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愛とセックス: 幼児的なふれあい vs. 幼稚的なふれあい [性の悩み・セクハラ・愛と性]

愛とセックス:

幼児的なふれあい vs. 幼稚的なふれあい

SO-NETの“はむこ”さんからトラックバックとコメントをいただきました。
短い文章だったので、ここに全文を引用させてもらいます。

たまには真面目な話題でも…  [ポロっと一言~*]

『愛とセックスは、もちろん、違いますよね?』
このタイトルに引かれて読み始めたのですが…

denmanさんの記事を読んでいて自分が正直思ったことは、
その主張が全て正しいとは思えませんでした。

それは、以下の2点について大きな『?』が浮かんだのです。

1.「崩壊している家庭に育った」という環境に居た人のみ極論として
  「愛=SEX」の図式は成り立つ。

2.「幼稚的なふれあい」は、幼児期に幸せな家庭で育ったおよび
  十分に愛情を得て成長すれば、相手にイチャイチャしたりしない。

例え崩壊していない家庭に育っていて十分に愛情を得て成長していても、好きな人に触れたいという欲求はあるでしょうし、手を握ったり、キスしたりアイコンタクトしたり(…数え上げたらキリがないくらい)、要はイチャイチャしてると思います。

それは彼の記事に取り上げていた「幼稚的なふれあい」に近いものだと思います。まぁ、成長すると共に表現方法が変わるだけだと思うんです。
それこそ、いい年した大人がTPOもわきまえず公共の場でハメを外したりはしないでしょうから。。。

「愛の中にSEXは完璧に含まれます」…との意見がコメントに
寄せられていましたが、私は愛とSEXが完全な同一円とは思えません。

それが完全に取り込まれていようが、部分的に取り込まれていようとも
ただ愛の中に含まれる要素には、やはりSEXを全く無視することは
出来ないと思うんですよね。

人の心の中って色んなものが渦めき合っていて、理解しがたいことが
本当に沢山あると思うんですよ。それでなくても十人十色だし。

だから、愛も「こういうものだ!」と決めつけるのではなく、
大らかなものであって欲しいとただただ願うばかりです。

書いている私自身、大らかでありたいと願いつつも
なかなか実現できずに苦しんでいますけどね…。汗

たまには真面目な話題でも。。。
ということで僕の記事が採り上げられていましたが、

なんですかあああ?はむこさんはいつもは不真面目な話題を取り上げているのですかアアア?
。。。へへへへ。。。。これは冗談ですよォ~

とにかく、こうして僕の意見に対して感想や批判をもらうのはうれしい事です。

僕は高校生の頃フロイトを読んでセックスに対する目を開かれたように感動したものです。
フロイトが生きていた頃のオーストリアの社会環境、性道徳というのが
僕が高校生の頃の日本の社会環境、性道徳、ミーハーの性意識に似通っているものを感じたのですよ。
つまり、性に対する考え方が、まだアメリカのように開放的ではなかったですからね。

現在ではフロイトの精神分析理論には、いくつかの欠陥が見出されて、
そのまま精神分析医療には使われていないようですが、
いづれにしても、“精神分析の父”として、フロイトの理論は今だに多くの人に影響を与えている事は疑問の余地がありません。

幼児期の家庭教育・家庭環境、特に幼児がどのように父と母に扱われていたかということが、成人になった時のセックスに対する考え方と行動パターを規定してゆくという考え方には感銘を受けたものです。
今から思えば、そのような事は当たり前ですが、臨床例に基づいて、こと細かに分析して見せたフロイトの炯眼(けいがん)に触れて、僕は目からウロコが落ちたような気がしました。

今の僕は愛と性の問題を個人の問題としてよりは社会問題として眺めています。
でも、社会問題としてここで書いても誰も読んでくれないので、
“レンゲさん”の愛と性の問題として書いているわけです。

タイトルを『愛とセックスは、もちろん、違いますよね?』としたのは、そのためです。
僕が考えているのは『現在の病める日本における愛と性についての考察』なのですが、
こういう堅苦しいタイトルにしたら、はむこさんはそっぽを向いたかも知れませんよね。

僕がはむこさんの記事を読んでハッとしたのは“幼稚的”なふれあいという部分でした。
僕はこの事を指摘したかったんですよ。
ところが“幼稚的”という言葉を知っていたにもかかわらず、“幼児的”という言葉を使っていた。

この“幼稚さ”を説明するために僕は次のコントを書いて見せたんですよ。

30代40代になった人は普通次のようには書かないものですよ。

僕はいちゃいちゃが大好きです。
暇があれば手をずっと握ってたりいきなりキスしたり抱き締めたり… みんな同じです。


みんな同じじゃないんですよ!
少なくとも僕とあなたを同じにしないでくださいね。
僕はすでに書いたように、“幼児的なふれあい” は “たくさんです”よ、“ご馳走さんでした”と言う気持ちなんですよ。
だから、“幼児のようにいちゃいちゃしな!”と言われたら、ちょっと僕は困ってしまいますよ。

もう清水の舞台から飛び降りたつもりで、パンツを脱いで“おしめ”を身に着けて、

“花ちゃァ~~~ん、ボチュとァチョびまちょうねェ。。。アイィ~、きちゅちまちょうねェ~~。”

“デンマンさん、あなた、一体なにをしようとしているの?”

“だから、ようじてきなふれあいを求めてるんでチュよゥ~。。。きちゅちまちょうよゥ~~~”

“デンマンさん、気は確かですかあああ?”

“たちかでちゅよゥゥ~~花ちゃん、ボチュとキチュちまちょうようゥゥ~~~”

“本当に、気は確かですかああああ?”

“たちかでちゅよゥゥゥ~~”

“一体、妻も子もある、いい大人が何のまねをしようとしているんですかああ?”

“だからあああ~、ようじのふれあいでちゅよゥ~、ぼちゅわあァ、花ちゃんといちゃいちゃしたいんでチュゥ~。。。”

“何ですよ、急に、おしめなんかしちゃって、。。。本当に気は確かですか?”

“たちかでちゅうゥゥ~~”

“マジですかあああ?”

“ボクちゃん、まじでちゅうよゥゥゥ~~、”

“あああああ~~、キモイ!デンマンさん、それ、キモイワよおおおお!いい加減にしてくださいよ!”

“花ちゃん、キチュちまちょうネェ~、きちゅちィてェ~~ねっ。。。ねったらああ~~”

“止めてくださいよおお~~、デンマンさん、本当にキモイですよ!そのひげ面ぶら下げて、おしめまでして、何も知らない人が見れば、デンマンさんは気が狂ったかと思いますよ!本当にいい加減にしてくださいよ。”


いい年をした僕が幼児的なふれあいを求めたら、このような無様(ぶざま)な事をやらねばならないんですよ。へへへへ。。。。
本当に気が狂ってしまわない限り、かなりしんどいですよ。んも~~!
僕の相手をする女性は、まさに“キッショイちゅーねん、アホ!”と言うでしょうね。

こういうわけですからね、決して“みんな同じです”ではないんですよ。

こういうことが現実に起こったら、誰が見たって異状ですよね。すぐに精神病院へぶち込まれてしまうかも知れませんよね。

しかしね、あなたは知らずにこういうことをやっていませんか?
あなたはやっていないと思っているかもしれない。
でも、呆れて何も言わないけれども、あなたの相手には、あるいはあなたとあなたの相手を見ている第3者には、ちょうど今僕が書いたような“愚かなデンマン”として映っているかもしれませんよ。

はむこさんは書いていました。

例え崩壊していない家庭に育っていて十分に愛情を得て成長していても、
好きな人に触れたいという欲求はあるでしょうし、手を握ったり、キスしたり
アイコンタクトしたり(…数え上げたらキリがないくらい)、要はイチャイチャ
してると思います。

「手を握ったり、キスしたり、アイコンタクトしたり」
これは誰が考えても問題がないところでしょう。だから、はむこさんもこの3つの事を書いたんですよね。
これは、次のように言うこととまったく変わりがありませんよ。

“私は好きな人とは手を握りたいし、キスもしたいし、じっと見つめたりしたいです。”

これは、崩壊した家庭に育ったかどうかにかかわらず当たり前の欲求ですよ。
まったく問題がない。だから、例えそうしても、はむこさんは上の“愚かなデンマン”には見えません。
問題なのは、「数え上げたらキリがないくらいの(他の)イチャイチャ」なんですよ。
はむこさんは具体的に書いていません。
しかし、あなたが考えている他のイチャイチャをやると、上の“愚かなデンマン”のように見えるかもしれませんよ、と僕は言っているのです。

1.「崩壊している家庭に育った」という環境に居た人のみ極論として
  「愛=SEX」の図式は成り立つ。

僕はこの件に関して、はむこさんが何を言いたいのか良く分からなかったのですが、
基本的に、僕は“崩壊している家庭に育った人が 「愛=SEX」 と考えやすい、と言いたかったのです。

これは問題がありますよね。
愛する事をセックスする事と考えてしまう。
“愛”を“セックス”で代用してしまう。

レンゲさんは“崩壊した家庭”に生まれ育ったために“境界性人格障害”を患っています。
この障害の判断基準は次の通りです。

<< 境界性人格障害の判断基準 >>

■ 対人関係が不安定だ。理想化とこき下ろしの両極端を揺れ動く。

■ 衝動性が強い。浪費、薬物乱用、過食、無謀運転、見境なしのセックスなどに陥る。
  衝動的に不倫に走ったりする。

■ 感情が不安定だ。強い不快、イライラ、不安などに悩まされる。

■ 自分ではコントロールできない不適切なほどの強い怒りが起こる。

■ 自殺の振る舞いや自傷行為などを繰り返す。

■ 自分自身に対するイメージが不安定。自己同一性の顕著な混乱が見られる。

■ 慢性的な空虚感、退屈さがある。

■ 見捨てられる不安とそれを避けようとする行為を繰り返す。

■ 妄想観念や解離性障害(記憶喪失や現実感の喪失など)がある。

上の9つの項目のうち、5つ以上当てはまると境界性人格障害と診断される可能性が高い。

この表からも分かるように、この人格障害に悩む人は見境なしにセックスする傾向にあります。
セックスが好きなんじゃないんですよね。むしろ愛されたいと言う強い渇望がある。
崩壊した家庭で愛を知らずに育ったから。。。
しかし、求めるような愛がなかなか見つけることができず、“愛される”ことを“セックスする”ことで代用してしまう。
つまり、愛=SEX なんですね。
したがって、このように考える事は病的です。

しかし、レンゲさんは淫乱な女じゃありません。愛される事を熱望しているだけです。
どうして?
なぜなら、次のような母親を持たなかったからです。

あなたは、このような母親にこうして抱かれた事がありますか?

ええっ?僕はどうだったかって?
もちろん、僕はこの絵のジューンさんのような母親を持ちました。
こうして抱かれた事を今でもはっきりと覚えていますよ。

だからね、あなたも母親になったら、このような優しいお母さんになってくださいね。
そうすれば、レンゲさんのように愛をセックスで代用するような子供が少なくなります。

“病める日本”では崩壊家庭が増えています。
つまり、愛をセックスで代用するような人たちが増えているんですよね。
嘘だと思ったら、最近の性病の増加率をネットで見てくださいよ。

間違いなく崩壊している家庭が増えているからです。
愛の無い家庭が増えているんですよ。

あなたは、ぜひ、愛のある家庭を作ってくださいね。
あなたのために、あなたの子供のために、そして日本のためにお願いしますよ。
そうすれば、僕の家族も、住み良い日本で生活する事ができます。


愛と性と心の悩みについてもっと読みたいときには次のリンクをクリックしてくださいね。

『心の悩み・性の悩み相談掲示板』


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