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いろは51文字に隠された秘密 [日本語]

いろは51文字に隠された秘密

「いろは」は48文字じゃなかった?

その通りです。普通48文字ということになっています。でも51文字あった可能性が強いのです。なぜそう言えるかといえば、下の表を見てもらえば分かるとおり、奈良時代あるいはそれ以前に使っていた文字が発音しなくなると共に脱落したと考えられるからです。

上の表のピンクのバックグラウンドで示した5つの文字を、奈良時代・平安時代の人たちは、ちゃんと区別して使っていたようです。しかし、現在 WU などは U と全く区別なく使っています。昔はおそらくWU を表す文字があったのでしょうが、どうも現在に伝わっていないようです。

私は O と WO でさえ、全く区別なく発音しています。 事実、この重たい「を」をどのようにして発音するのかについては、誰からも教わったことがないし、いまだによく分かりません。おそらくほとんどの人は「お」と「を」を区別して発音していないと思うのです。 

昔の人たちが区別していたことが、どうして分かるかと言うと、ちゃんと証拠が残っているのです。「いろは歌」と呼ばれるものがありますが、これは平安時代に作られたものだそうです。あたなも先ず間違いなく知っている歌です。次に示します。

いろは歌

上の歌を見ても分かるとおり、ちゃんと「い」と「ゐ」、「え」と「ゑ」を区別しています。しかし、もうこの時には、yi、 ye、 wu は脱落していたようです。

いろは歌は日本語の音(おん)の四十八字音の配列によるもので、仏教の教理を示す今様調の歌だそうです。この歌は平安初期の弘法大師の作である、という説がありますが、歌の構成上その他からみて、平安時代の未にできたもので、弘法大師の作ではないという学者もいます。

歌の意味は大体次の通りです。

一口で言えば、まず世の無常を率直に知ることが、仏教の奥義をきわめる基であるというような意味です。 歌の中の「有為」というのは「無為」の反対ですが、仏教では、生まれたり滅びたりせず変化がない「無為」に対して因縁によって生じるこの世の一切の現象のことを言います。つまり、「有為(うゐ)の奥山」とは万物流転の世界ということでしょう。

つまり、私たちは、この「いろは歌」について深く考えるようなことはありませんが、実は、このように仏教と深いかかわりがあったわけです。むしろプロパガンダの意味があったのかもしれません。このようにして仏教の教えを広めようとしたのでしょう。

この「いろは歌」が全文で載せられている一番古いものは、第72代の白河天皇の承暦三年(1079)に作られた『金光明景勝王経音義』という書物で、これは万葉仮名で書かれているそうです。その後『伊呂波釈』とか、『伊呂波署釈』、また『色葉字類抄』のような本が世にでているので、「いろは」歌は平安時代中期に成立し、仏教の教えだけのためではなく、平がなの手本としても世に出されたようです。

明治以後の学校教育では、歌の意味とは別に「いろはにほへと、ちりぬるをわか、よたれそつね、ならむうゐの、おくやまけふこえて あさき、ゆめみしゑひもせす、ん」などと、ただ音の並びに直して、意味のわからないまま、もっぱら文字を覚えるために教えられたようです。

それ以外に、隠された秘密でもありますか?

この上の表をもう一度よく見て欲しいのです。「や」行と「わ」行は他の行と比べてだいぶ違っていると思いませんか?どうしてこの2つの行だけこのように変化があったのでしょうか?

というわけで、もう一度よく、この2行について調べてみました。すると、やはり、他の行とは性質が違っているのです。なんと、この2行は昔、2重母音だったのです。

つまり、上の表は次のようになるのです。

しかも、この一つ一つの音に意味があったというのです。例えば、いぬ(犬)というのは、「確かに」という意味の「い」と、「忠実な」という意味の「ぬ」が合わさって、「確かに忠実な生き物」という意味があったと言う事です。

しかし,人間に極めて忠実な犬たちも、虐待を好む人間に対しては上の絵のように噛み付くわけです。このことについては、ちょっと信じがたいお話しがあります。関心のある人はこのページ (酒乱の精神科医飼い犬に手かまれ大暴れ警官に足撃たれて逮捕) を見てください。

他の文字に一体どのような意味があるのだろうか?そう思いませんか?関心のある人はこのページ  (百 音 図) を見てください。

現在の日本で暮らしているほとんどの日本人は、「みゃ」「みゅ」「みょ」だとか「にゃ」「にゅ」「にょ」をあまり使いません。もちろん、例外もあります。名古屋地方の人たちは、結構よく使うようです。「野球でもやるきゃぁ」とか「宿題やるみゃぁ」のように、昔使われたヤ行の2重母音をたくさん使います。

しかし、平安時代や奈良時代、あるいは、それよりもっと以前には、名古屋地方だけにとどまらず、もっと広い地域で、このような2重母音が頻繁に使われていたそうです。

当然のことながら、このような2重母音が一体どこから入ってきて、なぜ、現在あまり使われなくなったのだろうか?という疑問が頭をもたげてくると思います。次のページでは、このことについて説明しようと思います。
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この記事は次のページをコピーして編集したものです。

http://barclay.e-city.tv/oldhist/iroha.html


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