15日の午後1時ごろ(日本時間では16日の午前6時)CNNのニュースでブッシュ大統領が日本のPrincessと会うとか言っていましたね。
夢中で記事を書いていたので、良く聞き取れませんでした。
たぶん、紀宮さんのことでしょう。
ここ5年ぐらいで、日本のPrincessの事を初めて聞いたような気がしますよ。
僕は日本の皇室は『日本歴史博物館』だと思っているんですよ。紀宮さんばかりでなく皇室の人を、あの『博物館』に閉じ込めておく事は可哀想ですよね。
雅子さんを見てくださいよ。あれだけ才能のある人を博物館に閉じ込めてしまった。そういうわけで精神的に障害に苦しんでいる。僕はそのように捉えています。
“かわいそう”の一言に尽きますよ。
日本の皇室は英国の皇室と違い、正に『博物館』ですよ。僕の印象ばかりでなく、カナダ人の印象も英国の皇室とは一線を画して見ているようです。
つまり、なんだかわけの分からない『不思議な歴史博物館』だという印象を持っているようです。僕もそうですよ。
でも、あの博物館はしばらく誰も手が付けられないでしょうね。可哀想ですが仕方が無いでしょう。
僕が国会議員なら皇室をなくす立法を提案しますが、そんな事をしようものなら、国会議員で居られなくなりますよ!
つまり、日本には真の言論の自由がありませんからね。へへへ。。。。
だから、僕は国会議員に立候補しませんよ!年金をごまかすような愚かで無責任な議員たちと馬鹿馬鹿しくて一緒にやる事などできません。へへへ。。。
by バークレー at 2005-11-16 (Wed) 07:26 / URL
ちょっと言い過ぎましたね。ハンセ~~
先ほど、バンクーバー時間で15日の午後9時ごろ(日本時間で16日の午後2時)に、今日2度目の日本のニュースを伝えていました。
日本のニュースは1ヶ月にそれほど多くありません。たいてい地震のことです。
やっぱり、日本は地震が多いんですよね。
ところで、そのニュースと言うのはブッシュ大統領が1週間に渡るアジアのツアーで日本に立ち寄る事。
紀宮さんに会う事。
そのあとで、アナウンサーが雅子さんのことに触れていました。
日本ではこれまでの40年間に男の天皇後継者が生まれていないと言ってました。
日本の皇室の決まりでは女性は天皇になれないとも伝えていました。
つまり、このような時代遅れな“法律”を見て、ますます日本の皇室が『博物館』だと思うわけですよ。
英国の王室もそのほかのヨーロッパの王室も、日本のように男子系の継承を採用しているところはまず無いですよね。
これは、日本が儒教の教えに忠実だったからですよ。
つまり、男尊女卑、昔の中語のまねをして、“文明開化”をしてからもこの博物館的な継承制度には手をつけなかった。
僕は8月9月10月と足掛け3ヶ月、日本に滞在しましたが、その間にニュースで女性が天皇になれるように検討していると言うような事を聞いた覚えがあるのです。
しかし、まだ法律としては成立していないようですね。
男女同権は日本国憲法でも唱えている訳ですから女帝も認めるべきだと思いますね。
ネットで調べたら次のような記事に出くわしました。
『ジオシティー掲示板』
この諮問を受けて政府が法制化するよう進めているようです。
よい事ですよ。
現在の皇室の基礎を作った藤原不比等は“女帝”を多いに作り出す事によって、何が何でも藤原氏に都合のよい“天皇家”作ったという過去があります。
それから比べれば、日本国憲法に基づいて“男女同権”と言う理由で女性も天皇いに就(つ)けるようにする、という事はしごく当然な事だと思えますね。
ここで、藤原不比等がいかに無茶苦茶な事をして女帝を作り出したかと言う事をちょっと見てみたいと思います。
上の系図を見てすぐに気づくことは、この後、何百年と続く天皇家と藤原氏の係わり合いの原型が、ここで作られたと言うことです。
つまり、藤原氏は、娘を天皇に嫁がせて、そのことを背景にして外戚として権力を維持してゆくというシステムを作りあげたわけです。
この系図から見てもすぐに分かるのですが、きわめて不自然なことをしています。
それはどういうことか?
継承順位がどうしてもおかしいのです。
おばあさんから孫への遺産相続が極めてまれであるように、結局この皇位継承は、日本史上最初で最後になりました。
おそらくこんなことは世界史にも例がないでしょう。
どういうことかというと、日本には天孫降臨の神話があります。
これは実は、祖母から孫への譲位を神話化したものです。
このような天皇位の譲位は、日本史を見ると、ただ一度あるのみです。
697年に、持統天皇が孫の軽皇子(かるのみこ)に彼女の位を譲り、文武天皇として即位させています。
これは古事記が成立する15年前の事です。
つまり、この事実を“神話化”して古事記に書いたんですね。
もっと不自然なことは、文武帝が亡くなった後、誰が皇位を継承したと思いますか?
なんと、彼の母親である阿閉(あべ)皇女が元明天皇として即位しています。
普通は、継承する、あるいは遺産相続をするという時には、何かを次の代へ引き渡すわけですが、
この場合には、息子から母親へ継承しているわけです。
遺産相続の場合を考えてみると、よく分かると思うのですが、子から親へ遺産相続することなど、常識では考えられません。
他に王位継承者がいないのならばまだ話はそれほど不自然ではありませんが、天武帝の息子たちがいるにもかかわらず、上の系図で見るような変則的な天皇位継承になっているわけです。
もちろん、このようなことが本人たちだけで、なされているわけではありません。
必ず、時の権力者の意思が絡んできます。
この場合には、天皇位が天武天皇系の他の息子たちへ渡ってしまうのを極力避けています。
持統天皇が、もうかたくなに、自分の血が通っている者にだけ、皇位を渡そうと躍起になっています。
なぜか?
もちろん藤原不比等がそのように望んでいたからです。
つまり、自分の思い通りになる天皇家を作ったわけです。
しかし、今回の女帝擁立の動きは、むしろ望ましい事でしょうね。
政治権力とは関係がない。
男の子を産まねばならないと言うプレッシャーを雅子さんから取り除いてあげるという意味でも人道的なことだと思います。
藤原不比等が、これほどまでに無茶な事をした背景についてもっと詳しく知りたいのなら、次のリンクをクリックして読んでみてください。
藤原不比等さんは、ずいぶんと無茶苦茶な事をしたものですわね。
ええっ?
あたくしが何者かって、お尋ねですかあああ?
あああらァ~、あなたはまだあたくしに出会った事が無いのですかあああ?
あたくし、卑弥子ですよォ~
歴史サイトのマスコットギャルざますゥ。
ええっ?卑弥呼じゃないのかって。。。?
違いますよゥ。
卑弥呼さんは歴史上の人物です。
あたくしは歴史馬鹿のデンマンさんによって作り出されてしまったんですよ。
うひひひひ。。。。
とにかく、デンマンさんが、歴史の記事をもっと読んでもらうように宣伝しなさい、と言うものだから、こうしてしゃしゃり出てきてしまいました。
おほほほほほ。。。。
そういうわけです。
それでは、あなたにとって面白そうな記事でも紹介しますね。
お時間があったら読んでみてくださいね。
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