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釈迦の愛とライオンの愛 [恋愛・失恋・不倫]

釈迦の愛とライオンの愛

女の生き方についてデンマンさんとお話していたら、クレオパトラの事が話題に上ったのです。

クレオパトラはご存知のように恋に生き、愛に生き、政治にもどっぷりとつかり、権力も手中に収め、財宝も思いのままに溜め込んだ女性です。
長い人間の歴史の中でも、これほどの人物は探してもなかなか見当たりませんよね。

何しろ、シーザーとアンソニーという歴史上の偉大な男を、二人共に手玉に取ったのですからすごいです。

私は何も自分の恋愛経験をクレオパトラと比べるわけではないのですが、これまでの短い人生ですけれど、幾人かの男性と恋愛経験を持ちました。
でも、残念ながらいつでも壊れてしまうのですよね。

その壊れた私の恋愛経験の中でも『不倫の悦びと苦悩』の中で経験した男性との恋愛は私にいまだに大きな影響を与え続けています。
その人がすばらしい男性だったと言うよりも、私は理屈を越えてその方が好きになってしまったのです。
すばらしい男性と恋愛してみたい、と思うのは女なら誰だって持っている願望だと思います。
でも、実際にはすばらしい男性なんて、そう多くはありませんよね。

振り返って考えてみると、私が恋愛経験を持ったどの男性にも問題があったと思います。
でも、そう言ってしまえば、私にだって性格的な欠陥があります。

クレオパトラは、彼女自身すばらしい女性だったのでしょうね。だからこそ歴史上偉大な二人の男性と恋に落ちる事ができたのだと思います。
私のような凡人には偉大な男性は望むべくもないのかもしれません。
結果として、私の恋愛は常に波乱の多いものでしたけれど、実る恋はひとつとしてありませんでした。

ところで、クレオパトラはあれ程、ドラマチックで波乱に富んだ人生を歩みましたけれど、自殺しているのですよね。
私は退屈する恋愛が一番イヤですから、クレオパトラのような恋愛ができたら、もう何も言い残す事はないと思うのです。
私は抑鬱に悩まされているので、時には落ち込んで死にたくなる事がありますが、
病状が良くなれば、人並みの女の幸せを求める気持ちがあります。
ですから、まだ満足のゆく恋愛経験を持っていない私は、まだこの世に未練を感じます。

クレオパトラのような恋愛がしたいと、私が口走ったらデンマンさんが孫悟空のお話をしてくれました。
なぜ孫悟空なの?
そのときは理由など言わずに、とにかく聞いてよね、と言って話し始めたのです。
そのお話はこのようなものでした。

孫悟空がお釈迦様の手のひらに乗って、大きな顔を仰ぎ見ています。お釈迦様はちょうど奈良の大仏のように、とてつもなく大きな人物で、孫悟空はちっぽけに見えます。そのお猿さんがえらそうにお釈迦様を見上げて言うのでした。

「オイ、俺はすごいんだぜ!この世の端から端まで、ひとっ飛びで行ってきたんだ。」

お釈迦様は慈悲に満ちた優しい顔で笑って言いました。

「そうかね。おまえは、そんなにすごいことが出来るのかね。でも、この世の端から端なんて、ちょっと信じられないが、何か証拠でもあるのかね?」

「もちよ、あたりきよ。あるに決まってるじゃないか!俺はよ、この世の端まで行って、大きな崖にでかい筆を使って俺の名前を書いてきたんだぜ。それが何よりの証拠さ。嘘だと思ったら、見て来なよ。でも、あんたのように、ここにジット座っていたんじゃそれも無理だろうがね」

お釈迦様は、それでも優しいまなざしを向けて笑っています。

「しかし、見る人が見ると、そうは思わないのだがね」

「だって、あんたは、ここにじっとして座ったままじゃないか!この世の果てなんて行けっこないじゃないか!」

「そうか、おまえには、そうとしか思えないのか」



そこで、お釈迦様はおもむろに、もう一方の手の平を広げたのです。 すると中指に、さっき、孫悟空が大きな筆で書いた名前が、書体も同じに全く瓜二つにかかれてあったのです。

「おまえが、この世の果てに飛んで行って書いたというのは、このことかね?」

孫悟空はびっくりデス。この世の果てと思ったのに、何とお釈迦様の手の平に書いていたのです。

「おまえは、この世の果てまで行ったというけれど、私の目には、こちらの手の平から、もういっぽうの手の平へ移動したに過ぎないんだ」

お釈迦様は、クレオパトラより500年以上も前の人です。

デンマンさん、時代が違うでしょう?私は、そう言いました。

確かに違うけれどね、仮にだよ。もしお釈迦様に向かって、死を前にしたクレオパトラが彼女の人生についてお尋ねしたとする。お釈迦様は一体何と答えたと思う?

もちろん私に分かるはずもありません。また、デンマンさんも私が答える事を期待していたわけであはありません。

いつものように、もったいぶった笑いを浮かべながらデンマンさんはお話を続けました。

「あなたは、確かに恋に生き、愛に生き、政治にどっぷりとつかり、権力も手中に収め、財宝も思いのままにしてきました。しかし、あなたも、結局、孫悟空とたいして変わりありませんよ。50歩100歩というところでしょうか」

「そうでしょうか?とにかく、私、疲れました」

「そうですか。疲れましたか。。。私はあなたが自殺することを薦めはしませんが、そうかといって、止めもしません」

「私、とにかく疲れました。やるだけのことはやったのです。あなたの目には、孫悟空を見ていたのと同じように、私が、あなたの手の平の中で悪あがきをしていたように見えるでしょうが、それでも私は精一杯生きてきたのです。でも結局、このようにしかならなかったのです。もう、ホントに疲れたのです」

「人間は一度は死ぬのですから、早いか遅いかの違いだけです。あなたはご自分で、これまで十分にやってきたと思われるのなら、この辺でラクになるのも良いでしょう」

そうですよね。
お釈迦様でも、じっくりとクレオパトラの生き様を見れば、
この程度の助言しか出来ないのかも知れませんよね。
そして、それがお釈迦様の愛なのかもしれませんよね。


私は素直な思いから、
デンマンさんに私の事を聞いて欲しかった。

無意識のうちに救いを求めていたのか、
あるいは助言を求めていたのか
そのことは良く分かりません。

でも、私の書いた日記やBLOGを元に
いろいろとアドバイスをしてくれました。
初めの内は、それなりに意味のあるお話だと思っていたのですが、
私はウツが昂じてきてデンマンさんに返信が書けなくなりました。
それからはデンマンさんが一方的に私に対して助言を書いてくれました。

やがて、私にとって耳障りなことが多くなってきました。
私に対して助言するというより、
私の過去の恋愛経験や性格に対して
非難するような印象を私は持ち始めたのでした。

次第に精神的苦痛を感じるようになりました。
もう止めて欲しいと切実に思うようになりました。
私は「もう勘弁してください」とまで言うようになりました。
でもデンマンさんは止めませんでした。

このような私とデンマンさんのやり取りを見ているある人が
次のようなことを書いてくれました。

デンマンさんの返信を読むと、
貴方は真剣にレンゲさんの
心を救いたいという想いの為に、
あえてレンゲさんが傷付くような
言葉を書き続けて、
悪役を演じているように思いました。

ライオンが我が子を谷底に突き落として、
自分の力で這い上がってくるのを
待ってる心境なんですね。
なるほどね。
純粋な想いですね。

そんな受け留め方もあるのですね。
私には全く想像もつきませんでした。
目からウロコが落ちるとは、このことでしょうか?

でも、例えそうだとしても、
私にはあまりにも厳しい言葉として受け取れたのです。
精神的苦痛!

心の痛みに立ち向かう勇気と
相手の助言を素直に聞き入れる柔軟さ。
私には、この二つのものが欠けているのかもしれません。

これまでの私の人生は
苦悩と困難だらけの茨の道でした。
でも、これからは「愛」に満ちた潤いのある道をたどって行きたい。
そのためにも、今一度この2つの愛を考えて見たいと思います。


この当時の私とデンマンさんの対話は次の投稿を読むと良く分かりますよ。

『レンゲさん、仲直りしようね。』
http://barclay.worldfreeweb.com/renge1/tree.php?n=1071

『ジョージ君、人の心を読むということは難しいですよ!でも、努力し続けなければならないことでしょうね。結局、自分を知ることになるんですからね。』
http://barclay.worldfreeweb.com/renge1/tree.php?n=1041

『デンマン殿へ 今度はこちらから聞きたい』
http://barclay.worldfreeweb.com/renge1/tree.php?n=1032


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