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愛人を持ちすぎたことがいけないのですか? [性の悩み・セクハラ・愛と性]

愛人を持ちすぎたことが
いけないのですか?

『伊勢物語』の六十三段に「つくも髪」と言うエピソードがあるんです。

どういうお話ですの?

白寿を迎えた老婆、つまり99歳の老婆ですよ。その人が息子三人を呼んで冥土の土産にめくるめく思いがしたい、と言ったのですよ。レンゲさんがその年まで生きられたとしたら、おそらく同じ事を言うだろうと僕は思いますね。へへへへ。。。。

その下卑(げび)た笑いを浮かべて、あたしをからかいたいのですか?さっきのお返しですか?。。。それで、息子たちは何と返事したのですか?

上の2人はその歳でとんでもない、と母親を諌(いさ)めたんですよ。でも、下の親孝行の息子は何とか願いを叶えてやりたいと在原業平に頼んだんです。

在原業平と言うのは、あの史上有名なプレイボーイの事ですか?

確かに俗説では3373人の女性と交わった事になっていますからね。そういう印象を持たれても仕方がないでしょうね。井原西鶴の『好色一代男』の世之介が3743人の女性と媾合(まぐあ)ったことになっていますよ。だから、日本史の中でも歴代のプレイボーイには違いないです。でもね、平安時代の有名な歌人、六歌仙(僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主)の中に入っているんですよ。つまり、当時の一流の文化人の一人です。

その業平さんが、この99歳の老婆と媾合(まぐあ)ったのですか?

そうなんですよ。レンゲさんのように愛と性を女の幸せと考えて終生追求して惜しまなかったこの老婆の夢を、業平さんは叶えてあげたんですよ。

99歳の女性がその年まで生きながらえてエッチしてあの世に逝ったなんて考えられませんわ。

おそらく誰もが信じようとしないでしょうね。でも、僕が報道されたニュース記事を引用せずにですよ、66歳の女性が赤ちゃんを産んだと言っても、おそらく誰も信じないでしょうね。

つまり、デンマンさんは、99歳の女性が実際にエッチして満ちたりた気持ちであの世にイッたと言う事を史的事実として認めているのですか?

いや、そう言うつもりではないですよ。99歳の女性がエッチしたか、しなかったか?はどうでもいいんですよ。そのような話が時代を越えて現在にまで語り継がれてきたと言う事が重要ですよ。つまり、人間はいくつになっても愛と性は重要なテーマだと、文化的に芸術的に考えていた人が居たという事が重要な事ですよ。だから僕はレンゲさんが愛と性にこだわって、清水君と毎朝、毎晩愛し合っている事がすばらしい事だと思っているわけですよ。

いいえ、そのように言いつつ心のどこかでデンマンさんはあたしを軽蔑していますわ。

『いつまで愛し合い、求め合うことが出来るのでしょうか?』より

それで、レンゲさん、夕べは清水君と何度愛し合ったのですか?

デンマンさん、もう、いい加減にしてくださいなぁ~。。。そういう質問には、もう答えたくありませんわ。この記事を読んでいる人だって、きっとうんざりしていますわ。デンマンさんはしつこいんですよ。

僕は確かにしつこいかも知れませんよ。しかしですよ、僕のしつこさよりも、レンゲさんと清水君のしつこさの方が、もっとどぎついと思いますよ。とにかく、毎朝、毎晩でしょう?。。。どうなんですか?へへへ。。。

ホラ。。。デンマンさん、。。。そのイヤらしい笑い。。。何とかなりませんの?

これは僕のトレードマークですからね。止めるわけにはゆきませんよ。

分かりましたわ。とにかく、あたしと洋ちゃんが何度愛し合おうとデンマンさんには関わりのないことですわ。

ところで、今朝、レンゲさんは鏡を見ましたか?

見ましたわ。

だったら、今日も目の下にクマができているのが分かっていますよね?

これはクマではありません。アイシャドーですわ。

ちがいますよ。アイシャドーならもっと青味がかっているというか、紫がかっているというか。。。でも、レンゲさんの目の下の色は濃い黄銅色ですよ。

だからあああ~~、こういう色のアイシャドーができたんですわ。

つまり、レンゲさんの目の下にできているクマとほぼ同じ色のアイシャドーを買ってきたわけですか?

それって、悪い冗談を通り越して、嫌がらせですよね。そのようなことを言うことってセクハラだと思うのですけれど。。。

僕は、レンゲさんが過労死するのじゃないかと、本当に心配しているんですよ。

デンマンさんは大げさですわ。デンマンさんのような人が腹上死した、というのは聞いたことがありますけれど。。。うふふふふ。。。

どうして僕が腹上死しなければならないんですか?

とにかく、女性が“腹下死”したなんて聞いたことがありませんわ。

だから、レンゲさんが、その第一号になるかも知れませんよ。もし、そうなったら、ギネスブックに載りますよね。うへへへへ。。。。

デンマンさん、いい加減にしてくださいな。この話をこれ以上続けるなら、あたし帰らせてもらいますわ。

ちょっと、待ってくださいよ。。。分かりましたよ。帰られては困るから、もう、この話はしませんよ。

それで、今日は何をお話しになるのですか?

冒頭に引用したエピソードを読めば分かるでしょう。在原業平について話したいんですよ。

平安時代のプレーボーイがどうしたというのですか?

僕は在原業平という人はレンゲさんと同じ境界性人格障害を患っていたのではないかと思っているんですよ。

そういう障害は平安時代にはなかったのでしょう?

“境界性人格障害”という言葉はなかったでしょう。でも、障害そのものは、ずっと昔からあったんですよ。つい最近まで、それが認められていなかったというだけですよ。

デンマンさんは、なぜ、そのように思ったのですか?

俗説では、在原業平は3373人の女性と交わった事になっていますよ。仮に1週間ごとに違った女性と媾合(まぐあ)ったとします。そうすると、3373人の女性すべてと媾合(まぐあ)うためには3373週間必要になりますよね。1年は52週ですからね。52で割ると64.8年ですよ。15歳から始めたとして、この恋愛遍歴が終わりを告げるのは80歳になった年ですよ。大変なことですよね。

まさか、デンマンさんは、それが史実だったとは思っていないでしょう?

史実ではなかったと思いますよ。ちょっと次のプレイボーイの略歴を見てください。

在原業平(ありわらのなりひら)



生年: 天長2年(825年)
没年: 元慶4年5月28日(880年7月9日)

父は平城天皇の皇子の阿保(あぼ)親王。
母の伊都内親王は桓武天皇の皇女で、業平は桓武天皇の孫にあたる。

平安時代初期の歌人であり、六歌仙、三十六歌仙のひとり。
『古今和歌集』に30首が入集されている。
また伊勢物語の主人公とみなされる。

臣籍降下して兄行平らとともに在原氏を名乗る。
別称の“在五中将”は在原氏の五男で従五位上、右近衛権中将であったことからくる。

仁明天皇の蔵人となり、849年(嘉祥2年)従五位下に進むが、文徳天皇の代になると13年に渡って昇進がとまり不遇な時期を過ごした。
清和天皇のもとで再び昇進し、従五位上に序せられ、右馬頭、右近衛権中将、蔵人頭に進んだ。
惟喬親王の従妹である紀有常女を妻とし、紀氏と交流があった。
子に棟梁、滋春、孫に棟梁の子・元方がありみな歌人として知られる。

文徳天皇の皇子惟喬親王に仕え、和歌を奉りなどした。
業平は『日本三代実録』には「体貌閑麗」とされ、美男の代名詞のようにいわれる。
早くから『伊勢物語』の主人公と同一視され、伊勢物語には中、二条后こと藤原高子や伊勢斎宮などとの禁忌の恋が語られる。

【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】

すぐに分かることだけれど、在原業平は55歳で亡くなっているんですよ。だからね、とても3373人の女性とは無理ですよ。僕の上の計算を基にして言うなら、せいぜい2080人までですよ。

でも、1週間に一人ではなく、1日に一人だとしたら。。。?

それは史実的ではないですよ。平安時代というのは男が女の元へ忍んで行くんですよ。媾合(まぐあ)うまでには、それなりの手順を踏むわけですよ。和歌を作ってお互いにやり取りしたりするんです。けっこう、手間ひまかけてデイトするわけですよ。初対面の女性とその日のうちに媾合(まぐあ)うわけではないんですよ。僕は上の計算で1週間としたけれども、それでも早すぎるほどですよ。

そうでしょうか?

そうですよ。レンゲさんの恋愛遍歴が僕のこれまでに知り合った女性の中では一番変化に富んで、スピーディーなんですよ。でもね、恋愛の手練手管(てれんてくだ)にすっかり馴染んでいるレンゲさんでも、二人の男性と深い仲になって目の下にクマができるほど愛し合うのに、去年の9月から今年の3月まで、足掛け7ヶ月がかかっているわけですよ。。。。つうことわあああ。。。一人当たり、およそ3ヶ月必要なわけですよ。しかし、僕にとって初対面の人と会ってから3ヶ月で肉体関係になるなんて、どう考えても早すぎるんですよ。

そうでしょうか?

平均的な女性は、もう少しじっくりと男と付き合ってから、やっと身を任せるものですよ。

そうなのですか?。。。それで、デンマンさんは奥様とはどうでしたの?

直美は京都の旧家の出なんですよ。だから、しきたりの厳しい躾(しつけ)を受けてきたんですよ。そういうわけで、男女関係でも古風なところがあるというか、封建的というか、伝統的というか、。。。とにかく、僕はじらされましたよ。

だから、どうだったんですの?

キスさえ、なかなかさせてくれませんでしたよ。

それで、あちらの方は。。。?

結婚式を挙げるまでお預けだったですよ。

うっそぉ~。。。つうことわあああ。。。それまで一度もなさらなかったという事ですの?

もちろんですよ。僕の従妹が直美を紹介してくれたのだけれど、付き合い始めてから3年が経っていましたよ。

それって、マジですか?

八幡様に誓ってマジですよ。

なんだか作り話のような。。。

レンゲさんね、普通、男女関係というものは恋愛関係から出発するんじゃないんですよ。初めは知り合い程度から始まって、それからお互いに気に入って友達関係になって、それから相手のことに魅力を感じ、性格的にも性的にも惹きつけられるんものを感じて恋愛関係に移行してゆくんですよ。2ヶ月や3ヶ月のプロセスじゃないんですよ。2年から3年というのはざらですよ。僕の知り合いには5年から10年という人だって居ますよ。

まさかぁ~。。。?

レンゲさんや在原業平の世界が、平均的な人にとっては異質の世界なんですよ。レンゲさんの愛と性の世界は次のようなものだったんですよ。

レンゲさんには、間違いなく野心家の一面もある。だからこそブティック・フェニックスでも3ヶ月余りで、他の店長をゴボウ抜きに抜いてあなたは売り上げでトップの座を獲得した。クラブ・オアシスでもあなたは30人余り居るホステスの中でナンバーワンに躍り出た。これがその当時のレンゲさんの写真ですよね。若くてピチピチしていた。しかも素人っぽくって素朴な美しさがある。それでいて洗練されたところもある。そういうところがお客さんの関心を誘った。それに加えて、話題が豊富でお客を飽きさせない。あなたは頭のいい女の子なんですよ。自分をどう演出してよいかも、ちゃんと心得ている。だから、ナンバーワンになることも時間の問題だった。

。。。

あなたにとって大学生活は慢性的な空虚感と退屈さが伴っていたんですよね。少なくともホステスの生活の方が楽しかったんですよ。楽しいという言葉が適切でないなら、レンゲさんの求めているものは、大学生活よりもホステス生活の方にたくさん見出すことが出来たんですよ。

あたしの求めているもの?。。。それは何ですか?

“幼児的なふれあい”ですよ。

レンゲさんがホステス時代に“お客リスト”を作っていた。レンゲさんはクラブ・オアシスで働いていた30人の女性のうちでナンバーワンになったんですからね。レンゲさんがマジメに一生懸命ホステス業に励んでいたことが僕は理解できましたよ。どんな職業でもそうですが、トップになるためには、それなりの努力が必要ですよ。実際、“ちゃらちゃらして”いたら、ナンバーワンにはなれなかったと思いますよ。

。。。

“セックスから愛が生まれることもあります”と言ったんですよ。覚えているでしょう?

セックスから愛が生まれる事は、極めてまれにはあるかもしれません。でも、普通は逆ですよ。愛し合っている男と女がやがて結ばれる。そう思いませんか?ただし、レンゲさんが“セックスから愛が生まれる”事を体験したと言う事は僕には理解できますよ。でも、その愛はレンゲさんが求めていた愛ではなかったようですよね。

本当の愛を見つけていたなら、レンゲさんはベターハーフを見つけていたでしょう。でも、人生の伴侶をいまだに見つけていないですからね。しかも、レンゲさんは求めている愛を見つけることが出来そうにないと思ったから、ホステスの世界からきれいに足を洗ったんですよ。2度と戻らなかった。これからもレンゲさんは戻らないと思いますよ。

本当の愛があることをレンゲさんは信じている。信じきれないまでも信じようとしているレンゲさんが居る。しかし信じたいにもかかわらず、レンゲさんの目の前に現れる愛は、理想とする「愛の形」からはあまりにもかけ離れている。それでレンゲさんは絶望を感じないわけには行かない。これ以上どうにも出来ない愛に無力感を覚える。レンゲさんがホステスを辞めたのは、この事が真の理由だと僕は思っていますよ。

やはり、セックスから愛は生まれませんか?

だから、そういうことも極めてまれにはあるでしょう。でもね、これだけはハッキリ言えますよ。クラブに行く男たちは、そこで愛を探そうとしているわけではないんですよ。女の子と遊ぶために行くんですよ。だから、そこで仮に求める女の子を男が“釣った”としても、釣った魚にエサをやるようなことはしないものですよ。

遊びだけが目的だと言うのですね。

僕はそう思いますよ。レンゲさんだって、そう思ったからこそ、馬鹿馬鹿しくなって、ホステス業を廃業にしたはずでしょう?

分かりますか?

レンゲさんは頑張り屋の性格ですからね、ホステス業が本当にすばらしいと思うなら、あなたは自分のクラブを立ち上げる事の出来る人ですよ。しかし、あなたは結局、ホステス業を廃業した。大学にも戻らなかった。何をしたか。。。?ホステス時代の関係を引きずってしまったんですよ。

何もかもご破算にすることなんて出来ませんわ。

そういうところがレンゲさんの優柔不断なところです。レンゲさんを衝動的に殺そうとした椎名さんはホステス時代からの付き合いですよ。あなたのドクターもこの人だけとは別れなさいと言っていた。

でも、椎名さんは可哀想な人なんですよ。

あなたと同様、不幸な家庭に育った。だから、同病相哀(あいあわ)れむような関係だったんですよね。でもね、レンゲさん自身が溺れようとしていたんですよ。そのレンゲさんが溺れかけていた椎名さんを助けようとした。それがレンゲさんの感じていた“愛”だった。しかし、溺れかけていた人が溺れようとしている人を助けようとして、結果的に二人とも溺れてゆく。僕にはそのように見えましたよ。

つまり、“不毛の愛”ですか?

。。。

デンマンさんは、あたしの事を誰よりも良く理解している。でも、それでいてあたしを愛してくれませんよね。どうしてですの?

レンゲさんが言う“愛している” “男と女が理解しあう” と言うことには “関係を結ぶ” と言うことが当然のように含まれている。でも、あなたはね、一度の関係では終わらないタイプなんですよ。だから、あなたが求めるような愛に、僕はのめり込むことは出来ないんですよ。溺れるものを助けるために溺れてどうします?ミイラ取りがミイラになってしまってはお笑いモノですよ!

『とこしえの愛って。。。 』より

分かるでしょう、レンゲさん?。。。レンゲさんが“クラブ・オアシス”で過ごした愛と性の世界というのは一般的な女性の日常の世界とはかけ離れたものなんですよ。おそらく在原業平の世界も、その当時の一般的な男の世界とはかけ離れたものだったはずですよ。

あたしが平均的な女性とは異質な愛と性の世界に居たというのですか?

そうですよ。僕はレンゲさんの“愛の手帳”を見せてもらって、しみじみとそう思いましたよ。

うっそぉ~。。。あたし誰にも見せたことはないんですよ。

レンゲさんは、また忘れてしまったんですかぁ~?境界性人格障害者は記憶を喪失することがあると書いてありましたが、確かにそうらしいですよね。

いつのことですか?

だから、バンクーバーの僕のマンションに居た時ですよ。“それほど見たいのなら見せてあげますわ”と言ってレンゲさんは僕に見せてくれたんですよ。

あらっ、見てしまったんですの?

だって、見せてくれたんだから、見ますよ。

それで、どこまでご覧になったのですか?

レンゲさんの“お客リスト”を見て僕は感心させられましたよ。何の仕事でもそうだけれど、やはりトップになる人というのは努力しているんものだと、しみじみと感心してしまいましたよ。

どういうところが。。。ですの?

どういうところって、そのリストの中の名前の多さに僕は度肝を抜かれましたよ。250人から300人ぐらいのお客さんの名前がずらりですよ。しかも、その人の観察記録や性格から、趣味や好きな女優の名前、好きな歌、。。。会社の電話番号までが克明に記録されている。さらに、愛し合った時の感想やその時の印象に残っている体位やテクニックまでが書いてある。

デンマンさんは、そんなところまで読んでしまったのですか?

誰だって、そのようなところが一番読みたいものですよ。

。。。それでデンマンさんは、あたしを色眼鏡で見るのですわね?

僕が色眼鏡で見ていますか?

そうですわ。だから、洋ちゃんと何度愛し合ったとか。。。どのようにして愛し合ったとか。。。体位だとか。。。テクニックだとか。。。デンマンさんは、しつこくあたしにそういうことばかりを尋ねるでしょう?

それは話が違いますよ。僕は確かにレンゲさんにそのような質問をすることがありますよ。しかし、それは、これまでの僕とレンゲさんの電話での話を持ち出していないから、僕が執拗にレンゲさんの性生活にこだわっているように思われてしまう。でも、実際にはレンゲさんが僕に電話をかけてくるんですよ。そうして僕に清水君との“のろけ話”を聞かせるんですよ。

そうでしたか?

そうでしょう?真夜中に電話がかかってくる。何かと思うと、“ねえ、デンマンさん、聞いて、聞いて。。。” 開口一番、レンゲさんはこう切り出すんですよ。“あたし、夕べ、洋ちゃんに何度抱かれたと思いますゥ~?うふふふふ。。。。” こうやってレンゲさんは僕と1時間半から2時間話しをするんですよ。こうして、僕はレンゲさんの“のろけ話”をさんざ聞かされたんですよ。

だって、デンマンさんは、あたしが洋ちゃんとのエッチな話をすると熱心に聴いてくれるんですもの。。。

それは、誰だって、そのような話は面白いんですよ。

だから、あたしだって、デンマンさんが喜びそうな話をするんですわ。

レンゲさん、いつまでも、このような話をしていると、またこの記事が長くなるだけなんですよ。

そうですわ。。。それで、デンマンさんは何がおっしゃりたいのですか?

レンゲさんが愛にこだわるのは、さらに“幼児的なふれあい”にこだわるのは崩壊した家庭に育ったからなんですよ。次の手記がそのことを良く物語っていますよ。

わたしの胸には、愛情はない。
だって教わってないから。


2005-08-13

わたしは生まれた時から、
必要な愛情をあたえられなかった。
両親ともに、
こんなめんどくさい生き物の
ニーズなんて考えもしない。

わたしはいつも見捨てられてきた。
わたしの胸には、愛情はない。
だって教わってないから。

わたしは、親を憎んでいました。
今は“血のつながった
やっかいな他人”だと思っています。

これからどうなるか分かりませんが、
今の私には親との和解は無理です。

ウチの親を客観的に見れば、
社会性が欠如していたんです。
ふたりともボンボンとお嬢だから世間知らずだし。

で、わたし親から最後の一撃食らわされて、
自分は将来利用するために育てられてきたことがわかっちゃって。
親はわたしに向かって確かにそう言ったのです。
それで、わたしは親から離れたのです。

by レンゲ

『デンマンさんが私のことをグロリア・スタイナムに似ていると』より

また、この手記を持ち出すのですか?

レンゲさんの愛と性を考えるとき、この手記は見過ごすことはできないんですよ。

分かりましたわ。確かに、あたしは両親から必要な愛を受けていませんでした。でも、そのことと平安時代のプレーボーイと、どのような関係があると言うのですか?

実はね、在原業平も感受性の豊かな少年時代を不幸な忌(い)まわしい家庭環境の中で過ごしたんですよ。

どうしてそのようなことがデンマンさんには分かるのですか?

ちょっと次の平城天皇の略歴を見てくださいよ。

どうしてまったく関係のない平城天皇を持ち出すのですか?

この天皇は在原業平のおじいさんにあたるんですよ。

平城天皇 (へいぜいてんのう)

生年: 宝亀5年 (774年8月15日)
没年: 弘仁15年7月7日 (824年8月5日)

桓武天皇の長男。
母の藤原乙牟漏 (藤原良継の娘)は桓武天皇の皇后。
皇太子とした嵯峨天皇は同母弟。

子に 阿保親王、高岳親王、巨勢親王、ほか内親王四人がある。
阿保(あぼ)親王の第五子が在原業平で、平城天皇には孫にあたる。

785年 (延暦 4年)、叔父の 早良親王 に代わり立太子。
806年( 大同 元年)5月に即位した。
即位当初は政治に意欲的に取り組み、官司の統廃号などの政治・経済の立て直しを行った。
しかし、809年(大同4年)4月、病気のため神野親王(嵯峨天皇)に譲位、嵯峨天皇は平城天皇の子の高岳親王を皇太子に立てた。
同年12月、平城上皇は旧都である平城京に移り住んだ。

皇太子時代より、妃の母である 藤原薬子 を寵愛して醜聞を招く。
薬子やその兄の 藤原仲成 の介入により、810年(大同5年)、平安京より遷都すべからずとの桓武天皇の勅を破って平安京にいる貴族たちに平城京への遷都を呼びかけ、政権の掌握を図った。
しかし、嵯峨天皇側に機先を制され、9月10日、嵯峨天皇が薬子の官位を剥奪。
これに応じて平城上皇は11日に挙兵し、薬子と共に東国に入ろうとしたが、遮られて翌日平城京に戻った。
平城上皇は直ちに剃髮して仏門に入り、薬子は服毒自殺した。

高岳親王は皇太子を廃され、大伴親王(後の 淳和天皇)が立てられた。
これを 薬子の変 と呼ぶ。

平城天皇の諡(おくりな)は平城京に因(ちな)むものである。
墓所は平城京のすぐ北の楊梅陵(やまもものみささぎ)と伝えられる。

【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】

在原業平の父方をたどると平城天皇はおじいさんなんだけれど、母方をたどると業平の伯父さんなんですよ。なぜなら業平のお母さんである伊都内親王は桓武天皇の娘なんですよ。平城天皇は桓武天皇の長男。だから、業平は平城天皇の孫でもあるけれど、桓武天皇の孫でもある。

複雑なんですね。

昔の天皇家には、このような複雑な関係は珍しいことではない。

それでプレーボーイの業平さんの家庭がどのように不幸で忌(い)まわしいものだったのですか?

言ってみれば呪(のろ)われた家庭だった。

どうしてですの?

この当時の“怨霊の祟り(おんりょうのたたり)”というのは、現在で言うなら“刑罰”のように考えられていた。

何が原因で刑罰を受けたのですか?

上の略歴を見れば分かるように薬子の変と言う事件は業平の感受性の強い少年期に大きな影響を与えたことは、まず間違いない。事件は業平が生まれる15年前に起きた。業平が生まれる1年前には事件を起こした張本人の平城天皇はすでに亡くなっていた。だから、あまり関係ないことのように見える。

確かにそう思いますわ。

でもね、この当時のことを書いている歴史書を見ればすぐに分かるけれど、“怨霊に祟られた家系”だった。

どういうことですか?

そもそも、その起こりというのは桓武天皇にまでさかのぼる。桓武天皇はもともと天皇になれる人ではなかった。父の白壁王の即位後も母の高野新笠が下級貴族に属していたため皇太子になれる望みはなかった。

それが、どうして天皇になったのですか?

藤原氏の陰謀があった。この藤原氏を巻き込んだ政争によって異母弟である前皇太子の他戸親王とその母であった皇后井上内親王が突如廃されてしまった。そういうわけで天皇になれた。でも、けっこう能力のある人だったと見えて、いろいろな業績を残している。その一方で藤原氏の陰謀にも加担していた。井上内親王と他戸親王の不自然な死、治世のはじめに、皇太子とした弟の早良親王を藤原種継暗殺に関わったとして785年に流罪とし配所で死なせた。この無罪の早良親王が怨霊になってこの家系を苦しめていると、いつの頃からか巷(ちまた)でささやかれるようになった。

それほど怨霊というものが怖がられていたのですか?

マジで恐れられていた。そのために桓武天皇は延暦19年(800年)、7月19日に早良親王を尊道天皇と追号し、井上内親王の墓を山陵と追称して皇后の位を復した。怨霊を慰めて不幸をもたらさないようにしたわけなんだよ。

それで、怨霊は慰められたのですか?

そうは問屋が卸(おろ)さなかった。桓武天皇の後宮の紊乱(びんらん)ぶりも早良親王の怨霊の祟りだと言われるほどだった。桓武天皇が亡くなってからも、この怨霊は平城天皇に引き継がれた。平城天皇が病気がちだったことも早良親王の怨霊の祟りだと言われた。そのようなわけで、平城天皇は位を弟に譲った。この弟が嵯峨天皇になった。しかし、それでも怨霊はおさまらなかった。

どうなったのですか?

「薬子の変」ですよ。これも早良親王の怨霊の祟りだと言われた。分かるでしょう?怨霊の祟りというのは、この当時これほどしつこく巷(ちまた)で語られたんですよ。

つまり、プレーボーイの業平さんは怨霊に祟られた家庭で育ったと言うことですか?

そうですよ。レンゲさんよりもひどい家庭環境ですよ。もちろん、お母さんだってノイローゼのようになって居たでしょうね。。。家庭に愛があるどころではない。つまり、在原業平は、お母さんからの愛を受けていなかったというためばかりではなく、この怨霊の祟りから逃れるためにも、家庭の外に愛を見つける必要があった。

そういうわけで3373人の女性に愛を求めたというわけですか?

その当時の人の多くは、おそらく、そう思っていたでしょうね。それも早良親王の怨霊の祟りだと。。。。

この話はマジですか?

僕はマジですよ。でも、このようなことを言っている人は他に居ないようですよ。僕が言い始めかもしれません。とにかく、そういうわけで、僕は在原業平がレンゲさんのように境界性人格障害を患っていたのではないかと考えたわけですよ。

つまり、あたしは“女業平”というわけですの?

僕はレンゲさんの“愛の手帳”の中に“お客リスト”を見た時に、レンゲさんの執念のようなものを感じたんですよ。あの執念があったからこそ、レンゲさんは“クラブ・オアシス”でナンバーワンの座をつかんだと思えましたよ。

あたしは業平さんのように飽くことなく愛を追い求めているとおっしゃるのですか?

そうですよ。椎名さんには殺されそうになった。しかし、レンゲさんの愛を求める気持ちは殺されるかもしれないという恐れさえ越えて突き進んでしまう。やっと彼と別れたレンゲさんは抑鬱状態に落ち込む。死にたい、死にたいと言い始める。そこに僕が現れる。救いを求めるようにバンクーバーにやって来たレンゲさんは怖い夢を見たと言いながらシースルーのナイティーを着たままで僕の部屋にやって来た。僕とレンゲさんはセックスしたわけじゃない。でも、僕の腕に抱かれて愛撫を受けたレンゲさんはイってしまった。

また、そうやって、あたしにあの時の恥ずかしい“真夏の夜の出来事”を思い出させるのですか?

僕が日本にレンゲさんを連れ戻すと、今度は野々宮さんの腕の中に飛び込んで行く。2ヶ月足らずで抜き差しならない関係になってしまう。熱しやすく冷め易いレンゲさんは文字通り短い恋愛に終止符を打つ。しかし、飽くことなく愛を求めるレンゲさんは、それで終わらせようとはしない。野々宮さんと交代してやって来た清水君にキューピッドを見つける。そして夕べも、目の下にクマを作るほど愛し合った。そうですよね?

デンマンさんが言われたことは表面的なことだけですわ。あたしは、もっと深いところで、椎名さんとも、野々宮さんとも愛し合っていました。洋ちゃんとも深いところで心がしっかりと結びついていますわ。それなのにデンマンさんは、表面的なことだけを取り上げてあたしの恋愛遍歴を性的な男性遍歴にしてしまっている。あたしがまるでセックスだけが目的で男を求めていると言っているんですわ。

そんなことは言ってませんよ。

いいえ、デンマンさんは、そう言いたいのですってばああああああああ~~。。。

分かりましたよ。分かりました。。。そんなに大きな声を出さなくても聞こえますよ。

【ここだけの話しですけれどね、僕は本当にレンゲさんと清水君が末永く愛し合う関係が続けばよいと思っているんですよ。でもね、毎朝、毎晩求め合う事がいつまでも続くわけがないんですよ。あなただってそう思うでしょう?。。。でもね、レンゲさんは僕の言う事を聞こうとしないんですよ。。。とにかくね、この話の続きは、ますます面白くなりますよ。どうか期待して待っていてくださいね。もっとレンゲさんのことが知りたいのなら、下にリンクを貼っておきましたからぜひ読んでくださいね。】

       
レンゲさんの愉快で面白い、そして悩み多いバンクーバーの日々は
次のリンクをクリックして読んでください。

■ 『レンゲのバンクーバー紀行』

バンクーバーから戻ってきたレンゲさんの新しい悩みは次のリンクをクリックして読んでください。

■ 『夢のバンクーバー“後記”』
 
レンゲさんをもっと知りたい人は。。。。

■ 『レンゲの悩みの数々。。。本当にわたしは悩みの宝庫です。。。』

■ 『“愛の正体” と “レンゲのテーマ”』

■ 『不倫の悦びと苦悩』

レンゲさんの写真を見たい人は。。。

■ 『レンゲさんのスナップ写真集』

■ 『レンゲさん、あなたは実はメチャ美人なんですよ!』


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童貞マーケット

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by 童貞マーケット (2006-03-16 21:20) 

denman

下らない童貞マーケットの愚かな管理人の佐々木へ!

オマエいつまでたっても馬鹿な事をやって人生を無駄にしているね。
そうやって犬死して、いったい何のためにオマエは生きてきたの?
自分が馬鹿な事をやって人生を無駄にしていると思わないの?

自分の子供がオマエのやっていることを見たら、恥ずかしくなる事を考えたことがあるの?
オマエはいつになっても中学生ぐらいのオツムしかないんだね。
日本人の恥さらしだと言うことが分からないの?

オマエ、ハンセーしな!
サルだってハンセーすんだよ!
ええっ?

愚かな佐々木よ!
まともな人間になろうね。
いいね。

いつまでも寅さんに心配かけちゃあダメじゃないか!
いいね。
真人間になるんだよ!
分かったね。

そうかい、そうかい、
馬鹿なオマエでも少しはおりこうなところがあるんだね。
by denman (2006-03-17 08:06) 

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