あたしはセックスにこだわりすぎますか?(5度目) [性の悩み・セクハラ・愛と性]
あたしはセックスに
こだわりすぎますか?(5度目)
「(ジューンさん、)歴史書にはたいていそのように書いてありますよ。でも、日本語の娼婦とか売春婦と言うイメージではないんですよ。英語の whore とも違うんです」
「どういう風に?」
「前にも書いたように、巫女さんに近い役割を持っていたんです。つまり、女神に仕えると本心から思っていた女性が多かった」
「アフロディテ(ヴィーナス)に仕えるとは具体的にはどういうことなんですか?」
「これも、話し始めると長くなるんですがね、はしょっていえば、この巫女さんたちはアフロディテの代理人として信者の身と心を癒してあげたんですよ」
「身と心を癒してあげる、というと言葉は綺麗に聞こえるのですけれど、結局のところセックスするということなのでしょう?」
「そう言ってしまうと身も蓋もないんですよ。でも、結局そういう事なんですよ。この当時は戦争が多かったから、戦いで身も心も傷ついた人が神殿に身を寄せたんですよ。つまり、病院の機能も兼ね備えていたんです。だから、この巫女さんたちは、ある意味では女医でもあり、女性心理療法士でもあったわけですよ。現在ではセックスするという言い方しかないだけれど、むしろ make love ということですよ。『性愛する』という言い方は無いですよね。でも、それに近いですよ」
「私には、まだよく分かりません。」
「ジューンさんがよく分かるように一つのエピソードを話します。ストラボンがコリンスを訪ねたときにはもう廃(すた)れてしまった風習になっていたようですが、この町の揺籃期にはすべての女性はアフロディテ神殿でお勤めを果たさなければならなかったのです」
「どのような?」
「つまり、どんなに裕福な女でも、また貧しい女でも、神殿に身を寄せて信者と契(ちぎ)りを交わす必要があったんです。美しい女はすぐに信者が選ぶので1日でお勤めを果たせるのだけれど、醜い女だと、なかなか信者が寄り付かず、半年や1年近くも神殿で生活しなければならないと言うこともあったらしい。お勤めが果たせるまで神殿に居なければならなかったわけです」
「つまり信者と性交渉を持つことがお勤めだったわけですか?」
「そうですよ。アフロディテにかわって信者を癒してあげるわけだから、信者はサービスを受けたあとでお賽銭(さいせん)を上げるわけですよね。それが神殿の収入になるわけです。しかし、いつの頃からか専属の女が神殿に住みつき始めたというわけです。そう言うわけで、ストラボンがコリンスを訪れた頃には専属の女が千人以上居たというわけですよ」
「その専属の女たちは、現在で言うなら、アムステルダムの飾り窓の女たちと変わらないわけでしょう?」
「全く違いますよ。そうではないんです。」
「どこがどう違うのですか?」
「つまり、たとえて言えば、ローマ法王が居るバチカン市国の庁舎に飾り窓の女を移住させて、そこに住まわせ、そこで敬虔な信者と宗教的な法悦に浸る。たとえて言えば、そういう事なんですよ」
「つまり、神聖な行為だったと言いたいわけですか?」
「その通りですよ。現在とは考え方が全く異なっていたんですよ。だからこそアフロディテ神殿で性愛の交歓がなされたわけですよ。現在の法王庁で、飾り窓の女が性愛の饗宴をしたら大変なことになるでしょう?でも、コリンスの揺籃期にはそれが“巫女さん”たちの“神聖な”お勤めだったんですよ」
「アフロディテ神殿というのは、そのような事をするために立てられたのですか?」
「そうじゃないですよ。もちろん、アフロディテを祭るためですよ。アフロディテは愛の女神といわれているけれど、当時はむしろ“性愛”の女神だったんですよ。現在は“性”と“愛”が切り離されてしまったけれど、その当時はこの両者は混然としていた。これが切り離されたのが言ってみれば中世ですよ。そしてルネッサンスになって、この切り離されていた性と愛をもう一度結びつけるような動きが出てきた。これを象徴しているのがティツィアーノが描いた上のオルガン弾きですよ。僕はそのように、上の絵を見ています」
『ラピスラズリ と 美女アメニア (アフロディテ神殿)』より
レンゲさん、またとんでもない文章を引用しましたね。どこから持ってきたんですか?
どこからって、これはデンマンさんが書いたものですよ。
それは分かりますが、レンゲさんがこの記事を読むなんて全く思ってもいませんでしたよ。どういう風の吹き回しですか?
どういう風って。。。デンマンさんが一昨日の26日に書いていた記事(『口先だけの批判は最も慎むべきですね』)の中に次のような文章があったんですよ。
しかし、良い作品は作者の人生そのものですよ!
いくら言葉を理解し、すばらしい言葉を並べても、作者の人柄と人生観と世界観と、つまり、「ユニークな個性」「しっかりした自分」がない限り、結局つまらなくなりますね。
でしょう?
小説書いても響かないですよ。
つまらない。
本に限らず。
文句云うのは構いませんが。
いや、口先だけの文句は最も慎むべきですね。
ひとたび批判めいた事を言う時には、人間、覚悟して当たるべきですよ!
ニューヨークのブルックリンで暮らせばこのことは良く分かります。
下らない事をつい言ったばかりに、拳銃をぶっ放されて殺された人を僕は目の前にしましたからね。
こうして書いていても、僕は「命を懸けて」居るつもりですよ。
無責任なことは決して書けません。
キチガイに出会ったら、僕は殺されますからね。へへへへ。。。。
マジでキチガイじみた事を書いてしまいました。
(でも、真実を込めたつもりです。)
とにかく頑張って書いてね。
応援していますよ。
僕も一生懸命書きますよ。
文字通りにね。
(*^_^*)キャハハハ。。。
僕の書いた作品を読みたい人は次のリンクをクリックしてください。
『ラピスラズリと美女アメニア (クレタ島)』
『口先だけの批判は最も慎むべきですね』より
いつものような自信満々の文章を読んで、あたしは一体デンマンさんがどんな作品を書いているのやろか?と興味を持ったんですねん。“良い作品は作者の人生そのものですよ!いくら言葉を理解し、すばらしい言葉を並べても、作者の人柄と人生観と世界観と、つまり、「ユニークな個性」「しっかりした自分」がない限り、結局つまらなくなりますね” デンマンさんは、このように書いているんですねん。
そうですよ。確かに僕はそう書きました。レンゲさんに反論でもあるのですか?
ありますわ。あたしは上のリンクをたどって読んでいったんです。そしてたどり着いたのが上で引用した文章だというわけです。
それで。。。?
あたしはデンマンさんが英語で書いたという1000ページを越える“Erotica Odyssey”は読んでいません。でも、上の記事は言わばその作品のダイジェストだと思ったんです。どうなんですか?
ダイジェストと言うより解説書のつもりで書いたんですよ。
つまり、上の記事に書かれていることはデンマンさんが“Erotica Odyssey”の中で書いているわけですよね。
そうです。
やっとあたしの反論したい箇所にたどり着きました。デンマンさんはあたしが引用した記事の中で次のように書いています。
現在は“性”と“愛”が切り離されてしまったけれど、その当時はこの両者は混然としていた。
これが切り離されたのが言ってみれば中世ですよ。
そしてルネッサンスになって、この切り離されていた性と愛をもう一度結びつけるような動きが出てきた。
これを象徴しているのがティツィアーノが描いた上のオルガン弾きですよ。
僕はそのように、上の絵を見ています
アフロディテは愛の女神といわれているけれど、元々は、むしろ“性愛”の女神だった。そうですよね?
その通りですよ。
現在は“性”と“愛”が切り離されてしまったけれど、古代ギリシャでは、この両者は混然としていた。
確かにそうです。それがどうかしましたか?
“そしてルネッサンスになって、この切り離されていた性と愛をもう一度結びつけるような動きが出てきた”。。。と、デンマンさんは書いているんです。
だから。。。?
デンマンさんは古代ギリシャでも、ルネッサンスでも、“性”と“愛”は混然としていた、と言っているんですよ。しかも、“良い作品は作者の人生そのものですよ!”とも言っている。それならば、デンマンさんにとっても“性”と“愛”は混然としているはずです。そうでしょう? それにもかかわらず、一昨日の記事で次の図を持ち出してきて、あたしを非難したんです。
つまり、あたしの愛と性が重なるほど近づきすぎていると、これまでにデンマンさんは何度となくネット市民の皆様の前であたしをコケにしたんですわ。でも、別のサイトでは、上のような記事を自信満々でデンマンさんは書いているんです。この事をどのように説明なさるのですか?
いつもと違って、ずいぶんとまくし立てましたね。レンゲさんが、これほどまでに僕の記事を読んでくれていたとは、うれしいかぎりですよ。
それよりも、納得のゆくように説明してくださいな。
レンゲさんは何か誤解しているようですね。
何を誤解しているのですか?
僕の愛と性が上の図のようになっているとは僕はどこにも書いていませんよ。レンゲさんと比べた時に、直美の愛と性がこの図のようになっていると僕は書いたんですよ。これまでの記事の中で僕自身のことはどこにも持ち出してないんですよ。嘘だと思ったら、もう一度僕の2月24日の記事を読んでみてくださいよ。はっきりと直美の名前を持ち出していますよ。
デンマンさんは、そうやってまた逃げるのですか?
逃げていませんよ。
逃げてますってばああああああ~~。。。
レンゲさん、そんな大きな声を出さなくても聞こえますよォ~。僕は何もかも否定しているわけではないんですよ。レンゲさんが指摘したように僕の愛と性は、どちらかと言うと離れているというよりも混然としていますよ。だから、上の文章で書いたように古代ギリシャとルネッサンスの愛と性の調和・融合と言う事には魅力を感じるんですよ。そういう点ではレンゲさんと共感するものを持っていますよ。
それなのにどうしてあたしをコケにするんですの?
僕はレンゲさんの愛と性が重なるほどに近づいているからと言って馬鹿にしているわけでも非難しているわけでもないんですよ。
でも、一昨日の記事では実際そのように非難しようとしていました。わざわざ上のような図を作って心の痛みを見せ付けようとしたんです。あたしが結婚も考えずに洋ちゃんとイクことばかり考えていると非難していますわ。
そうではありません。
いいえ、そうですわ。あたしと洋ちゃんが愛し合うことをデンマンさんは良くは思っていませんわ。心のどこかでデンマンさんはきっとあたしを非難しているんです。
僕が問題にしているのは、レンゲさんは清水君と充分に愛し合っている。それでいながら不安を感じている。なぜなら、イケないからだと言う。でも、清水君と愛し合うことによってレンゲさんは充分に心が癒されているはずなんですよ。なぜなら、野々宮さんに捨てられたと思い込んだ時、あれほど死にたい、死にたいと言っていた。でも、今では生きることに幸せを感じている。そうでしょう?。。。どうなんですか?
今は、死にたくはありません。
でしょう?だから、僕が言いたいのは、これまでの失敗を繰り返さないためには、今、レンゲさんが感じている愛情を建設的に育ててゆき、いずれは清水君と家庭を持つ方向で付き合ってゆけばいいのじゃないのか、。。。そう言う事なんですよ。分かりますか?
つまり、あたしと洋ちゃんが結婚すべきだと言うのでしょう?
結婚することがイヤなら別に結婚しなくてもいいですよ。僕が言いたいのは清水君との間にコミットメントを持つと言うことですよ。それを持たない限り、レンゲさんはまた失敗を繰り返します。
どうしてそのように断定なさるのですか?
それが今までのレンゲさんだったんですよ。コミットメントを持たずに関係を続けてきたから、これまで常に破れていた。いい例が野々宮さんですよ。あの人はコミットメントを持つことを拒否している。だから、レンゲさんの前に店長の玲子さんとも同じような関係を持った。野々宮さんは仕事の方はしっかりとやるけれど、女性関係では“遊び人”ですよ。
どうしてデンマンさんに、そのようなことが分かるのですか?
直美から聞いたんですよ。野々宮さんとは仕事の上でも個人的にも付き合いがありますからね。直美自身は野々宮さんと深い関係を持ったことがない。なぜなら、元店長の玲子さんと野々宮さんのこじれた関係を知っていたからですよ。とにかく、直美によれば、野々宮さんは仕事はできるけれど、女性にはルーズだということですよ。
あたしは野々宮さんに遊ばれただけだ、と言うのですか?
結果としてそういうことで終わったでしょう?違いますか?
デンマンさんは、またあたしの失敗を持ち出してネット市民の皆様の前であたしを晒し者にするのですか?
そうじゃありませんよ。レンゲさんのことを僕は日本のグロリア・スタイナムになれるほどの充分な素質を持っている人だと思っているんですよ。あなただって次の記事の中で書いていたじゃないですか?
『わたしはネットで“愛の正体”を探してゆこうと思います』
デンマンさんはあたしを持ち上げているんですか?それとも貶(けな)しているのですか?
持ち上げてもいないし、貶してもいませんよ。僕はレンゲさんがいつまでも幸せでいてほしい。少なくとも死にたいなんて思わないでほしいんですよ。そのためにこうしてレンゲさんとネットで語り合っているのじゃないですか?レンゲさんだって、すぐ上のタイトルで書いたじゃありませんか?“わたしはネットで「愛の正体」を探してゆこうと思います”と。。。僕とレンゲさんは、そのようにして“愛の正体”をネットで探す旅にでたんですよ。そうでしょう?。。。どうなんですか?
そうです。でも、デンマンさんはあたしの幸せを心から願っているわけではありませんわ。
どうしてそのようなことを言うのですか?
あたしを無理やり日本へ連れ戻してしまいました。あたしはバンクーバーでデンマンさんと幸せだったんです。
また、そのことを蒸し返すのですか?僕とレンゲさんは同じ屋根の下で、あれ以上一緒に暮らすべきではないんですよ。
どうしてですの?
不倫になってしまうからですよ。
そのようなことにはなりません。
なるんですよ。レンゲさんは怖い夢を見たと言って僕の部屋に入ってくるでしょう?
あたしが怖い夢を見ると不倫になるのですか?
レンゲさん、いつまでも16才の乙女ではないんですよ。坂田さんの腕に抱かれてハラハラ。。。わくわく。。。ドキドキ。。。乙女の花びらを散らした甘い切ない思い出を今だに心のどこかで暖めている。僕はあなたの“坂田”さんではないんですよ。
そのようなことはあたしにも分かっています。
だったら、いつまでも16歳の乙女のように甘えている場合じゃないでしょう?
あたしにどうしろとおっしゃるのですか?
僕とレンゲさんは愛と性に関しては似ているところがある。だからお互いに惹きあうモノを感じているんですよ。でも、決定的に違うものがある。
それは。。。それは、一体何ですの?
コミットメントですよ。上の3つの円が重なる部分ですよ。レンゲさんの場合、次に示すように、この部分が脱落しているんですよ。
わかるでしょう?実際には僕の愛と性はレンゲさんほど重なってはいませんよ。でも僕とレンゲさんが似ていることを強調するために、このような図にしてみたんですよ。今のレンゲさんには清水君と結婚したいと思う気持ちがほとんどないんですよ。もちろん、家庭を持つことも考えていない。だから3つの円が重なっていない。僕はすでに家庭を持っている。浮気をしたこともあるし、不倫をしたこともあるけれど、少なくとも直美と今まで一緒にいられたのはこのコミットメントがあるからですよ。少なくともお互いに意識していたから続いているんですよ。レンゲさんには愛とセックスしか頭にない。僕の言おうとしていることが見えてきましたか?
つまり、デンマンさんはあたしを軽蔑しているのでしょう?あたしは洋ちゃんとセックスだけしかしていないと。。。
そうじゃありませんよ。
だって、そのように聞こえます。
頭のいいレンゲさんに僕が言おうとしていることが分からないはずがないんですよ。あなたは分かっていてこのようにダダをこねている。。。“幼児的なふれあい”を求める8才の女の子が出てきてしまうんですよ。思慮と分別のある熟女が押しやられてしまう。レンゲさん、もう少し大人になったらどうですか?
デンマンさんは、いつだって、あたしをこのようにしてやり込めるんですわ。本当にあたしの幸せを願っているなら、もっとあたしに優しくなれるはずですわ。
僕は寅さんのように優しいつもりですけれど。。。へへへ。。。
ふざけないでくださいな。。。んも~~。。。あたし、マジなんですよ。
僕だって、好んでふざけているわけではありませんよ。レンゲさんが8歳の女の子になって甘えるから僕も精神年齢を下げておどけるわけですよ。
分かりましたわ。あたしにはコミットメントが持てないとデンマンさんはおっしゃるのですね。だったら、どうしたらいいのですか?
レンゲさんは分かっていますよ。知っていて、知らないフリをしてこうして尋ねるんですからねぇ。。。こういう時に、追いやられてしまった熟女を呼び戻せばいいんですよ。
今、デンマンさんの目の前に居るのはその熟女ですわ。
そうは見えませんよ。
とにかく、余計なことを言わずに話してくださいな。
これを話すとまた長くなるんですよ。あの“小額2年生”のえっけん君もね、僕の話がいつも長くなると苦情を言ってますよ。僕がコピペして同じ話を何度も繰り返しているとね。。。。でも、なぜ長くなるのか?このようにレンゲさんが重要なことを忘れてしまうからなんですよ。それで僕は重要なことを繰り返さないといけなくなるんですよ。
つまり、デンマンさんは、えっけん君の苦情を持ち出して、デンマンさんの記事が長くなることをすべてあたしのセイにしたいんですのね?
実際、そうでしょう。あなたは僕の言った事を忘れてしまう。失敗したことに学ばない。だから、いつまでたっても同じような失敗を繰り返す。それで、僕も同じような話を蒸し返さねばならないんですよ。この点で“小額2年生”のえっけん君と同じですよ。失敗から学ぼうとしない。オツムの弱いえっけん君は今だに失敗から学んでいませんよ。
何もかもあたしのセイにするんですのね?
いづれにしても、レンゲさん、この記事は長くなりすぎましたよ。また、オツムの足りないえっけん君から苦情が出ますよ。だから、この続きは明後日にしましょうねぇ~。ねっ? いいでしょう?
(レンゲさん、無言でデンマンをにらむ)
その、。。。その、レンゲさんの僕を睨み殺すような目つき。。。それ、なんとかなりませんか?
僕はこの黒いパンティーをはいたレンゲさんの目つきが怖いんですよォ~。
んも~~
レンゲさん、そんなに大きな声で叫ばなくても聞こえますよ!
(ここだけの話しですけれどね、レンゲさんの中のこのサディストが出てくると大変なんですよ。あの、すっご~い河内弁でまくし立てますからね。とても、この記事で書くわけにはゆきませんよ。。。とにかくね、この話の続きは、ますます面白くなりますよ。どうか期待して待っていてくださいね。もっとレンゲさんのことが知りたいのなら、下にリンクを貼っておきましたからぜひ読んでくださいね。)
レンゲさんの愉快で面白い、そして悩み多いバンクーバーの日々は
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